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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
9月4日(月)〜9月8日(金)
今週のテーマは、「はとバス」
東京の観光といえばお馴染みのはとバスをご紹介します。

9月4日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、はとバスの原型「戦前の東京遊覧コース」をご紹介します。

はとバスの原型といえる東京の定期観光バスの運行が始まったのは、1925年(大正14)のこと。上野駅や新橋駅を出発、1日かけて東京の名所を回るコースでした。震災から復興し、近代的な都市に成長していく東京を見て回るのには絶好だったんです。
はじめの頃の観光の目玉は、関東大震災の年、1923年に完成した丸ビル。当時としては、見上げるばかりの高層ビルでした。当然、車内からは見えにくい。そこで、天井をガラス張りにして見やすくしたんだそうです。すると、ちょっと強い雨が降ると雨漏りがして、乗客は傘をさして都内見物をした…というエピソードが残されています。

一人でも乗れる、途中からでも乗れると人気を集めました。そして、1937年には「夜の遊覧バス」も始まりました。新橋駅を出発、銀座・浅草をめぐり、ダンスホールやカフェ、そして吉原などを巡るコースで、首都東京の夜を楽しめる内容で、これも好評でした。ちなみに乗車料金は、一人2円。現在の価値なら6000円ほどでしょうか。学生・未成年者はご乗車できませんとパンフレットに載っています。しかし、まもなく日中戦争が始まり、夜の遊覧コースは、わずか半年で打ち切りになってしまいました。

そして、1940年(昭和15年)。
「この非常時に、遊覧とは、何事か!」…東京の遊覧バスの運行は、中断されてしまったんですね。
戦争が終わったのは5年後。東京遊覧の観光バスが復活したのは、さらに4年後のことでした。確かに、「観光」というのは、平和な時代でこそ楽しめるものなんですよね。無念の思いで遊覧バスを中断された人たちの思いが、戦後の再スタートで生かされてくるんですが、それは、明日のお楽しみ。



9月5日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「定期観光再開のエピソード」をご紹介します。

戦後の混乱が続いていた1948年(昭和23年)、新日本観光、現在のはとバスが設立されました。「さあ、観光バスを再開するぞ!」…と意気込みましたが、ダメだったんですね。なかったんです。車も燃料もドライバーも手配がつかない。そこで、戦前の定期観光の形ではなく、「団体貸切」からスタートすることになったんです。
再開第一号は、1949年元旦、成田山新勝寺への初詣バス11台が出発しました。最初の頃の団体貸切バス、大変な苦労があったようで、いつも車の手配、燃料の確保に追われていたそうです。

同じ年の3月には、念願の東京定期観光コースが復活しました。ところが、ここでも難問がありました。なにしろ占領中のことですから、観光などは後回し、しかも、燃料が足りない! 苦肉の策で始まったのが、現在も定番コースになっている「半日コース」でした。手軽に都内見物が出来て、燃料の消費も少なくて済む。これは名案でした。苦労の末に、5人のバスガイド一期生による半日コースがスタートしました。

さて、定期観光が再開される時、シンボルマークが作られたんですね。選ばれたのは、ハトでした。安全で早い、なによりも平和のシンボルとされていますよね。1950年に変更されたハトのデザインは好評で、その後39年間も使われました。はとバスという愛称がすっかり定着したために、1963年には会社名を、株式会社はとバス、に変更することになるんですが、それは後の話。

復活した定期観光の半日コース、どんなところを回ったんでしょう。
朝9時に上野駅を出発、皇居前、赤坂離宮・現在の迎賓館を見て、浅草公園から上野公園に回って上野駅に戻る、4時間のコースだったんですね。1949年のこと、料金は250円でした。
戦後の復興が軌道に乗ってくると、さまざまな制約が取り払われていき、念願の一日観光コースや、戦前わずか半年で消えてしまった夜の定期観光コースも復活しました。

急増した外国人観光客向けの商品も作られ、人気コースになったんです。これはデラックスコースでした。浅草を見て、歌舞伎座に立ち寄ったあと、料亭で日本舞踊を見ながら日本食を味わう…という内容。で、料金は2000円! 当時は大学卒の初任給が1万円以下でしたから、ずいぶん贅沢な観光だったんですね。定期観光コースも次第に増え、1955年(昭和30年)には、10コースに増えていました。定期観光が次々に消えていった暗い時代を知っている人にとっては、待ちに待った時代がやってきたんですね。



9月6日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「東京オリンピックや、超高層ビルの出現で東京が大きく変わった時代」をご紹介します。

東京の観光地の中で、三大名所と言われているものがあるんです。ご存知でしたか? 皇居と浅草と東京タワーなんです。東京タワーが完成したのは1958年(昭和33年)12月でした。既に、1956年にボンネットバスに代わる新型車・リアエンジンバスを導入していたはとバスは、昭和30年代に大きく成長しました。経済成長そしてレジャーブーム、大きく変わっていった東京は刺激に満ちた大都会でした。

そして、1964年、東京オリンピック開催。大きな競技場、首都高速道路、そして新幹線。数年前から建設ラッシュとなった東京は、新しい観光資源が出来上がったんですね。実際、オリンピックが始まる前から、終わった4年後まで、はとバスではオリンピックの施設を見学するコースがあったほどで、はとバスの年間利用者数はおよそ123万人に達しました。この記録は、現在も破られていません。

さて皆さん、日本の超高層ビル第一号、ご存知ですよね。霞ヶ関ビル、1968年に完成しました。この後、世界貿易センタービル、京王プラザホテルなどが相次いで建てられ、話題性の高い建物やホテルは、すぐにはとバスのコースに組み込まれていきました。1963年に、現在の社名、株式会社はとバスに変更したことはお話しましたが、1960年代は観光ブームのピークでした。

1970年代になると、新幹線を利用した長距離の旅行や海外旅行が普及してきました。それに加えて、マイカーブームの結果、定期観光の利用者も次第に減ってきます。対抗策は、頭、アイデアでした。新しく開発されたユニークでデラックスなバスを導入したり、東京ならではの華やかな夜の観光コースを作り出しました。超高層ビルからの眺めや、素晴らしい夜景観賞など、従来にはなかった楽しみ方を盛り込んだコースを作り出していったんです。



9月7日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「はとバスのコースの移り変わり」をご紹介します。

58年間のはとバスの歴史は、新しい東京という大都会の楽しさを味わってもらいたいというスタッフの努力の歴史でもありました。東京の三大名所ということを昨日、ご紹介しましたよね。皇居、浅草、そして、東京タワーなんですが、これら定番スポットに加えて、実に多くの場所を、いち早く見学場所に取り入れてきたのが「はとバス」なんですね。はとバスに乗れば、東京がわかる…というのが定期観光の魅力なんですね。

現場の声や、何よりもお客様の声を積極的に取り入れて、より良いコース作りを進めてきたことが「はとバス」の大きな財産になっているんですね。58年前、東京半日コース、商品はこれひとつだけという状態からスタートして、2006年9月現在では、定期観光だけで、およそ90コースあります。これまでにはとバスコースで訪ねたところを、順番に取り上げてみましょう。時代の移り変わりがわかりますよ。

<昭和20年代>
フロリダダンスホール、日劇ミュージックホール
<昭和30年代>
吉原松葉屋、羽田空港、セスナ遊覧飛行、ボウリング、バイキング料理、駒沢公園
<昭和40年代>
霞ヶ関ビル、テーブルマナー、劇団「天井桟敷」、サウナ、ナイトクラブ、泉岳寺
<昭和50年代>
豊川稲荷、ディズニーランド
<平成>
ニューハーフショー、ジュリアナ東京、ゆりかもめ、ディズニーシー、向島の料亭、東京ミレナリオ、六本木ヒルズ、
宝塚、大江戸温泉

人気の移り変わりが、よ〜く分かりますよね。遊覧飛行も、ディズニーランドも、ディスコも何でも楽しめたんですね。戦後まもなく、新幹線が出来る前には、「夜汽車まで時間があるから、はとバスに乗ろうか?」という人も多かったんですね。時間を有効に使って東京観光が出来たんです。実は、現在では、一日で昼のコースと夜のコース、両方に参加するお客様も少なくないそうです。短時間で東京の魅力を堪能できる…この伝統は生きているんですね。

そうそう、お孫さんと一緒に観光を楽しんだり、「修学旅行以来なんですよ…」とバスガイドさんに話しかける中年のお客様も珍しくないそうです。これもはとバスの長い歴史があればこそ、のお話ですよね。短時間で東京の魅力を堪能できる…この伝統は生きているんですね。



9月8日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「半日コースに乗る」をご紹介します。

東京駅丸の内南口のりば。都内に9か所ある「はとバスのりば」で一番大きいんです。朝9時から夕方6時過ぎまで、毎日30台ほどの定期観光バスが出発していきます。はとバスの全身、新日本観光が苦労の末にスタートさせた東京半日コースは、58年たった現在も人気コースのひとつになっていて、およそ5時間かけて、東京の3大名所、皇居・浅草・東京タワー、そしてレインボーブリッジを回ります。料金は5800円。車の手配や、燃料不足のために、やむなく始めた半日コースでしたが、短時間で東京を楽しめることから長い人気商品になっているんです。

現在、はとバスのバスガイドさんは189名、ドライバーは153名。131台の観光バスが活躍しています。ガイドさんの仕事は大変なんですね。新人の研修のお話を伺ったんですが、覚えることが多く、しかも都内だけではなく箱根や日光までも含まれているんですからね。
いいお話を伺いました。新人バスガイドさんが研修を終えて、初乗務、初めてお客さんをのせる日がきました。バスに乗って客席を見ると、なんと、お母さんの姿が…。お母さん、内緒で券を買ったんだそうです。本人は、緊張してさんざんだったそうですが、忘れられない一日になったそうです。

戦後の混乱期にスタートした「はとバス」。これまでの58年間の利用者、およそ4100万人! 東京は、これからも大きく変っていきそうです。4年後には東京駅の赤レンガ駅舎が完成当時のままに復元されます。また、2011年には、下町・墨田区に、高さ600メートルの新タワーが完成します。2016年には、またオリンピックが開催されるかも知れません。知っているようで案外知らない街・東京。レモンイエローのバスに乗って、新しい発見をしてみませんか?



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