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2月27日(月)〜3月3日(金)今週のテーマは、「都バスものがたり」 一番身近な交通機関、都バスのさまざまなエピソードをご紹介します。
2月27日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、「都バスの歴史」をご紹介します。
都バスの前身、東京市営バスが生まれたきっかけは、関東大震災で、地震によって、東京の市電の車両や軌道は大きな被害を受けました。復旧には長い時間がかかったため、応急処置としてのアメリカ製の乗合自動車を走らせことになったのです。準備は急ピッチで進み、地震発生から4ヶ月ほど経った1924年1月、11人乗りのバス44台で営業を開始しました。
現在はというと、70人乗りのバスおよそ1500台で運行されています。最初の路線は、東京駅から渋谷、東京駅から巣鴨の2系統だけで、運賃は10銭で、開業早々の1日の乗客数は、およそ7000人と記録に残っています。ごくごく短期間で廃止されるはずだった市営バスは大好評で、たちまち市内20系統、車両およそ800台に増え、昭和のはじめには、市電と並ぶ市民の足として定着しました。
ところが、戦争の気配が近づいてくると、燃料が不足したため、大部分のバスがガソリンから木炭に切り替えました。戦争中の1943年(昭和18年)、東京市は東京都となりました。空襲が激しくなると、バスも大きな被害を受け、終戦後の数年間は、バスも燃料も不足していたため、一度に多くのお客さんを運ぶことが考えられました。
トレーラー車の定員は、なんと96名と、期待に応えてくれました。日本の復興が一段落すると、バスの利用者が増え、昭和40年代に都電が相次いで廃止されると、都バスは大人気となり、昭和47年度には、1日の利用者が130万人にもなったのです。しかし、その後は地下鉄の開通が続き、新しい地下鉄が出来るとバスの利用者が10万人減る、といわれたほど利用者は減っていきました。
競争相手が増える中で、平成16年度の都バスの1日平均の利用者は、およそ57万人。関東大震災の復旧の一環として始まった都バスは文字通り、東京の成長と共に歩んできた交通機関なのです。
2月28日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「都バスの運賃」をご紹介します。
都バスの前身、東京市営バスが運行を始めた1924年当時の運賃は、1区10銭でした。10銭は、いまの価値に直すと200円から300円程度になります。この運賃10銭の時代はずいぶん長く続き、なんと、30年後の昭和18年まで据え置かれていたのです。終戦直後の激しいインフレの時代は別にして、バスの運賃は緩やかに上がっていき、まさに庶民の味方でした。1965年は20円。1970年、大阪万博が開かれた年には30円。現在の200円になったのは、もう10年以上前になります。
回数券は開業当時からありましたが、割引がなかったため、利用者から不満の声があがり、翌年から「回数券はお得」というシステムになりました。都バスの定期券は、ずっと遅れて昭和18年に初めて登場しました。また、都営地下鉄や都電も利用できる1日乗車券は、1982年(昭和57年)に発売され、発売当時は600円、現在は700円です。1日に何回も利用する方に便利な1日乗車券は、1998年(平成10年)に発売されました。
道路の渋滞がひどく、他の交通機関にお客が流れた時代もありましたが、都バスを取り巻く環境はずいぶん変わってきています。平成12年に都営地下鉄大江戸線が開通し、これにより、JR山手線の内側のほとんどの地域で、鉄道駅に徒歩10分で行けるようになったといわれ、ようやく都バスの持ち味が見直されてきました。生活に欠かせない交通機関として、また楽しい都会生活を味わう時の足として、高く評価されるようになっているのです。東京都のバス事業は黒字で、厳しい競争の中、立派なことです。
3月1日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「都バスの路線」をご紹介します。
都バスの前身、東京市営バスが開業した時、2つの営業系統は合わせて16キロの営業キロ数しかありませんでした。現在の都バスは135系統あり、営業キロ数はおよそ765キロで運行しています。135の区間の平均距離は8キロだそうで、長い区間もあれば、短かい区間もあります。
23区内に限ると、一番長いのは、新宿西口・王子駅の間で、およそ18キロあります。反対に、一番短いのは新橋駅・築地中央市場(しじょう)の間で、およそ1キロです。この路線には、もうひとつ「一番」があるのですが、それは始発の時間で、午前5時16分と、都バス全路線の中で一番早く、魚河岸に買出しに行く人のための足ですから、速いのも当然なのです。
さて、バスの運行本数が一番多いのは、どの路線でしょうか?
それは、新橋・渋谷間を走る01系統で、新橋を出て、オフィス街を抜け、六本木から渋谷まで、とても変化があって華やかな路線です。現在、都バスの車両はおよそ1500両あり、1日に走る距離の合計はおよそ14万4千キロと、毎日地球を3週半している計算になります。
都内の地下鉄の営業キロ数は、この30年ほどの間に、150キロから300キロに増えました。その影響で、バスの利用者が大きく減りましたが、持ち前の便利さを活かして、しっかり存在感をアピールしているのです。
3月2日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「バスガール」をご紹介します。
バスガールといえば、歌にまでうたわれた人気の職業でしたが、実は、都バスの前身、東京市営バスが開業した時は、ワンマンカーでした。でもすぐに方針変更され、バスガールの採用に踏み切ったのです。
1924年(大正13年)12月、66名のバスガール(当時は女子車掌と呼ばれたそうです)が、登場しました。女性の職業が限られていた頃ですから、たちまち人気の職業になりました。当時、「新しき職業婦人」などと呼ばれたそうで、襟が赤、紺のワンピース姿に、ファンも多かったようです。
人気は長く続き、戦後の1958年(昭和33年)には、初代コロンビア・ローズが歌った「東京のバスガール」がヒットしました。都バスのバルガールが一番多かったのは、1963年(昭和38年)で、その数は、およそ2900人でした。
残念ながら、この年をピークに少しずつ減っていき、2年後の1965年に、ワンマンカーが導入され、1979年(昭和54年)に都バスからバスガールがいなくなりました。でも、都バスが女性の職場でなくなったわけではなく、平成4年9月、初の女性運転手がお目見えしました。お客にも好評で、現在では6名の女性運転手が勤務しています。
3月3日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「進化する乗り物・都バス」をご紹介します。
交通機関として、バスには3つの欠点があるそうです。第一、いつ来るかわからない。第二、どこへ行くのか分からない。第三、いつ着くか分からない…の3つです。
でも都バスは、そんな欠点を着実に解決してきており、定時運行を実現するために情報を集め、バス停留所に運行状況を表示する装置を増やしています。「目的地まで、およそ何分で運行しています」という表示を、ご覧になった方も多いことでしょう。バスの正面にある行き先表示も、ずいぶん大きく、見やすくなっています。
便利さでは負けない!…都バスのスタッフは、そう考えています。
都営地下鉄の駅の間隔がおよそ1キロなのに対して、バスの停留所の間隔は、およそ400メートルと、まさに身近な乗り物なのです。利用しやすい工夫も、長〜く続けられてきており、床の低いバスを取り入れたのは、35年前、優先席を設けたのは30年前です。現在では、すべてのバスが床の低いタイプになり、6割ほどがノンステップバスになっています。
ちなみに、都バス1両のお値段はいくらぐらいするか、ご存知でしょうか?
新型ノンステップバスで、2000万円もするそうです。いよいよ春。のんびりとした街歩きにピッタリなのがバス。あなたのプランで、東京歴史探訪をお楽しみください。
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