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2月20日(月)〜2月24日(金)今週は、
スペシャルウィーク特別企画「邦丸黄門漫遊記 富山で印籠丸出しショック!」の旅。みなさんにぜひ召し上がっていただきたい極上の美味、そして一度は泊まってみたいくつろぎの宿を求めて越中富山を縦横無尽に駆け巡った珍道中をご紹介します。
2月20日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、雨晴温泉「磯はなび」をご紹介します。
「ごぜんさま」号は、北陸自動車道を降りて、富山湾へと向かいます。目指すは名湯、雨晴温泉です。雨が晴れると書く「雨晴」という珍しい地名の由来として伝えられているのは、次のような伝説です。
源義経が兄・頼朝に追われ、奥州に落ち延びる途中、この地を通りかかった際、一転にわかにかき曇り、冷たい雨がザザーと落ちて来ました。これは大変、大切な主、義経様を濡らしてなるものか…と、怪力・武蔵坊弁慶があたりの岩をひょいひょいと積み上げ、あっという間に岩屋をこしらえ、ここで雨が上がるのを待った。それ以来、このあたりは「雨が晴れる」「雨晴」と呼ばれるようになった…というわけです。
この一帯の雨晴海岸は、日本海側では珍しい遠浅の海岸で、夏場は海水浴場として賑わうそうですが、現在もその時義経主従が雨宿りしたという、高さ20mの「義経岩」が残っています。そしてその義経岩から500mほど陸地を進んでいくと、目の前に広がるのが温泉旅館・磯はなびです。
どの部屋もオーシャンビューで、海の彼方に立山連峰の雄大な眺めがドーンと広がる風光明媚な場所で、もちろん温泉も絶景そのもの。食事のメインは新鮮な魚介類で、3月一杯まで食べられる大人気の「ブリ大根」は、2日間じっくり煮込んでありますから、骨まで食べられる柔らかさが自慢です。そしてブリ大根のシーズンが終わると、メインはホタルイカの刺身!四季折々の味、そして素晴らしい眺めの温泉。「磯はなび」の石井部長にお話をうかがいました。目の前の海岸に寄せては返す波を見ながら、ブリ大根を肴に、極上の地酒を飲む。誰でも幸せになれるシーサイド・リゾート、それが「磯はなび」です。
2月21日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「氷見フィッシャーマンズ・ワーフ」をご紹介します。
旅の疲れを雨晴温泉で癒した「ごぜんさま」号一行、元気が出てきたらさあ次は食い物だ!…というわけで、能登半島に向かって海岸沿いに走って行くと、ほどなく見えてくるのが、「氷」を「見る」と書く「氷見」の市街です。氷見は漁業の街で、漁港では冬は全国に名高い氷見のブリ、そして夏はマグロを中心に、四季折々、富山湾でとれる新鮮な魚を出荷しています。
今から6年前、氷見漁港の一画に誕生したのが、「氷見フィッシャーマンズワーフ 海鮮館」で、キトキトの海の幸を中心に、その時々の一番おいしいものをお手ごろな値段で手に入れることのできる直販施設です。「道の駅」も兼ねているため、観光情報もたっぷりと用意されており、立ち寄るだけでも損のない場所です。
すぐ脇に作られた「比美乃江大橋」の眺めも美しく、のんびり時間を過ごすにはまたとないスポットですが、それだけでは我慢できないのが邦丸黄門一行は、フィッシャーマンズワーフの中にあるレストラン「さかな工房 鮮」にお邪魔して、旬の魚をたらふくいただきました。お話をうかがったのは、浜井大祐さんです。
「さかな工房 鮮」は、その日水揚げされた新鮮な魚の刺身定食が人気メニューで、特に凝ったことはせず、素材の味そのものを味合わせてくれるのが特徴です。この日食べさせていただいた「めばる」、氷見では「はちめ」と呼ばれていますが、絶品です。
2月22日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「五万石 千里山荘」をご紹介します。
氷見フィッシャーマンズワーフで海の幸を堪能した「ごぜんさま」号の一行は、今度は富山から南へ向かいます。このあたりで有名な行事といえば、なんといっても、毎年9月1日から3日間、全国から観光客が押し寄せる「おわら風の盆」です。太鼓、三味線、そして胡弓をバックに、八尾(やつお)の人々が歌い、踊りながら町を練り歩きます。
かつては山あいの町のこぢんまりとしたお祭りでしたが、1985年(昭和60年)に高橋治さんの小説「風の盆恋唄」が出版され、ドラマ化されると一気にブレイクし、石川さゆりさんの同名の大ヒット曲も生まれ、今ではラッシュ時の山手線のように、押すな押すなの大混雑で、往年の情緒は薄れてしまったと言います。
風の盆が始まったのは元禄時代で、最初は庶民の生活を面白おかしく表現しながら、町の中を練り歩いたそうですが、それが次第に洗練され、歌詞の中に「大笑い」という言葉を挟んで踊ったのが、「おわら」の語源だと言われています。明治時代になると、「風の盆」を特徴づける楽器、胡弓が使われ始め、独特のエキゾチックな雰囲気が醸し出されるようになっていきました。
そんな情緒を感じさせる八尾のすぐ北、婦中にあるのが、「五万石 千里(ちさと)山荘」です。富山料理ならここが一番といわれ、市内にいくつもの店を持つ、「五万石」チェーンの一軒です。千里山荘は、泊まりがけの宴会もできる本館、そして離れのような別館、茶室、ガーデンパーティも開ける4千坪の大庭園が広がる大規模な施設です。その中でもひときわ目立つ、富山・五箇山から移築してきた合掌造りの建物で、村さんにお話を伺いました。もちろん富山まで出かけていただいても結構ですが、実は東京・千駄ヶ谷にもお店があります。その日の朝、上がった魚を直送して使いますから、まったく同じ味が食べられます。3月からはホタルイカ、5月にはシロエビのかき揚げが最高。東京の中の富山も、ぜひ一度、訪れてみてください。
2月23日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「ますのすし」をご紹介します。
富山料理を満喫した「ごぜんさま」号は、こんどは富山市内に戻って来ました。富山名物の中でも、駅弁大会などには欠かせない逸品といえば、新鮮なマスを材料に使った「マス寿司」です。市内には「マス寿司」業者が30軒以上もあり、それぞれ秘伝の味を競い合っているわけですが、その中でも「この店はンマイ!」とグルメたちに認められているのが、お邪魔した「寿々屋」さん。石井はるみさんにお話を伺いました。
マスは日本海でとれたキトキトのサクラマスで、さばいたものから骨を取り、薄く削いで塩漬け、さらに自家製のタレに漬け込みます。そしてご飯は富山産の吟味したコシヒカリ。その日その日の気象条件に合わせ、ベストのご飯が炊けるよう、水加減を微妙に調節しているそうです。ここまで丁寧な仕事をしているために、そんなに数が作れないのが寿々屋さんの「マス寿司」。東京では日本橋高島屋で手に入るほか、直販もあります。
朝こしらえたます寿司は、その日の夕方か、翌日が食べごろで、パッケージを開き、寿司を包んだクマザサを広げていくと、笹のなんとも言えないいい香りが漂い、食欲を刺激されます。そしてトロリとしたマスと、ほどよい堅さのご飯の絶妙のコンビネーションは実に芸術的です。
マス寿司の歴史は古く、文献によれば、今から280年ほど前の享保年間、富山藩士の吉村新八さんという方が、現在と同じ製法で寿司をこしらえて、時の富山藩主・前田利興(としおき)公に差し上げました。するとお殿さまは「これはウマイ!江戸の将軍様にも召し上がっていただこう」と、時の将軍、八代・吉宗公に献上しました。この寿司を食べた吉宗公は、大変に喜び、それ以来、富山名物として現代に至るという次第です。
2月24日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「宇奈月温泉・延対寺荘」をご紹介します。
旅の疲れを癒してくれるのは、なんといっても温泉です。ワゴン車「ごぜんさま」号は、富山から東に向かい、黒部川に沿って峡谷に入っていきます。目的地は名湯・宇奈月温泉。宇奈月温泉は、黒部峡谷の玄関口にあたり、人気の高いトロッコ電車、黒部峡谷鉄道の起点でもあるため、年間を通じて観光客が絶え間なく訪れます。
温泉自体の歴史は比較的新しく、大正12年(1923年)、電源開発の基地として開かれました。危険な山奥で働く屈強な男たちに、この温泉でリラックスしてもらおう…というわけです。
宇奈月温泉のお湯は、およそ7キロ上流にある黒薙(くろなぎ)温泉の98度の源泉をパイプで引き入れて使っています。流れてくる間に温度は63度になりますが、それでも入浴用にはまだ熱いので、さらに冷まさなければなりません。これを水でうめてしまえば一番簡単ですが、ご紹介する延対寺荘ではそんなことはせず、冷却装置を使って、入浴に適した温度まで冷ましています。薄めていないから、源泉そのままの良さが生かされ、純粋な天然温泉の魅力を存分に楽しめる、源泉かけ流しの宿です。延対寺社長に、お話を伺いました。
断崖絶壁に立つ絶景の宿と抜群の温泉、そして新鮮な海の幸を十分お楽しみください。宇奈月はまた、多くの文人墨客に愛された温泉でもあり、延対寺荘には与謝野晶子、川端康成、竹久夢二といった人々が訪れています。日本一美しいといわれる黒部川を見下ろしながら温泉につかり、そしてここでも富山湾で取れたばかりのキトキトの魚を食べ、お酒を飲んで、ゆったりとくつろいで…そして富山の夜は静かにふけていくのでした。
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