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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
1月10日(火)〜1月13日(金)今週のテーマは、「東京ラグビー名所探訪」
ラグビーにゆかりの深い場所をご紹介します。


1月9日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
コーナーはお休みしました。

1月10日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「秩父宮ラグビー場」をご紹介します。

地下鉄銀座線・外苑前駅を降りて、神宮球場方面に歩いていくと、ほどなく右側に見えてくるのが、日本ラグビーの「聖地」、秩父宮ラグビー場です。西の花園ラグビー場と並んで、日本では数少ない、本格的なラグビー専用のスタジアムです。ラグビーシーズンともなりますと、トップリーグや大学リーグの好カードが毎週のように行なわれ、スタンドには昔からのラグビー好きのオジサンや、いかつい男達に引かれて集まってくる妙齢の美女たちが詰めかけ、華やかな雰囲気に包まれます。

このラグビー場が完成したのは1947年(昭和22年)で、当時は「東京ラグビー場」と名付けられていましたが、6年後の1953年(昭和28年)、当時ラグビー協会の総裁だった秩父宮雍仁(やすひと)親王の逝去に当たり、現在の名前に改められました。秩父宮さまは、1902年(明治35年)にお生まれになった昭和天皇の弟で、陸軍士官学校から、イギリスのラグビーの名門・オクスフォード大学に留学されています。
大変スポーツがお好きだった方で、「スポーツの宮様」として人気を集められましたが、肺結核を患われ、わずか51歳の若さで、亡くなられました。登山、スキー、ボートなどが大好きだったということですが、宮様がもっとも愛したスポーツがラグビーで、21歳のときに初めて試合をご覧になって以来、この肉弾あいうつスポーツの虜となり、生涯、そのよき理解者として競技の発展のため、惜しみない努力を続けられました。オクスフォード時代は、有名なケンブリッジとの対抗戦をご覧になり、同行した友人に「今日の試合は面白かったねえ」と、しみじみ感想を述べられたそうです。

戦後、東京ラグビー場が建設されることになったときには、わざわざ工事現場に足を運ばれて、建築会社の担当者に、「ラグビー協会は貧乏だからよろしく頼むよ」と、わざわざ頭をお下げになったのだそうです。 そんな宮様の思いの込められたラグビー場ですから、ゲームが見やすいのも道理です。収容人員こそおよそ2万5千と国立に劣りますが、目の前で選手たちが激突し、その音がじかに響いてくる迫力は、グラウンドが遠い国立では決して味わえないものです。冬でも鮮やかな緑の芝生の上で戦う選手たちを、秩父宮さまは、遠い空の上から、今でもニコニコと笑顔で応援し続けてくださっているのではないでしょうか。



1月11日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「上井草界隈」をご紹介します。

大学ラグビー界の雄、といえば真っ先に名前が上がるのが、早稲田大学です。「アルティメイト・クラッシュ」…「完膚無きまで叩きのめす」を合い言葉に、史上最強の呼び声も高い今シーズンのチームは、多くのラグビー・ファンを楽しませてくれました。その早稲田ラグビー部が、3年前から新たな本拠地としているのが「上井草」です。以前は、同じ西武新宿線の東伏見にグラウンドがありましたが、石神井川の改修工事のため閉鎖されることになり、少しだけ都心に近い、上井草に移ってきました。駅から徒歩2分と交通アクセスも抜群のため、連日、練習を見学するファンの姿が絶えることがありません。
芝生が整備された美しいグラウンドでは、間近で選手を見られますし、ゲームが行なわれるときは、関係者の近くで耳をそばだてていると、面白いウワサや的確な解説が聞こえてきたりして、ファンにはたまらない空間になっています。早稲田のグラウンドは、戦前のプロ野球・東京セネタースが本拠地とした「上井草球場」のすぐ隣です。

上井草は、高田馬場から電車でわずか14分ですが、周りにはまだまだ畑も多く、郊外を感じさせる街で、かつては道も狭く、急な坂が多かったのだそうですが、戦前から宅地化を見据え、区画整理が行なわれていただけに、街並みにも落ち着きがあるのが特徴です。
地名の由来は、善福寺池や妙正寺池、石神井池など水の豊かな湿地帯で、そこに畳の原料となる「藺草」が生えていたから…というものや、同じくそうした池に草がたくさん生えていて「池の草」が縮まって「いぐさ」になった、というものなど、いくつか説がありますが、真相はわかりません。

早稲田ラグビーと並ぶ、もうひとつのこの街の名物は、「機動戦士ガンダム」シリーズや、「犬夜叉」などを制作する「サンライズ」など、十数社に及ぶアニメ関連会社が集まっているのです。そのため、駅前商店街は、早稲田ラグビーの旗と、ガンダムだらけ。ミスマッチなような気もしますが、不思議と調和しているのが、いかにも21世紀的です。まだ早稲田ラグビーが引っ越してきてからわずか3年ですから、これから徐々に時間をかけて、風景の中に溶け込んでいくのでしょう。



1月12日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「八幡山界隈」をご紹介します。

東京・世田谷区八幡山は、八幡山…というから、山があるのかと思うとそうではなく、あたりは見渡す限り、平坦な地形です。実はこのあたりに八幡様があり、その境内の森を地元の住民たちが「八幡山」と呼んでいたところから、この名前がついたのだとか。
そして八幡山といえば、かつて早稲田の好敵手として数々の名勝負を繰り広げた、明治大学ラグビー部の本拠地です。毎年12月始めに行なわれる早稲田との定期戦のチケットはプラチナペーパーとまで呼ばれたものでした。残念なことにここ数年、明治には往年の力がなく、今シーズンも大学選手権に駒を進めることはできたものの、1回戦で大阪体育大学にあえなく敗れてしまいました。大学ラグビーファンたちはその再起を心から願っていますが、果たして来シーズンはどうなるでしょうか。

かつて、ここ八幡山に暮らした「北島忠治」という一人の男がいました。
ご存じの方も多い、大学ラグビー界のカリスマでした。1901年(明治34年)に生まれた北島さんは、1929年(昭和4年)に明治ラグビー部の監督に就任しました。ラグビーを始めてすぐに、これは一生の仕事だと思ったんだ…生前そんな風に話されていた北島さんは、1996年(平成8年)5月に95歳で天寿を全うするまで、実に67年の長きに渡り監督を勤め上げた、正に男の中の男です。

北島監督のラグビー哲学は、実にシンプルなものでした。

「前へ」

この一言にすべてが集約されています。「ボールを持ったら1メートル右に行くな。30センチ前へ出ろ」これが北島監督の教えでした。ひたすら、前へ、前へ。華麗なオープン攻撃よりも、ひたすらフォワードで押しまくる。重戦車と呼ばれたフォワードの圧力に耐えきれず、相手チームのスクラムは次々に突き崩されていきました。どんな展開であろうとも、何も考えず、ひたすら前へ押す明治フォワードに、あるときイライラした敵の選手がこう言いました。

「おいメイジ、もっと頭を使え!」

すると明治のフォワードは何も言わず、その敵めがけて「ガツン!」と頭突きをひとつ、食らわせたんだそうです。



1月13日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、ちょっと東京を離れ、関東を代表するラグビーの街「埼玉県熊谷」をご紹介します。

東京から上越・長野新幹線でおよそ40分の埼玉県熊谷市は「ラグビーの街」として知られています。中心になるのが、熊谷スポーツ文化公園にあるラグビー場で、中でもメインとなるAグラウンドは収容人員2万4千と、秩父宮ラグビー場と肩を並べる大きさを誇り、シーズンともなるとトップリーグや大学リーグ、選手権などの大きな試合が毎週のように開催されます。3年前には、日本代表がトンガ代表を迎えて、初めてのテストマッチも行われ、ラグビーの街・熊谷の新たな勲章となりました。

なぜ、熊谷でラグビーが盛んになったのか…と言いますと、きっかけは1967年(昭和42年)の埼玉国体で、ラグビー競技が熊谷で行われたことでした。この時、地元チーム強化のために「教員=先生」として、ラグビー選手を大量に採用しました。国体が終わった後も選手たちは熊谷周辺に残り、地道に種を蒔き続け、長い時間をかけて、ラグビーの魅力が熊谷に浸透していったというわけです。

熊谷と言って、忘れてはいけないのが、平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取った源氏の武将で、源頼朝が「日本一の剛の者」と手放しで褒めたという熊谷直実(くまがいなおざね)です。熊谷駅前には、長崎の平和祈念像で知られる北村西望作の、馬に乗った直実の見事な像が建てられています。
一ノ谷の戦いに敗れ、船に乗って逃げようとする敦盛を呼び止めて、激しい戦いの末組み伏せた直実。いざ首を落とそうとカブトを持ってねじ上げてみると、年の頃なら十六七、眩しいほどの美少年でした。ちょうど息子と同じ年頃でもあり、命を奪うのはしのびない。もはや戦は源氏の大勝利、ここで一人を見逃したところでどうということはないだろう…と思ったものの、後ろには源氏の軍勢が押し寄せて来ています。こうなってはせめて自分の手で討ち果たそう…と、涙をのんで刀を振り下ろしました。

後に直実は敦盛の菩提を弔うため出家し、諸国を回ったと伝えられています。それからおよそ800年を隔てた現在、直実の故郷・熊谷に、毎年高校生ラガーが集まり、全国高校選抜ラグビー選手権が開催されています。討たれた敦盛と同じ年頃の少年たちが、満開の桜の下、青春を謳歌します。今年の大会は、4月3日、開幕予定です。



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