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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
3月19日(月)〜3月23日(金)
今週のテーマは、「東京 駄菓子ものがたり」
昭和30年代、いえ、昭和40年代はじめまで、近くに駄菓子屋さんがありましたよね。 あなたの記憶に残っているのは、どんなお店でしたか? 今週は、懐かしい駄菓子の世界を取り上げます。

3月19日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「駄菓子の歴史」をご紹介します。

駄菓子が誕生したのは江戸時代でした。
武士や裕福な町人向けの高級な和菓子に対して、庶民が手軽に買って味わえる菓子を・・・ということで作られたんです。一文菓子とも呼ばれていました。かりんとうや、あめんぼうなどが代表的なものですね。
明治時代になると、子供が喜ぶ玩具と共に駄菓子を扱う店が出来、駄菓子屋と呼ばれるようになりました。明治時代の女流作家・樋口一葉が、現在の台東区で、雑貨店を兼ねて駄菓子を売っていたことは、よく知られております。
駄菓子屋が全盛期を迎えたのは、昭和30年代前半のことでした。日本全体が貧しく、でも何故か明るかった時代、子供たちはお小遣いを握りしめ近所の駄菓子屋に駆けつけたものです。
そこは、まさに子供の社交場でした。「受験戦争」はもちろん、「少子化問題」など考えられない時代だったんです。思い出していただきたいんですが、昭和30年代から昭和40年代の初めにかけては、小学校の近くや、横丁の奥には、必ずといっていいほど、駄菓子屋さんがありましたよね。記憶では、パン屋さんや、文房具屋さんを兼ねていたことが多かったようです。
やがて、世は高度成長の時代に突入。子供たちは、受験勉強や塾通いを始め、スーパーやコンビニの登場もあって駄菓子屋の数は急速に減ってしまいました。
やがて、バブルの時代になります。
大規模な再開発が進むなか、ますます減っていきました。それでも、バブル崩壊の年、1991年(平成3年)には、都内だけでも200軒ほどあったといわれます。
すっかり少なくなってしまった駄菓子屋さんですが、いま、昔の駄菓子屋さんが持っていた役割が見直されてきています。友達と楽しい自由な時間を過ごせて、しかも、マナー違反や他人に迷惑をかけると、叱ってくれおじいさんやおばあさん。今から思うと、世の中の大切なことを覚えて場所なんですよね。30年、40年にわたって店を守ってきた方々が、高齢化によって店をやめるケースが増えています。
でも、あの懐かしい子供の社交場の復活を願う声、徐々に大きくなっているようなんです。

3月20日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「定番の駄菓子づくり」をご紹介します。

駄菓子には、定番となっているアンコ玉、梅ジャム、ふ菓子、ソースせんべい、などがあり、比較的新しいものとして、「うまい棒」などがあります。実は、毎年毎年新しい商品が登場して、激しい競争が行われている業界なんですね。その中で、昔ながらの作り方で。変わらぬ人気を保っているものもあります。お馴染みの「ふ菓子」です。

墨田区錦糸。10年ほど前に再開発工事が行われた錦糸町駅北口近くに、ふ菓子専門に作っている 「鍵屋製菓」があります。創業はおよそ70年前。戦後すぐに、ふ菓子専門になりました。ふ菓子一筋60年、8人のスタッフによって、昔ながらの味の「ふ菓子」が作られているんです。工場にお邪魔してどんな具合に作られるのか、拝見してまいりました。
白い麩のままの状態で工場に届いたものを、溶けた黒蜜に浸します。次にこれを遠心分離機にかけて、ちょうど良い具合になるように密を切るんですね。次は乾燥。およそ30分かけて乾燥します。ここで水分が抜けて、サクサクの味わいが生まれるんですね。ふ菓子の、パリッとした仕上がりは、乾燥の出来で決まります。
出来上がったふ菓子は、17本づつ袋詰めされ、完成です。パッケージに印刷されているキャッチフレーズが、「勉強に スポーツに」。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、なかなかの名作でございます。
カルシウム入りで、飽きのこない、それでいて手作りの味わいがあるんです。実は、先日、知人がテニスの練習の後に、この「ふ菓子」を、テニス仲間に配ったんだそうです。たちまち一袋がカラになったそうです。まさしく、スポーツの後にピッタリ、のお菓子なんですね。
子供たちや、昔は子供だった親御さんにも変わらぬ人気の「ふ菓子」。実は、錦糸町は、戦後すぐの時代には、アメをはじめ、さまざまな駄菓子を作る会社が集まっていたんですが、廃業したり移転して、今では数社が製造を続けているだけになりました。
鍵屋製菓は、下町の駄菓子製造の伝統を守っているんですね。

3月21日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
コーナーはお休みしました。


3月22日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「駄菓子問屋」をご紹介します。

1回目の放送で、江戸時代には駄菓子が子供たちの人気を集めていた、とお話したんですが、人口100万を超していた大都会・江戸のことですから、作れる菓子や玩具も膨大な量になっていました。そこで、駄菓子問屋街が出来ていたんですね。現在の千代田区は岩本町あたりに、数百軒の駄菓子を作る店と問屋が軒を連ねていたんです。
この駄菓子の街は、明治時代になっても、大変に賑わっていたんですが、関東大震災で全滅してしまったんです。その後、東京市の方針で、本所区、現在の墨田区錦糸町に、まとまって移転したんですね。
さて、錦糸町には、ひと頃は駄菓子製造と駄菓子問屋が数百社も集まっていたそうなんですが、現在では、それぞれ数社ずつが活動しているだけになりました。「駄菓子の街」として全国に知られていた昭和30年代、どんな状態だったのでしょうか?
錦糸町で50年近く営業を続けている駄菓子問屋、株式会社クリハラの社長・栗原敏雄さんにお話を伺いました。
現在、クリハラさんが扱っている商品の数、およそ5万点!そのうち食品は3000点ほど。玩具の種類が多く、しかも毎年毎年、新しいものが発売されているんですそうですよ。以前、いたるところに駄菓子屋さんがあった時代のことを伺ったことがあります。駄菓子屋のおじいちゃん・おばあさんは、仕事をすることが、なによりの健康法だったそうなんです。
バスや自転車で、あるいは歩いて、問屋さんに行き、両手に持てるだけの商品を仕入れ、またのんびりと戻っていく。店に帰ると、子供たちの相手をしながらお釣りの計算もするので、自然と頭のトレーニングになっていた・・・というんです。
大手問屋の栗原さんも、昔は100軒ほどの駄菓子屋さんと取引があったそうですが、現在は、30軒ほどに減ってしまったそうなんです。その代わり、全国のスーパーやショッピングセンターから、駄菓子の注文があると伺いました。
問屋さんの商売は、年間に3回、ピークがあるんだそうです。これから4月までは、幼稚園・小学校の、卒園・卒業があります。そして、子供会が盛んに開かれる時期でもあるんです。これが最初のピーク。次は夏休み。そして、秋の学園祭の時期になると、全国から注文が殺到するんですね。なぜか、子供さんよりも大人の方が夢中になってしまう光景が、あちらこちらで展開される・・・そうです。
一人ひとりの懐かしい思い出がこもった「駄菓子」ならではのことなのでしょう。

3月23日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「まだまだ元気な都内の駄菓子屋さん」をご紹介します。

東京メトロ東西線・葛西駅の近くに、石川商店があります。食料品店と駄菓子屋さんを兼ねた店で、32年前に開店しました。外見は、ごく普通の食料品店なんですが、一歩店内に入ると、売り場のおよそ半分のスペースに駄菓子がギッシリ並んでいます。現在扱っているのは、お菓子がおよそ1200種類、オモチャが40種類ほど。
ご主人の石川浩叶さん、奥様の光子さんのお二人で営業を続けてきました。今も、年中無休でございます。32年前、石川さんが江戸川区・葛西で営業を始めた頃は、葛西地区だけでも駄菓子を扱う店が数十軒あったそうですが、現在では、数軒になってしまいました。
でも、石川商店の人気は相変わらず高いんです。子供たちは成長します。成人し、社会人になっても時々は顔を出してくれ、やがて、子供連れ、あるいはお孫さんを連れて買い物にきてくれるんだそうです。駄菓子屋といえば、昔は、学校が終わるとスグに友達と出かけたものですが、今は事情が違っているようです。石川さんに伺ってみました。
社会人になって地方で働いていたり、結婚して他所で生活している昔のご常連が、実家に帰った時に立ち寄ってくれるそうなんですね。
「子供たちの顔と名前は、大人になっても覚えていますよ」
こう、石川さんは話してくれました。
昔はどこにでもあった駄菓子屋さん、お付き合いがごくごく普通にあったものでしたよね。
そうそう、葛西駅の周辺には、各種専門学校が多いんですが、さきほどの話とは反対に、地方から来ている学生もご常連。こちらは、食料品と駄菓子、両方のお得意さんなんです。
卒業の時に、寄せ書きや花束を贈られることもあるほど「東京の駄菓子屋さん」は親しまれているんです。
さて、石川商店の先週の売り上げベスト・ファイブを教えていただきました。
第5位。花串カステラ、1本20円。
第4位。ラスク、1個100円。
第3位は、火曜日にご紹介しました、鍵屋製菓の「ふ菓子」。1本20円です。
第2位。うまい棒。10円。
そして、堂々の第1位は、根強い人気の「きなこ棒」10円でした。このきなこ棒、くじになっているのも人気の秘密だそうでして、1週間におよそ1000本ほど売れているんです。
ご参考までに、一番値段の安いものは何か? はい、教えていただきました。バラ売りしているチョコレート、そしてアメでございます。1個5円也。ちなみに、石川商店の駄菓子でございますが、お客様お一人の平均金額は、105円だそうでございます。 都会でも地方でも、すっかり減ってしまった駄菓子屋さんですが、まだまだお客様に支えられて元気に営業している店も多いんですね。

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