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11月27日(月)〜12月1日(金) 今週のテーマは、「映画の東京」 東京を舞台にロケを行った5本の作品を取り上げ、1940年代から60年代までの東京風景をご紹介します。
11月27日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、1949年(昭和24年)制作、黒澤明監督「野良犬」をご紹介します。
この映画、制作会社のクレジットが消えると、いきなり凶暴そうな犬の顔のクローズアップが映り、まず「1949年作品」、そして「野良犬」のタイトル。最初に制作年度が大きく表示されるので、終戦後間もない時代の記録であるということが、嫌でも印象づけられます。
簡単にストーリーをご紹介しておきましょう。
若き日の三船敏郎…白っぽいスーツが嫌になるほど似合う、いかにも復員兵という感じのギラギラした二枚目です。この三船さん、刑事なんですが、満員のバスの中で、ピストルを盗まれてしまうんですね。もしあのピストルが犯罪に使われたら…と、やむにやまれぬ思いから犯人を追い求める…という、簡単に言ってしまえばそういうお話ですが、映画の中には、今では想像もつかない闇市のリアルな風景や、エロ風味満点のレビュー小屋など、戦争の爪痕がくっきり残る1949年(昭和24年)の東京風景が次々に登場。とにかく全編走りまくっている三船敏郎と共に、まさにタイムマシンに乗っているような感覚が味わえます。
どこもかしこも印象的なシーンの連続のこの映画ですが、中でも有名な場面の一つは、超満員の、今はなき、後楽園球場。三船と、これまた黒澤作品ではおなじみの志村喬、二人の刑事が、犯人を追って、まだ1リーグ時代の巨人・南海戦が行われているスタジアムを訪れます。フィールドの上には川上、千葉、青田ら、伝説の名選手が次々に登場。川上哲治さん、今でこそ、単なる釣り好きの好々爺という感じですが、当時の目つきの鋭さといったら恐ろしいほどです。
もう一つの有名なシーンは、練馬の郊外で撮影された、三船と犯人、木村功(いさお)の対決。昭和24年の練馬、ほんとうに「のどか」と言うほかない、田舎です。雑木林…というよりは、森の中といった感じの場所で、近くの家の中からはピアノの練習曲が流れ、疲れ果てた二人が横たわる草っ原の反対側を、「ちょうちょう」を歌いながら子供たちが通りすぎていく。男同士のギラギラする対決場面のバックにピアノや子供たちといった対極的なものを使うこのセンスは、のちに内外の監督たちに大きな影響を与えています。
11月28日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、1953年(昭和28年)制作、小津安二郎監督「東京物語」をご紹介します。
東京を舞台にした映画といえば、いの一番に名前が挙がる、小津安二郎監督の「東京物語」。百年以上に及ぶ映画の歴史の中で、この作品をオールタイム・ベストワンとする批評家も少なくありません。さてこの映画、「東京物語」とは申しますものの、オープニングは広島・尾道。最近では大林宣彦監督の映画の舞台としてすっかりおなじみの、あの尾道ですね。
あまりにも有名なストーリーなので、ごくごくかいつまんでご紹介しますが、尾道に住む笠智衆と東山千栄子の老夫婦が、東京に住む子供たちを訪ねて上京。ところが訪ねていった先々で、表面では歓迎されながらも、結果的には厄介者扱いされることになり、疲れ果てて尾道へ戻っていく。心の底から歓迎してくれたのは、戦争でなくなった次男の嫁、原節子だけだった…という、悲しいお話です。子供たち4人を演じているのは、山村聡(そう)、杉村春子、香川京子、そして大阪志郎と、名だたる名優。長男・山村聡は、東京で開業医をしていて、親からしてみれば、大層な出世をしていると思っていたのが、実はしがない町医者で、家は新開地の川っぷち、土手の下。わざわざ上京してきた両親を泊める部屋もなく、勉強部屋を取られた孫たちにブーイングを受けてしまいます。この町医者があるのが、東武伊勢崎線の堀切駅あたり。どこまでも開放的な川べりの風景は、半世紀以上を経た今も、さほど変わっておりません。
さて、もう一つの印象的な場面といえば…老夫婦が、優しい嫁の原節子に案内され、東京見物をする所。まずは、はとバスに乗って、皇居前広場から、銀座へ。天井近くまでガラス張りになったデラックスバスや、戦後8年ほどで、もう繁栄を取り戻している銀座の風景には、目を見張らされます。今と違うのは、道路の上を縦横無尽に電線が走り、銀座四丁目の交差点を都電が横切るところでしょうか。
このあと、バスを降りた3人は、松屋デパートの屋上から東京の町を眺めるのですが、景色がまたたまりません。
まだまだ高い建物もさほどなく、遠くに見える立派な建物は…なんと国会議事堂、そしてそのはるか彼方には丹沢あたりでしょうか、山並みがくっきりと見えるのです。今では想像もつかないこの眺め、53年前の東京風景、一見の価値がございます。
11月29日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、1959年(昭和34年)制作、野口博志監督「銀座旋風児(マイトガイ)」をご紹介します。
映画の東京、きのうまでは昭和20年代の名作2本、「野良犬」と「東京物語」をご紹介して参りました。実はこの2本、両方とも白黒の映画なんですが、本日は昭和30年代、正に日本映画黄金時代の作品で、画面もカラーになって参ります。
この作品は、小林旭扮する装飾デザイナーにして名探偵、銀座旋風児(せんぷうじ)こと二階堂卓也が、美人助手の浅丘ルリ子、情報屋の宍戸錠らと共に大活躍。戦時中、軍部が隠した財宝の行方に関わる怪事件を解決する、痛快娯楽アクションで、シリーズ化もされました。なんといっても「旋風児」と書いて「マイトガイ」と読ませてしまう、この日活ならではのセンスがたまりません。
マイトガイといえば、小林旭。石原裕次郎と並ぶ、日活の看板スターですね。日活といえば銀座、銀座といえば日活…と言われるほど、当時の日活映画には銀座の場面が数多く登場します。よく裕次郎やアキラ、浅丘ルリ子に宍戸錠といった大スターが現れて撮影などできたものだな…と関心してしまいますが、実はこれ、ほとんどがオープンセット。もちろん、一部には実際の銀座でのロケ風景も含まれますが、当時「東洋一」というスケールが売り物だった、調布・日活撮影所の北半分に作られた常設セット、銀座の街並みをそのまま再現した通称「日活銀座」で撮影されたものだったんです。
このセットができる前は、今日も銀座ロケ、明日も銀座ロケ、やじ馬も集まってくるし面倒くさい、いっそこの際、撮影所に銀座を作っちゃえ! ということで、「撮影しやすい銀座」をこしらえてしまった。ランドマークとしておなじみだった、森永キャラメルの地球儀の形をしたネオンサインなどもきちんと再現。このネオンサイン、撮影所の外からも見えて、付近の住民を驚かせたそうですが、そんなムチャクチャなことができるほど、当時の日本映画には力があったんですね。
銀座の二文字がタイトルに入る日活映画といえば、もう一本、忘れてはいけないのが「銀座の恋の物語」。裕ちゃん、石原裕次郎と浅丘ルリ子の純愛ストーリーで、この映画では、貧しい絵かきの裕次郎が、アルバイトで人力車を引いて銀座を駆け巡ります。まだ都電が走り回る1962年(昭和37年)の懐かしい風景を、たっぷり楽しむことができますよ。
11月30日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、1967年(昭和42年)公開、ルイス・ギルバート監督「007は二度死ぬ」をご紹介します。
1962年(昭和37年)、第一作「007は殺しの番号」、現在は「ドクター・ノオ」と呼ばれている作品で、世界のスクリーンにお目見えしたショーン・コネリーの007。その後オリエント急行、フロリダ、スイス、カリブ海など、世界のリゾートを股にかけ大活躍し、そして1967年(昭和42年)、第五作「007は二度死ぬ」の舞台に選ばれたのが日本でした。
米ソの宇宙船が未確認飛行物体に捕獲される怪事件が起こり、その飛行物体は日本から飛び立っているらしい。正体を探れという密命を受けたボンドは、アクアラングをつけて海から日本に上陸。銀座を通り抜けて、なぜか懐かしい蔵前国技館に登場、当時の横綱・佐田の山から情報を受け取ります。この国技館のシーンでは実際の取組風景も見られますが、観客席に座っている日本人の懐かしいこと!ああ、こんなおじいちゃん、おばあちゃん、あの頃はたくさんいたな…と、昭和40年代をご存じの方なら、皆さん思われること間違いありません。
このあと、ボンドは「大里ケミカル社」という謎の会社に忍び込みますが、この会社、どこからどう見ても、おなじみの、あのホテルニューオータニ。そして、そのあとボンドが謎の女に誘い込まれ、丹波哲郎演じる日本の諜報機関のボス、タイガー田中と面会する場所は、なんと地下鉄丸ノ内線の中野新橋駅。あの貴ノ花部屋のある、若手芸人が大量に住んでいることでおなじみの中野新橋なんです。ボンドはこの駅のホームを走り抜け、さらにタイガー田中の「プライベート・トレイン」だという、あの懐かしい波線模様入りの丸ノ内線の電車に乗り込みます。ストーリーが荒唐無稽、こんな日本人がいるわけない…など、いろいろ文句をつけたくなる方もいらっしゃるでしょう。しかし、60年代の東京を覚えている人間にとっては、実に懐かしい場面の連続。トヨタ2000GTでのカーチェイスでは、東京の町中をフルスピードで走り抜けますが、まだまだ、舗装されてない場所が多いのに驚かされます。およそ60年前の東京は、まだまだホコリっぽい街でした。
懐かしいナンシー・シナトラの歌う主題歌「007は二度死ぬ」は、この作品のDVD、新作「カジノ・ロワイヤル」公開に合わせ、先日再発売されたばかり。我らが浜美枝さんの、美し〜いビキニ姿も、しっかり記録されておりますよ。
12月1日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、1969年(昭和44年)制作、1969年(昭和44年)制作、「男はつらいよ」をご紹介します。
「私、生まれも育ちも葛飾柴又です…」
渥美清演じる車寅次郎のこの名台詞、もちろん、皆様よくご存じですよね。その後、30年近くの長きに渡り、松竹の屋台骨を支えた「寅さん」…「男はつらいよ」シリーズ、第一作が公開されたのは、1969年(昭和44年)のこと。前の年の10月から半年間放映され、大ヒットした同名のテレビドラマを受けた企画でした。テレビ版の最終回で寅さんを殺してしまったところ、視聴者から抗議が殺到したため、スクリーンで復活…といういきさつは、十年前に渥美さんが亡くなったとき、さんざん報道されたため、ご存じの方も多いでしょう。
テレビドラマの制作に際して、まず主人公をテキヤ(露店商)にするという設定が決まり、続いてその故郷をどこにするか。山田洋次さんを始め、プロデューサーの皆さんは、ふさわしい場所を求めて、浦安から始まって、鬼子母神や西新井大師など、都内をあちこち歩き回りました。そして、映画にもたびたび登場する、葛飾柴又・帝釈天の参道にやってきたとき、「ああ、ここだ!」と歓声を上げたんだそうです。柴又は、かの有名な「矢切の渡し」の地元で、江戸川の向こうは、すぐ千葉、松戸。東京でも本当に、いちばん東側に当たる場所なだけに、昔ながらの懐かしい町が、そっくりそのまま残っていました。1969年(昭和44年)公開の第一作では、当時の帝釈天門前町の街並み、江戸川河川敷の光景が、美しいカメラで捕らえられています。
オープニングで寅さんは、矢切の渡しに乗って、祭りで賑わう懐かしい柴又の町に戻ってきますが、「大人 30円、小人 20円」という渡し賃に、時の流れを感じさせられますね。このあと、寅さんは帝釈天の境内に纏を持って乗り込みます。帝釈天の風景は、今とさほど変わっていませんが、それよりもしみじみと感じさせられるのが、人々のファッションの移り変わり。37年前の昭和44年は、まだまだ、和服を着た人が普通に町中を歩いていたということがよくわかります。
「男はつらいよ」第一作を見てしみじみと感じるのは、何よりも主演・渥美清さんが若く、はつらつとしていること。懐かしい柴又の風景の中でいきいきと躍動する渥美さん、その姿を見るにつけ、昭和時代のあれこれを、思い出さずにはいられないのです。ホームパーティなどのお土産に買っていかれる方が多いようですが、確かに、これは話題になるでしょうね。中村さんの30年の菓子職人としての経験は、当然ながら、どら焼きや団子にも生かされております。場所は銀座、お土産に持ち帰る方も多いんです。午後も早い時間に売り切れ…なんてことも多いんです。この店のどら焼きには、ひらがなの「よしや」の焼印が押されています。ひとつひとつ、ご主人が押すんです。
実は、このお店のどら焼きファンは、ご自分の焼印「マイ・焼印」をお持ちの方がいらっしゃるんです。あらかじめ焼印、例えば「邦丸」という焼印を作り、店が預かっているんですね。それで、注文主の焼印の入ったどら焼きが手に入る、というわけなんです。現在、40本ほど預かっているそうです。「よしや」のご主人は、実にマメな方でありまして、店が休みの日には、都内はもとより、各地で和菓子づくりの会の講師をつとめているんです。今年だけでも、すでに15回ほど、およそ600人の方に、和菓子つくりの楽しさを体験していただいたそうです。
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