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12月5日(月)〜12月8日(木)のテーマは「東京・忠臣蔵紀行」 12月14日の「赤穂浪士の討ち入りの日」にちなんで、忠臣蔵の舞台となった場所を訪ねるます。また、9日(金)は、スペシャルウィーク特別企画「邦丸黄門このプレゼントが目に入らぬかスペシャル」の旅、茨城を縦横無尽に駆け巡った珍道中をご紹介します。
12月5日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
1701年(元禄14年)3月14日、江戸城本丸御殿、松の廊下。
長さおよそ50メートル、幅4メートルほどの大きな廊下です。朝廷の使者を迎え大切な儀式が始まる直前で、張りつめた空気が漂っていました。
午前11時頃、突然、
「この間(かん)の遺恨、覚えたるか!」
かん高い声が響き、悲鳴が聞こえました。これが、討ち入りまで1年9ヶ月にわたる大騒動の発端になったのです。
刃傷に及んだのは、播州・赤穂(現在の兵庫県赤穂市)の藩主・浅野内匠頭。切られたのは、殿中の儀式一切を取り仕切っていた高家(こうけ)吉良上野介でした。取り押さえられた内匠頭は、簡単な取調べを受けたあと、カゴで愛宕下の田村右京太夫の屋敷に送られ、処分を待つことになります。
浅野内匠頭の屋敷は、現在の中央区明石町にありました。現在、聖路加病院があるあたりで、屋敷の広さはおよそ9000坪!病院の敷地の一画に、「浅野家上屋敷跡」の石碑が建てられています。
「殿ご刃傷!」
の第一報を届けるための早カゴが出発したのは、その日の正午頃とも、午後2時頃とも言われています。赤穂までの、160里およそ640キロを早カゴは走り続け、4日半後に播州・赤穂に到着しました。使者は、飲まず食わず、不眠不休、大変だったことでしょう。
ちなみに、今ならどの位時間がかかるのでしょう?
午後2時に聖路加病院を出発、歩いて東京駅へ。14時33分発の「のぞみ81号・岡山行き」に乗れます。姫路と相生(あいおい)で乗り換えて、播州赤穂駅到着は18時47分、その日の午後7時頃には赤穂城に第一報を届けることが出来ます。
事件の発端になった松の廊下跡は、皇居・東御苑(ひがしぎょえん)にあります。この公園は、旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸などを含む広い区域で、都会の真ん中とは思えない静かな空間です。入場は無料で、1968年(昭和43年)から一般公開されています。ただし、月曜日と金曜日は休園です。
木々の繁った一画に、「松の廊下跡」と記された小さな石碑があります。注意しないと見落としてしまうほどです。
東御苑の最寄り駅は、地下鉄大手町駅と竹橋駅です。
12月6日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
1701年(元禄14年)3月14日。松の廊下で刃傷に及び、芝・愛宕下の田村右京太夫の屋敷に預けられた浅野内匠頭に、領地没収、身は切腹、という厳しい処分が下されます。被害者の吉良上野介は、お咎めなし。余りに早い決定が、後に大きな問題を引き起こすのです。
映画などでお馴染みの場面ですが、側近に別れを告げ、浅野内匠頭は静かに最期の時を迎えた…と伝わっています。内匠頭、享年35歳。内匠頭のなきがらは、高輪にある菩提寺・泉岳寺に葬られました。辞世の句が残されています。
風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残りを いかにとやせん
港区新橋4丁目。田村右京太夫の屋敷があった場所です。日比谷通りに面して、『浅野内匠頭終焉(しゅうえん)の地』という大きな石碑が建っています。切腹から240周年を記念して、地元の有志によって作られました。終焉の地は、JR・新橋駅と都営地下鉄三田線の御成門駅です。
相次ぐ悲報を受けて、播州赤穂は大混乱。これを国家老・大石内蔵助が見事におさめ、復讐を誓う同志をまとめて討ち入りを実現する、みなさんがよくご存知の展開になっていきます。
江戸でも動きがあります。吉良上野介は高家の職をしりぞき、その年、元禄14年8月には隅田川対岸・本所に移ります。敷地2550坪、ひときわ大きい屋敷だったようです。現在、屋敷跡の一部が「松坂町公園」として保存されています。最寄り駅は、JR総武線と都営地下鉄・大江戸線の両国駅です。
この事件には謎が多いといわれています。最大の謎は、あの刃傷の原因です。事件の直後から今日まで、実に多くの説がいわれてきましたが、みんなが納得できるものはありません。恐らく、永遠に謎のままなのでしょう。
刃傷の被害者である吉良上野介も不運な人でした。事件から300年以上たっても、まだ悪役の代表のように言われているのですから…。領地であった愛知県幡豆郡(はずぐん)吉良町では、今でも名君として慕われていて、文化人としての一面も明らかになるなど、正反対の評価がされています。
12月7日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
元禄15年12月14日、深夜。播州赤穂の浪士47人は、本所・吉良邸の表門・裏門の二手に分かれて討ち入りました。予想もしていなかった吉良側は防戦一方。激闘2時間、夜明けが迫った頃、隠居・上野介は発見され、討ち取られてしまいました。
四十七士は主君が眠る泉岳寺に向かいます。両国から高輪・泉岳寺までは3里およそ12キロありますが、一行は3時間ほどで歩いた、と記録にあります。途中で同志の一人、寺坂吉右衛門が姿を消しました。やがて、幕府の指示に従って4つの組に分けられて大名に預けられました。
浪士の処分については、幕府のなかでも意見が分かれました。「助けよ!」という者、「厳罰に処せ!」という者、なかなか結論が出なかったようです。しかし、結局、全員死罪ということで決着しました。1703年(元禄16年)2月4日、全員が切腹し、主君の後を追いました。同じ日、吉良家の当主・吉良義周(よしちか)は信州・高遠に流され、3年後に病気でなくなります。
赤穂浪士は泉岳寺に葬られました。後に寺坂吉右衛門の墓も加わり、四十七士の墓が揃いました。高輪の泉岳寺には、一年を通じて訪れる人が多く、12月14日の討ち入り当日は線香の煙が絶えることがありません。泉岳寺の最寄り駅は、都営地下鉄浅草線の泉岳寺駅です。
浪士の討ち入りは、大きな話題になることはありませんでした。多数の浪人が江戸市中で幕府の元高官を殺害したのですから、大事件ではありましたが、やがて収まっていきました。意外な展開によって後の時代にまで語り継がれるような事件になっていくのです。名作「仮名手本忠臣蔵」が上演されたのは、奇しくも事件から47年目のことでした。
12月8日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
「忠臣蔵」のことを、最近は別の表現をすることが多くなってきました。歴史上の事件を指す場合には、芝居や映画でお馴染みの「忠臣蔵」と区別して、『元禄赤穂事件』と呼ぶようになっています。
最近では、これまで悪役とされてきた吉良上野介という人物を見直す動きも出てきています。吉良上野介の墓に詣でる人が増えていることも嬉しい変化です。中野区上高田にある萬昌院功運寺(ばんしょういん・こううんじ)では、12月15日の午前中に法要が行われています。このお寺は、吉良家の菩提寺で、吉良家代々の墓のほかに、主君を守って討ち死にした家臣たちの慰霊碑も建てられています。最寄り駅は、東京メトロ東西線の落合駅です。
また、墨田区両国3丁目にある松坂町公園では、日にちを分けて、吉良側と浅野側、両方の慰霊祭が行われています。吉良側の慰霊祭・吉良祭を主催している松坂睦(まつざかむつみ)の松川さん・浜村さん・村田さんに松坂町公園でお話を伺いました。
昨年の吉良祭は4万人の人出がありました。今年は、12月10日(土曜日)と11日(日曜日)に行われます。地元では、吉良上野介のことを、親しみをこめて「吉良さん」と呼ぶそうです。偶然ですが、吉良家の領地だった愛知県吉良町での呼び名と同じなのです。
今年も元禄赤穂事件を扱った小説が続けて発売されました。1冊は、吉良家の親戚である上杉家から見た討ち入り。そして、もう1冊は、吉良側から描いた討ち入りです。謎が多く、江戸時代最大の事件となった忠臣蔵、いや、元禄赤穂事件はまだまだ新しい解釈が出来そうです。
3年前の討ち入り300周年あたりから、両国から高輪の泉岳寺までおよそ12キロを、昔のルート通りに歩く人が増えています。一人でもグループでも、ゆっくり歩くと新しい発見があるかも知れません。
12月9日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、スペシャルウィーク特別企画「邦丸黄門このプレゼントが目に入らぬかスペシャル」の旅、茨城を縦横無尽に駆け巡った珍道中「大洗海岸」をご紹介します。
今回もおなじみワゴン車「ごぜんさま」号の旅が始まります。目的地が茨城県だけに、野村邦丸が黄門様、そしてお供の助さんに放送作家のヘラカタヘラト、格さんには野村コンサルタント平社員のヒルトンというこの3人で絶品グルメや、くつろぎの宿をこらしめるという趣向です。
東京・四谷からまずは常磐自動車道に乗って、常陸の国へと向かいます。最初の目的地「大洗」は、目の前にどこまでも真っ青な太平洋が広がって潮風の香りがたまらない、漁業と観光の街です。
どの宿も、太平洋から上ってくる朝日の眺めが売り物ですが、その中でもひときわ大きく立派なのが「茨交大洗ホテル」です。「茨交」とは、「茨城交通」の略で、アクセントは「いバこー」。これが、「いバコー」になると「茨城高校」と、高校の名前になってしまいます。地元の皆さんは、アクセントだけで、どちらのことか瞬時に判断できてしまうのです。その「茨交大洗ホテル」の自慢は、なんといっても9階にある、眼下に太平洋の黒潮を見下ろす大浴場の絶景です。邦丸黄門常陸漫遊の旅、初日はこの極上のお風呂につかりながら、大洗ホテル、根本恒一(こういち)さんにお話を伺いました。
これからの季節は何といってもアンコウです。毎晩吊るし切りの実演ショウも楽しめます。もちろんこちらのホテルでは、春はハマグリ、夏はカキ、そして秋の戻りガツオに冬のアンコウと、四季を通じて絶品を楽しめます。また夏場は、目の前が海水浴場になりますし、ホテルの敷地内のプールでも楽しめます。海沿いに少し脚を伸ばせば、これまた絶景の大洗磯前神社があります。八十八段の石段を上ると、これまた目の前に太平洋の水平線、そして境内には、早くも来年の干支「イヌ」の描かれた大きな絵馬が飾ってありました。
四季を通じて楽しめる、命の洗濯スポット「大洗」。皆さんもぜひ一度、訪れてみてください。
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