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4月25日(月)〜29日(金)のテーマ「東京の地名」 歴史に登場した場所、そして由緒ある地名を取り上げます。
4月25日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、文京区弥生です。
1884年(明治17年)3月、当時の本郷区向ヶ岡(ほんごうく・むこうがおか)
貝塚で大きな発見がありました。
発掘されたのは、全く新しい種類の土器。それまでに知られていた縄文式土器とは
違う、簡素な造りの壷だったのです。
今から121年前のことです。
その後、同じ種類の土器が全国各地で相次いで発見されました。
10年後の1894年(明治27年)、最初に発見された地名、本郷区向ヶ岡弥生町にちなんで、弥生式土器と命名されました。
歴史の教科書でお馴染みの「弥生式土器」の誕生です。
地名の起こりは次の通りです。
江戸時代、弥生町のあたりには、水戸藩の中屋敷でした。
藩主徳川斉昭(なりあき)が庭に立てた石碑に書かれた歌から、弥生の地名が生まれたのです。
1965年(昭和40年)、法律による町名変更が実施され、弥生町の名は消えました。
しかし、由緒ある町名を保存すべきだ、という声が起こりました。
詩人サトウハチローらの住民や、文化人による熱心な運動が実を結んだのです。
1967年(昭和42年)1月、弥生の町名は復活、歴史的な発見を今に伝えているのです。
地下鉄千代田線の根岸駅から5分ほど、言問通りの坂を上りきった左側に、
「弥生式土器発掘ゆかりの地」という石碑が建っています。
東大農学部と工学部の広いキャンパスに囲まれた一画です。
近くには、長い歴史をうかがわせる史跡が多いんですね。
谷中、根津、千駄木をひとまとめにした「谷根千」(やねせん)や、文豪の住居跡が多い
本郷もすぐ近く。
都営地下鉄南北線が開通したことで、さらに便利になりました。
坂の多い地区です。街歩きはウォーキングシューズで出掛けましょう。
4月26日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、港区愛宕(あたご)です。
江戸の人々にとって、愛宕山は、ごく近くにある信仰と行楽の場であったようです。
神社の創建は1603年(慶長8年)。
徳川幕府が出来た年です。
初代将軍徳川家康の命によって、江戸の防火と防災の神様としてまつられました。
そのため、境内のいたるところで葵の紋が見られます。
防火と防災のほか、商売繁盛と出世の神様としても信仰されています。
愛宕山は海抜26メートル。
頂上から江戸を一望できることで知られていました。花見、紅葉、月見と、四季おりおりに賑わいました。
浮世絵にも描かれるほどに名高い名所だったのです。
愛宕神社の石段は86段あります。
寛永三馬術でお馴染みの曲垣平九郎(まがき・へいくろう)が馬で駆け登った石段。
別名「出世の石段」としても知られています。
石段の傾斜は、35度とも、45度とも言われています。ぜひ。お試しください。
愛宕山は、日本の歴史を変えた事件にも関わりがあります。
1860年(安政7年)3月、大老井伊直弼が江戸城桜田門外で暗殺されました。
「桜田門外の変」です。
襲撃した水戸藩士と薩摩藩士の集合場所が、ここ愛宕山の山頂だったのです。
目の前には芝浦の海、眼下には東海道。遠く伊豆半島や房総半島も見えました。
江戸時代も終わり近くに、頂上から写されたパノラマ写真が残っています。
当時、愛宕山の南側の一帯は、愛宕下と呼ばれ、大名屋敷や旗本屋敷が立ち並んでいました。
イギリス人写真家ベアトの作品は、落ち着きのある江戸の風景を見事に伝えています。
文明開化の世になっても、この山は東京を代表する名所でした。
鉄道唱歌の歌詞を思い出してください。
はるか後年、町名変更の波が押し寄せ、山の名にちなんで付けられた町名が消えることになったのです。
住民による猛烈な反対運動が起こりました。
そして、ついに歴史ある「愛宕」の町名は残ったのです。
愛宕神社の石段下には、住民による「愛宕の町名存続達成記念」の碑が建っています。
ここはまた、我が国ラジオ放送発祥の地でもあります。
1925年(大正14年)、NHKラジオ放送の第一声が流されたのです。
現在は、近くに高層ビルが立ち並び、景色を楽しむことは出来なくなりました。
でも、神社や近くのお寺は、昔のままに残されています。
夕方、近くの青松寺(せいしょうじ)の鐘が鳴ります。
新しい活力と、伝統の魅力が一体になった街、それが港区愛宕です。
4月27日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、千代田区神田です。
江戸時代、神田は「職人の街」と言われていました。
しかし、神田の範囲はとても広く、東側と西側では様子が大きく違っていました。
東側、現在のJR神田駅や秋葉原駅を中心とした地区は、町人の街。
これに対して、西側、現在の神田書店街からJR水道橋駅にかけては武家地に
なっていました。
「芝で生まれて神田で育ち」は、江戸っ子の売りでした。
彼ら江戸っ子が粋な遊びや、粋な言葉遣いを心がけたのは、大きな功績といって
いいでしょう。
職人たちの鼻息が荒かったのには訳がありました。
繰り返し大火に見舞われた江戸。
火事が多ければ、建築の需要も多くなります。
その上、商人たちは素早く復興することを競っていました。大量の木材、瓦などの
需要は常にありました。
職人、とりわけ腕の良い職人は引っ張りだこだったのです。
今では想像も出来ませんが、戦前、東京一、人出が多いのは神田須田町でした。
当時、一番便利な乗り物だった市電は、実に10系統が須田町を通っていたのです。
映画館や寄席も多く、人の流れが途切れることはなかった・・・といいます。
神田に「やぶ」や「まつや」、「伊勢源」などの名店、有名な和菓子屋、洋菓子屋が多いのは、戦前の繁盛の名残りです。
神田の西半分を占めた武家地は、その後どうなったのでしょう。
明治時代になってから、大きく変わりました。
大学になったり、教員や学生の必需品である本を扱う書店街や出版社に変わっていきました。
明治大学、日本大学、そして専修大学。あるいは、世界有数の規模といわれる神田書店街がそれです。
さらに、大手出版社が集まっているのも、その名残りです。
東京は、明治時代から現在まで、一貫して日本の印刷業や出版業の中心です。
レベルの高い仕事で地位を築いたためで、ここにも職人の技術の高さが活かされて
いたのです。
その意味で、神田は昔も今も職人の街だ、と言えるでしょう。
職業にちなんだ町名としては、
鍛冶職人が多かった、神田鍛冶町(かんだかじちょう)
染物屋が多かった、神田紺屋町(かんだこんやちょう)
乗り物つくりの職人の町、神田北乗物町(かんだきたのりものちょう)
が残っています。
また、雅な地名としては、
神田練塀町(かんだねりべいちょう) をあげておきましょう。
4月28日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、中央区日本橋です。
江戸時代からの古い町名を一番多く残しているのは、日本橋でしょう。
ここは町人の街。
流通・商業・金融の中心地として栄えました。
五街道の起点であり、日本のすべての道路の起点を示す日本道路元票(げんぴょう)は、橋の中央の道路上に置かれています。
近くには、金座が置かれていました。金座は1595年(文禄4年)に作られ、1869(明治2年)に廃止されるまで、金貨を作り続けました。
金座の跡地は、現在は、日本銀行になっています。
銀貨を作っていた跡は、銀座という地名になっていますが、金座の名は消えてしまいました。
日本橋川の北岸一帯には、魚河岸がありました。
1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受け、築地に移転するまでの300年、
魚市場が置かれていたのです。
今でも、この付近を歩くと、海産物の店や問屋があり、伝統の名残りを留めています。
江戸時代から大正時代にかけて、日本橋界隈には、呉服屋、装飾品店、有名料亭などが
多く、名実ともに日本一の繁栄を見せていました。
1962年(昭和37年)に公布された「住居表示法」により、全国的に新しい町名への切り替えが進みました。
幸い、日本橋地区は、頭に「日本橋」を冠する形で以前からの町名を残す方針が決まったのです。
その結果、古い町名の多くが残されることになりました。
日本橋が商業で栄える以前は、漁師町でした。
それを示す町名としては、
日本橋小網町(にほんばしこあみちょう)
日本橋小舟町(にほんばしこふねちょう)
日本橋蠣殻町(にほんばしかきがらちょう)
などがあります。
また、商業や手工業をあらわす町名もあります。
日本橋小伝馬町(にほんばしこでんまちょう)
日本橋馬喰町(にほんばしばくろちょう)
どちらも、運送にたずさわる商売です。
日本橋人形町(にほんばしにんぎょうちょう)
こちらは、人形職人さんの町ですね。
しかし、保存された町名ばかりではありません。
例えば、「両国」という町名は消えてしまいました。
現在では、両国といえば、大相撲で知られる墨田区の地名という印象ですが、
以前は、両国橋をはさんで、中央区と墨田区の両方にあったんです。
中央区は両国、墨田区は東両国という町名だったものが、片方は消滅、そして、
墨田区の方は、東が取れて「両国」になりました。
最近、中央区の住民による「両国」の旧町名を復活させる動きが起きていると
聞きました。
日本橋界隈は、史跡の多いところです。江戸の発展の跡や、有名人の住居跡、
歴史的な建築物なども数多く残されています。
また、街歩きに便利な案内板も整備されています。
地図を手に、史跡めぐりをしてみませんか?
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