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4月11日(月)〜15日(金)のテーマ「東京の商店街」 特徴のある、活気のある商店街を取り上げます。
4月11日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、品川区の戸越銀座商店街(とごしぎんざ・しょうてんがい)です。
戸越の地名は、江戸を越える村という意味。
東海道にも近いところから、「とごえ」「とごし」になったと言われます。
全長1600メートルという大型商店街ですが、ここは全国に300ほどあると
言われる【○○商店街】の第1号なのです。
命名のきっかけはレンガ。
水はけの悪かった戸越の通りに、1923年(大正12年)の関東大震災で被害を
受けた銀座のレンガを譲り受けて敷き詰めました。
これが縁となり、1927年(昭和2年)に商店街が出来る時に、銀座の名称を
譲り受けたのです。
実は、本家銀座のガス灯用の耐火レンガは、戸越の近くの北品川で作られたものでした。
商店街の一画に、レンガと記念碑が置かれています。
戸越銀座商店街は、三つの商店街で構成されています。
合計400店ほど。
それぞれの商店街が協力しつつ、競争しています。
そのうちの一つ、銀六商店街は、新しく出来た駅から遠いため、初めの頃の有利な
立場を失っていました。
銀六商店街に活気を取り戻すための対策が考えられました。
商店街のメンバーの話し合いから生まれたのが、「とごしぎんざ」というオリジナル ブランドの開発でした。
1999年(平成11年)に、水や原料を選び抜いた純米酒などを発売。
地域限定商品ということが話題になり、ヒット商品となりました。
オリジナル商品には、すべて「江戸越えの街 とごしぎんざ」というロゴマークがつけられています。
通りには、ロゴの看板やのれんも飾られ、力の入れ具合が感じられます。
オリジナル商品の開発は続いています。発売6年目になる現在では、33品目に増えました。
どの商品も、材料厳選、手作り、無添加などの特徴があります。
しかも、お手軽価格。
210円の根付けから、4179円の腕時計まで。
珍しい商店街オリジナル商品は、お土産や贈答用に使われています。
わざわざ遠くから買いに来るお客様も多いそうで、
「お客様とのコミュニケーションが増えた」そんな手ごたえを感じた
商店街のメンバーは、次の活性化へのアイデアづくりに取り組んでいるのです。
4月12日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、豊島区にある巣鴨地蔵通り商店街です。
「とげぬき地蔵」で知られる高岩寺(こうがんじ)は、台東区下谷から巣鴨に
移ってきました。
1891年(明治24年)のことです。
病気であったり、家族や知人が病気の方が全快を祈って訪れます。
本堂の左手に置かれているのが洗い観音。いつも順番を待つ人の列が出来ています。
患部、病気の部分と同じ場所を水で洗うと、願いが叶うとされています。
以前は、タワシでこすっていましたが、観音像の減り方が激しいので。現在は、
タオルを使っています。
この付近は、江戸時代からお寺が多いことで有名でした。
商店街の通りは、江戸五街道のひとつ中山道そのものです。
巣鴨は日本橋から一里。
最初の宿場、板橋との中間点です。
江戸時代、巣鴨の名物は種(たね)でした。
茶店と共に、旅人相手に野菜や花の種を売る店が並んでいました。
現在、全長800メートルほどの通りに、約200の商店と飲食店が並んでいます。
普通、商店街の通行量は3000人ほどと言われます。
ここ巣鴨地蔵通り商店街は、平日2万〜3万人、縁日のある4の付く日や、日曜日
には5万人にもなります。
この商店街はリピーターが多いのも特徴です。
全体の7割ほどが女性で、50歳代から60歳代が中心とか。
「おばあちゃんの原宿」といわれたほどには、年齢は高くないのです。
お参りを済ませた後は、顔見知りの店員がいる店めぐり、その後は、商店街をのんびり
歩きます。
この街では、バリアフリーは遥か昔に達成済みです。
ここでは、車や自転車ではなく、歩行者が主役です。
業種で多いのは、健康食品、和菓子、衣料品、履物など。
パン屋、豆屋、お茶やさんも多いですね。大学イモも売ってます。
滞在時間は平均2時間。かなり長めです。
この街の居心地の良さがうかがえます。
腰掛けて休める場所も多く、手頃な値段の「おみやげ」を選ぶのも
楽しみのうちです。
この商店街の加盟店では、いくつかの申し合わせがあります。
その一つが、大きな値札、大きな文字。
次に、漢字とひらがなを使うこと。カタカナやローマ字は禁物です。
商店街全体がお年寄りの側に立った配慮をしていることがわかりますね。
JR、地下鉄、バス、都電と、交通の便の良さも人気の秘密。
今日もたくさんの参詣客で賑わっていることでしょう。
近くには有名人が眠る寺も多く、有名人墓地めぐりをするグループも多く
なっているようです。
4月13日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、台東区の「かっぱ橋道具街」です。
かっぱ橋道具街には、調理器具と台所用品を扱う店が集まっています。規模の大きさは、世界一です。
誕生の発端は、昔この通りを流れていた新堀川(しんぼりがわ)沿いに、家具や什器を
再生して販売する業者がいたこと。
1910年代はじめ、大正時代初期には、数軒の道具商が営業を始めました。
現在では、200軒以上の業者が集まっています。
「かっぱ橋」の由来については二つの説があります。
第一は、川沿いにあった大名屋敷にちなんだもの。屋敷の下級武士が内職で作っていた
合羽(かっぱ)を近くの橋に干していて、この名がついたというのです。
もう一つは、水路を整備した人物にちなんだものです。
工事を行ったのは合羽屋喜八(かっぱや・きはち)という人物。工事が難航するのを
見て、隅田川のカッパたちが手伝い工事がはかどりました。これによって、かっぱの名がついた、というのです。
この街では、厨房器具から食器、包装材料まで、プロ用から家庭用まで、料理に関する
ものなら何でも揃います。
脱サラして飲食店を開くのが静かなブームですが、この街に来れば、すべての準備を 一度で済ますことが出来ます。
最近は、口コミやガイドブックで知った外国人客の姿も目立ちます。
彼らに人気なのが、食品サンプル。
精巧な出来ばえが好評で、土産に買って帰る人が多いと聞きました。
最近はミニサイズのものが出回っていますが、外国人客は、なぜか実物大のものを
買うそうです。
人気のあるのが、そば打ち道具。こね鉢や、のし板、包丁などの一式5点セットで、
3万円前後のものが売れ筋とか。
「そばさろん・やぶきた」では、毎週木曜日にそば打ち教室を開いています。
大型のガラスケースを売っている店で面白い話をうかがいました。
人気のフィギュアのコレクター向けに、ガラスケースがよく売れる、というのです。
意外な利用法があるものですね。
このお店、度会(わたらい)ウインド製作所では、ビー玉も売っています。
インテリアに使ったり、アクセサリーにしたり、用途はいろいろあるようです。
カラフルなビー玉、1個5円より。
造花を売る店では、年間に5種類ほどの花が交代で主役をつとめます。造花の世界
にも季節の変化があるんですね。
調理のプロから女子高生までが集まる街。
見て歩くだけでも十分に楽しめる商店街、それが「かっぱ橋道具街」です。
4月14日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、台東区の「アメ横」です。
庶民的な雰囲気で親しまれているアメ横。
400とも500とも言われる商店が密集しています。
ここは、第二次世界大戦後、またたく間に出来上がった街です。
アメ横の由来は、
アメリカ製品が売られていたからとも、当時は貴重品だったアメを売る店が多かった
から、とも言われます。
本当のところは分かりません。
終戦直後の、物資が不足していた時代でも、ここには憧れのアメリカ製の商品が溢れて
いました。
アメリカの香りが充満していた街、それが「アメ横」だったのです。
「舶来品」が有難かった時代です。
ジーンズブームや外国製化粧品は、この街から全国に広まっていったのです。
現在は、スポーツ用品や、靴、衣料品、時計の店が増え、相変わらずの賑わいです。
若い客層が増えた分、商品構成も変ってきました。
アメ横のもう一つの顔は、食料品街。
師走になると、必ずマスコミに登場しますね。
海産物を中心に、あらゆる食料品を取り扱っています。
店員さんの元気な声が響き、夕方ともなれば、大変な人出です。
値引き交渉も、ここでの楽しみですね。
アメ横の「安さ」と「品揃えの豊富さ」は、海外にも知られています。
最近、店頭にハングル文字の看板や表示が目立つようになりました。
また、外国人観光客向けのガイドブックには、東京のおすすめスポットとして
必ず紹介されています。
ともあれ、この街が持っている底抜けの明るさは、変わることがないようです。
新幹線の始発が東京駅に変わっても、この街には影響ありません。
相変わらず、列車に乗る前に、アメ横で土産を買う人は多いようです。
この商店街は着実に進化しています。
JR上野駅と御徒町駅を結ぶ通りを中心に、範囲が広がっています。
アメ横の近くに、個性的な街が二つあります。
一つは、通称コリアンタウン。戦後すぐから営業している店も含め、30軒ほどの
韓国料理店と食材の店が、人気を集めています。
もう一つは御徒町ジュエリー問屋街。
ダイヤモンドや金製品を扱う店が500軒ほど。こちらは急速に大きくなった街です。
二つの街のエネルギーも取り込んで、アメ横のパワーは衰えを知りません。
4月15日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、中央区にある「築地場外市場」です。
築地の中央卸売市場は、文句なしに世界最大の規模です。
ここは世界中の食材が集まる場所。
仕入れ業者は夜明け前から動き始めます。
そして、交通機関がラッシュを迎える頃には、一段落しています。
築地という地名、これは「つき固めて作った土地」という意味です。
江戸時代初期に、神田山を崩して埋め立てたとされています。
日本橋にあった魚市場が築地に移ったのは、1923年(大正12年)のこと。
関東大震災で日本橋にあった市場が壊滅したため、海軍用地だった築地が
代地となったのです。
築地は海軍との縁が深い土地です。
1869年(明治2年)、海軍操錬所が設けられ、翌年には兵学寮と変わります。
さらに、1876年(明治9年)に海軍兵学校となります。
兵学校は1888年(明治21年)、広島県江田島に移転します。
築地には、その後、海軍の教育機関が置かれていましたが、関東大震災で被害を
受けた魚河岸が移転してきたのです。
現在の築地。
一般の人も買い物が出来る場外市場が賑わっています。
新鮮な材料を格安で!
そんな主婦の願いが叶う場所。活気に満ちた商店を見るだけで、元気になりそう。
まさに、大人のテーマパークです。
昼時ともなれば、和食を中心に、新鮮で格安な味を楽しめます。
安いものばかりではありません。
ある寿司屋の人気メニューは4000円近い値段ですが、行列が絶えないほどの
繁盛ぶりです。
築地では、食料品ばかりでなく、調味料や発泡スチロールの皿、ポリ袋なども売っています。文化祭や運動会のシーズンになると、学生たちの買出し姿が多くなります。
ウォーターフロントブームとあって、築地の近くにも大きな施設が出来ています。
それらの観光を兼ねたグループも増えています。
立地の良さと知名度の高さを活かして、この市場はまだまだ人気を集めそうです。
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