May 17, 2010 11:15 PM
スタッフ日記~76、77~
どうも、番組スタッフの剣持です。
第76・77回のゲストは、ジャーナリストで
慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所講師の河内孝さん!!
インターネットの普及による、ラジオ・テレビ・新聞・雑誌業界への影響と
今後について、お話を伺いました。
【プロフィール】
1944年 東京都のお生まれ
慶応大学法学部卒業後
毎日新聞に入社
社会部、政治部、ワシントン支局、外信部長、
社長室長、常務取締役を経たのち
2006年 退任
現在は国際厚生事業団理事の傍ら、慶応大学、東京福祉大学で
講師を務めていらっしゃいます。
主な著書に『新聞社ー破綻したビジネスモデル』などがあります。
Q.新聞社に入ろうと思われたきっかけは?
僕は、高校で2年間放浪してたんですよ…
だから、普通の会社に入って、同い年の奴に『コラッ!!』なんて
上から物を言われても不愉快じゃないですか?出世も出来そうにないし…
そこで、“新聞社なら、わりと自由で好きなことが出来そうだ”…と
考えたのが志望理由です(笑)
Q.新聞社ではどのようなことをされていたのでしょうか?
一番最初は、当時、成田空港を作っている頃で、その反対派と機動隊との間で
死者をも出す激しい闘争が起きており、ひたすらバタバタしていた…。
それから社会部へ行ったのですが、警視庁担当の時に、
三菱重工爆破事件という連続爆破事件があり、それの取材をしました。
そしてその後は、三木・福田・大平・鈴木・中曽根・竹下と
12~13年間、政治部に居まして…
ワシントン支局では2回の大統領選と、あとは湾岸戦争が記憶に残ってますね。
Q.2006年 退任の理由は?
新聞記者と言うのはやはり、いつまでも新聞記者をやっていたいのですが、
何故かその中から経営陣を出さざるを得ない。
アメリカなんかだとオーナーがいるから、
新聞記者は一生新聞記者をやっていられるんですけど…
日本は普通の株式会社である為、サラリーマンがだんだん上に
上がっていくシステムに則らなければいけない。
そういったことで、私も社長室とかなんかをやったんですけど…
僕は“新聞の今の形は、ビジネスモデルとしては完全に終わってる”と、
当時から思っていたので、ちょっと改革を急ぎ過ぎる姿勢が強く、
社内でいろいろと難しい立場になってしまった。
僕が身を引いたらケンカが治まる…というようなこともあったので退任しました。
…という新聞記者時代のお話から、今年1月に発売された
河内孝さんがお書きになった本『次に来るメディアは何か』についても伺いました!!
詳しくはそちらをご覧ください。
そしてリクエスト曲は、
学生の頃、ビートルズを初めて聴いて『なんだこれは!?』と
衝撃を受けた世代の河内さんが選ぶ1曲…
そして、仕事で凹んだ時に勇気付けられた1曲ということでコチラ…
河内孝さんのリクエスト曲♪イマジン/ジョン・レノン
♪ウィーアーザチャンピョン/クウィーン
投稿者 newsclub : 11:15 PM