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7月11日(月)〜7月15日(金)今週のテーマはは「夏を待つ」 夏本番を心待ちにしている方々をご紹介します。
7月11日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
第1回は、かき氷です。
荒川区西日暮里。
JR日暮里駅から谷中銀座に向かって、ホンの1分。
有名な「ゆうやけだんだん」の手前に、甘味と食事の店
花家(はなや)があります。
先代がこの地に店を開いたのは、1945年(昭和20年)、
終戦直後のこと。今年で60周年を迎えます。
谷中や根津を巡る人たちにとって、この店は格好の休息所です。
かき氷は6月末に始まり、10月上旬までの季節商品です。
夏のピークともなれば、1日に4、50杯も注文があるといいます。
ちなみにお値段は、氷イチゴなどの色物――こう呼ぶそうですーーが
470円、氷あずきは600円です。
昨年、新しい機械に替えました。音は小さいですが、かなりの
パワーです。
昔に比べると、かき氷の種類は増えました。
少し迷って、アイスクリームやソフトクリームをトッピング。ほんの
一瞬ですが、汗がひいていきます。
ついでに、こめかみのあたりに軽い痛みが走ったりして、いかにも
夏ならではのことです。
花火大会や縁日では、人気抜群の「かき氷」。
銀座あたりでは1000円を超えるものが多いのですが、ここ日暮里
では、お手頃な値段になっています。
花家のスタッフが心がけていることがあります。
それは、注文を受けたら、出来るだけ早く出すこと。
今年88歳、まだまだお元気な先代のおかみさんの教え、
「かき氷は早く出せ!」が守られているんですね。
おやおや、またお客様のようですね。
7月12日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、東京湾の納涼船です。
芝浦。竹芝桟橋。午後7時15分。
東海汽船の納涼船「さるびあ丸」が出港します。
2時間たらずのミニクルーズですが、今夜もにぎわいを見せています。
東京湾の納涼船が始まったのは、1950年(昭和25年)。
途切れることなく続けられ、56回目のシーズンを迎えました。
今年は、7月1日から9月25日まで、87日間運航されます。
記録的な猛暑だった昨年は、乗船客数が10万人を突破、東海汽船では
今年も「暑い夏」を願っています。
「飲み放題」のシステムを取り入れたのは30年ほど前。
ビール・ワイン・ソフトドリンクなどが用意されています。
ちなみに、今年は乗船料込みで2500円、中高生は1000円、
小学生は500円です。
この納涼船、これまでにいろいろなアイデアが盛り込まれてきました。
最近のヒットは、ゆかた。
2001年(平成13年)から、「ゆかた」で乗船の方は1000円引き、としました。
これが大ヒット。
船内が華やかになり、納涼ムード満点。年々ゆかた姿が増え、昨年は
全体の約20パーセント、2万人がゆかた姿で乗船したそうです。
ゆかた効果もあってか、女性の割合が年々増え、昨年は女性52パーセント、
男性48パーセントとはじめて女性が多くなりました。
ショータイムを盛り上げる「ゆかたダンサーズ」が登場したのは6年前。
ビールを飲みながら夜景も楽しめます。
人気のアトラクションが最高潮に達したころ、ミニクルーズは終わりに
近づいています。
7月13日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、銀座のビヤホールです。
中央区銀座7丁目。
ライオン銀座7丁目店があります。
この建物が完成したのは1934年(昭和9年)。
当時の大日本麦酒(ビール)株式会社の本社ビルとして作られました。
建築設計者は、菅原栄蔵(すがわら・えいぞう)。
余りの見事なできばえに、完成当時は見学者が絶えなかったそうです。
1階はビヤホールとなり、銀座の商店主やサラリーマン、学生など
広い層に愛され、銀座の名所になりました。
1978年(昭和53年)、建物の改修が行われましたが、生ビールの
殿堂・・・というイメージを変えないように十分に注意して実施されました。
完成から70年余りが過ぎ、祖父の代、父親の代からの愛好家も含め、
毎日にぎわっています。
おいしいビールが飲める店、という評価は変わっていません。
現在、お客さんのテーブルに届けられるビールの温度は4度から5度。
地下に置かれたタンクの温度は零度から2度ですから、冷たいまま
飲めるように工夫されているんです。
戦前からの伝統は受け継がれていて、「ビールつぎ名人」が1杯1杯、
ベストコンディションの生ビールを注いでいます。
スタッフのサービスの良さも昔のまま。
この店の「つまみ」の種類の多いこと。
定番の塩エンドウ豆のほか、ニシンの酢漬けやミニプレッツェル(塩パン)
が人気です。
1階の客席に落ち着いたら、正面の大壁画をごらんください。
ビール麦の収穫をテーマに、250色のガラスモザイクを使って
作られました。
正面と左右の壁に取り付けられている大小10面の壁画は、昭和初期の
日本の工芸技術の高いレベルを今に伝えています。
高い天井と広い空間の中で味わうビールは、格別の味です。
銀座に出たら必ずここに立ち寄る、とおっしゃる方も多く、
今年の夏もまさしく銀座のオアシスになっているんです。
7月14日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、街の氷屋さんです。
千代田区内幸町。
帝国ホテルの近くに中央冷凍産業の本社があります。
先代が創業したのが1946年(昭和21年)。
もうすぐ、60周年を迎えます。
銀座をはじめ、都内の広い範囲の得意先に氷を納めています。
氷は料理屋や寿司屋に根強い人気があります。
電気冷蔵庫は乾燥しやすいのですが、氷なら湿度を保ちながら冷やして
くれ、臭いが残ることもないため・・・と伺いました。
わが国で機械で氷を作る技術が広まったのは明治時代中期のこと。
それまでは、どうしていたんでしょうか?
実は、さまざまに工夫して天然の氷を使っていたんですね。
奈良県奈良市。東大寺の近くに、氷室(ひむろ)神社があります。
氷室は、天然の氷を切り出して、夏まで保存しておくための場所なんですね。
古くは「日本書紀」や「枕草子」に夏に氷を味わう様子が出てきますが、
貴族や一部権力者だけに許された贅沢だったんですね。
下って江戸時代。
加賀百万石前田家は、毎年、夏になると氷室に保存してあった氷を
早飛脚で江戸の将軍に献上していました。
明治時代の初め。
天然の氷を汽船で東京に運んで大成功した商人がいます。
アメリカのボストン、函館、諏訪湖などから運んだ氷を保存して、
夏に売ったんですね。
この頃から、一般の人でも楽しめるようになってきました。
さて、現代の話。
機械で作られる氷の重さは1本が135キロあります。
これを届け先の前の道路で大きなノコギリを使って切っているのを、よく
見かけたものですが、最近はあらかじめ小分けして運ぶことが多いようです。
銀座の老舗のバーでは、届けられた氷を、一晩冷凍庫に入れておき、
翌日に使うそうです。
氷が締まって、より良い状態になるから、と教えてくれました。
7月15日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終回は、江戸風鈴です。
東京都江戸川区篠崎(しのざき)。
篠原儀治(しのはら・よしはる)さんの工房があります。
ここで1年間に作られる江戸風鈴の数は、およそ10万個。
風鈴あるいはガラス風鈴と呼ばれていたものを、「江戸風鈴」と
名付けたのは、儀治さんです。
父、又平(またへい)さんの教えを受けて風鈴作りを始めて、間もなく
70年。昨年、名誉都民に選ばれました。
江戸時代の中頃、長崎から伝わったビードロ(ガラス)を使って風鈴が作られました。
江戸時代も末にちかくなると、安いガラス風鈴が作られるようになり、
季節の風物詩として定着しました。
路の温度は、およそ1350度。
作業場の温度は、気温より10度から15度も高くなります。
溶けた材料をすくい取り、風鈴の形が出来上がっていく工程は、
まるで手品を見ているようです。
これで形は完成。
風鈴の下の部分がザラザラしているのにはわけがあります。
滑らかだと音がよくないので、わざとザラザラに仕上げているんです。
これは江戸風鈴の特長のひとつです。
この後は絵付け作業です。
主な絵柄は24種類ですが、漫画を描いたり、サッカーボールを書いたり
新しい試みも取り入れています。
篠原さんのお店は家族的な雰囲気が漂っています。
息子の裕(ゆたか)さんをはじめ、ご家族7人と2人のお弟子さん。
9名で一切を切り盛りしているんです。
風鈴づくりのピークは、意外にも9月から3月までだそうです。
5月頃からは、全国のデパートで開かれる実演や即売の準備が始まり、
出荷に追われるため、作る量は減るんですね。
8月末になると、風鈴の季節も終わります。
毎年、9月のはじめに10日間ほどの休業。そして次の季節の準備が
始まるんです。
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