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1月1日(月)〜1月5日(金) 今週のテーマは、「江戸の正月」 江戸の正月はどんなものであったのか、そのごく一部をご紹介します。
1月1(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「正月の話題」をご紹介します。
元日の朝。日本橋の商店では、全員がぐっすり眠っております。昨晩、大晦日は江戸中の商店は夜更けまで、いや、日付がかわるまで大忙しの、一年で一番忙しい日だったんですね。集金に駆け回ったり、支払いに追われたり、寝付いたのは夜明け間近…なんということは当たり前でした。当然、元日は休養をとる日、となっておりました。
ところが、大名となると、話が違いました。江戸城に行き将軍に挨拶をする、一年で最も重要な行事があったんです。もっとも、元日に登城するのはご三家など徳川一門や譜代大名で、二日・三日と、格式と身分によって登城する日が異なっておりました。一方、職人や、商売に関係ない町人の間では、初日の出を拝む…という習慣もはじまっていました。江戸には、愛宕山・神田の高台・九段・芝浜・洲崎などが初日の出を見るのに適しているとされ、それなりの人出がありました。どうやら、元旦の江戸は静かな一日であったようですね。
2日になりますと、街は正月らしい雰囲気に包まれます。供を連れ挨拶回りに出かける商人、たこ揚げや、はねつき、こま回しをする子供の姿が見られるのは2日からです。そして、2日の夕方になると、宝船売りが現れます。時代によって異なりますが、江戸時代中頃では、正月2日の夜に見る夢を初夢といい、七福神が乗った宝船の絵を売り歩く商売があったんです。絵を枕の下に敷いて寝ると、良い夢が見られるという縁起かつぎでした。縁起物の宝船売りの掛け声は、
「お宝! お宝! ええ、宝船」
1日限りの商売。1枚2文か3文、粗末な紙に刷られたものなんですが、上手な売り手は、たっぷりとご祝儀がいただけたそうです。宝船の絵には、次のような文が添えられていました。
長き夜の とうの眠りの皆目覚め 波乗り船の 音の佳きかな
(なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな)
上から読んでも、下から読んでも同じという、回文でございます。江戸の人々は、縁起かつぎが多かったのでしょう。宝船売りは落語の題材にもなっていて、江戸の正月には欠かせないものでした。
1月2日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
コーナーはお休みしました。
1月3日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
コーナーはお休みしました。
1月4日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「隅田川七福神めぐり その1」をご紹介します。
江戸時代の人もそうであったようで、七福神めぐりというものを考えだしまして、それを、正月、松の内に巡り歩くことを始めました。七福神とは、恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁才天・布袋尊・寿老人・福禄寿…ですね。江戸で最初に始まったのは、谷中七福神巡りだとされております。現在では、都内だけでも20以上の七福神めぐりがあるんですが、毎年、どこもなかなかの人気でごさいます。数あるなかから、谷中についで歴史の古い、「隅田川七福神めぐり」をご紹介いたしましょう。
南から北、北から南…どちらでも宜しいのですが、今回は北から南に向かうことにいたしましょう。全体で5キロほど歩くことになります。スタートは、東武伊勢崎線の東武堀切駅。10分足らずで、毘沙門天をまつる多門寺(たもんじ)に着きます。多門寺には、墨田区で一番古い木造建築、かやぶきの山門があります。
「隅田川七福神めぐり」は、隅田川に並行している墨堤通り(ぼくていどおり)を歩くことが多いんです。途中、歴史のある隅田川神社、戊辰戦争で函館・五稜郭に立て篭もった榎本武揚(たけあき)の銅像など見所が多いんです。およそ20分で白髯(しらひげ)神社です。隅田川に架かる橋の名になっている由緒ある神社で、こちらの神社全体を寿老人として、寿の老いた神、寿老神としています。
続いて、細い道を通って、2〜3分で向島百花園に到着です。向島百花園には、福禄寿尊がまつられていますが、実は、ここ百花園で隅田川七福神めぐりが考えられたんだそうです。江戸後期の文化人たちが集まって、「あそこはどうだ」「いやいや、こちらのほうではどうだ」と、議論を繰り返した末に決めたといわれています。一言お断りしておきますが、この向島百花園は都営の公園でございまして、一般は150円、65歳以上の方は70円の入場料が必要となります。
ここまでで、七福神めぐりも半ばを過ぎています。今日は前半のご紹介までで終わりにして、続きは明日ご紹介いたしましょう。それにしても、江戸時代の隅田川は、堤防が低い眺めの良い川でございました。江戸切絵図を見ても、川がごく近くを流れていたことがわかります。これまでにも「東京歴史探訪」でたびたび触れてまいりましたが、当時は、高い建物などはほとんどありませんでした。隅田川七福神めぐりの道々からは、富士山が見え、筑波山も見えたことでしょう。浅草寺や、遠く上野の寛永寺の大伽藍(だいがらん)を眺め、江戸の初春を満喫できたことでしょう。この「七福神めぐり」を考え出した江戸の文化人には、ただ感心するほかありません。
1月5日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「隅田川七福神めぐり その2」をご紹介します。
年々人気が高まっております東京の七福神めぐり。百花園を出発、再び、ほぼ隅田川に並行している墨堤通り(ぼくていどおり)に戻ります。こらからの道には、元日から営業を始めている煎餅屋さんや、豆腐屋さんもあり、そろそろお土産のことが頭に浮かび始めた方にはおすすめです。
次の目的地、弁財天がある長命寺(ちょうめいじ)の手前には、有名な言問団子があり、長命寺の隣には、江戸時代から続く長命寺桜もちがあります。百花園から15分ほどで長命寺に到着。腹痛におそわれた三大将軍家光が、この寺の井戸水で薬を飲んだところ、たちまち治ったことから、長命寺となったというエピソードは有名ですよね。昨年秋に、井戸が復元されていますので、ぜひ、ご覧ください。
長命寺のごく近くに、布袋尊をまつる弘福寺(こうふくじ)があります。さきほどの通りにもどって南に向かいます。この通り、見番通り(けんばんどおり)と呼ばれております。そうです。この界隈は、有名な向島の料亭街なんです。料亭街の営業は、今日5日から始まるそうでして、運がよければ、正月の盛装をした芸者さんに出会えるかも知れません。場所柄、このあたりには和装小物のお店が多く、以前「東京歴史探訪」にご出演いただいた足袋屋さんもすぐ近くにあるんですよ。
さあ、いよいよ6番目、ゴール地点が近くなってきました。弘福寺から、ゆっくり歩いて5分ほどです。えっ! 何かおかしいですか。七福神なのに、まだ6ヶ所じゃないか…ですって? ご安心ください。最後の三囲神社(みめぐりじんじゃ)には、大黒天と恵比寿がまつられているんです。スタートの堀切駅から、ゴールの三囲神社まで、およそ5キロ。ゆっくり歩いても、3時間ほどで回れます。都内の七福神めぐりの中では、距離のあるほうでしょうが、それなりに変化もあるコースになっています。さて、まだ難問が残っています。この後、あの金色のモニュメントのある本所吾妻橋方面に向かうか、それとも、言問橋を渡って浅草に出るか…なんですね。そのあたりは、ご同行のお仲間とお決めください。
念のため、七福神めぐりのご注意を申し上げておきましょう。
その1)靴は、はきなれた歩きやすいものを選んでください。
その2)真冬でございます。暖かく思えても、ぜひ、防寒対策をお忘れなく。
その3)夏場ほどではありませんが、十分な水分補給をお忘れなく。
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