May 31, 2010 11:33 PM
スタッフ日記~78、79~
どうも、番組スタッフの剣持です。
第78・79回のゲストは、共同通信社社会部・記者の澤野林太郎さん!!
2009年11月から今年3月まで南極観測隊に同行取材された澤野さんに、
「南極」についての素朴な疑問、そして観測隊の仕事から基地での
生活の様子などを伺いました。
【プロフィール】
1974年 盛岡市のお生まれ
早稲田大学教育学部卒
1999年 共同通信社入社
津支局、札幌支社、外信部などを経て
2008年 社会部へ
2008年の北京オリンピックでは、聖火リレーの取材で中国チベットの
チョモランマにおよそ3週間滞在した
Q.澤野さんは共同通信社で、普段はどんなお仕事をされてるんですか?
今は、農水省と消費者庁担当で、主に“食の安全”を専門にやっているのですが、
事件があれば、現場に行ったり…と、なんでもやっています!!
ニュースの卸問屋のような仕事をしていますので、日本・世界中にいる特配員から
情報を集めて、どこよりも早くニュースを出すと言うのが我々の一番の役目。
(北京オリンピック・聖火リレーの取材のため、中国チベットのチョモランマに
およそ3週間滞在した経緯から)
暴動があった後の、とても緊迫した状況での取材。
外国人記者は数名しか入れない中…
さらには、標高5千メートルくらいまで行く為、
高山病になり下山を余儀なくされる方も居た。
僕は鍛えて行ったので大丈夫でした!!
まあ、仕事と言いつつ、半分趣味もあるんです(笑)
ああいう“極地”とか“自分しか行けないような場所”って、
新聞記者だと結構行くチャンスがあるので、
そういう所を探して、挑戦する!!というのが。
Q.南極観測船・新“しらせ”の船内はどんな感じなんですか?
寝ているときも、氷と船体のぶつかる音が“ガンガン”と、
船のそこから悲鳴のように聞こえてくる。
衝撃ももちろんある。
南極に行くにも勿論、訓練(夏合宿・冬合宿)があって、
体力づくりやロープ技術などを学ぶ。
もう楽しかったね(笑)
不便なことと言えば、家族に会えない事ぐらい…
Q.どういう経緯で行くことになったんですか?
南極観測の同行記者と言うのは毎年、文部科学省の記者クラブの中から
手を上げた会社が選ばれて行くのですが、
今年は2つの枠に対し3つの会社が手を挙げたので抽選によって選ばれた。
一般の人でも行くチャンスは何個かあります!!
一番可能性が高いのは、海上事自衛隊員になること。
あとは、研究者になり、南極の氷や大気の研究をする。
その他、料理人や医者、山岳ガイドをする人など…
それから、一般公募を毎年しているので、応募してみたらもしかしたら
自分の特技を生かせる分野があるかもしれない。
200~300万あれば、南極に行くツアーなどもある。
機会があるならば、ぜひ行ってみて下さい!!
…と仰る澤野さんのリクエスト曲は、
以前北海道で鈴木宗雄さんの担当をしていた時に、思わず泣いてしまった曲。
そして…
『こんなすばらしい世界があるんだ!!』と思わされる曲。ということでコチラ…
澤野林太郎さんのリクエスト曲♪大空と大地の中で/松山千春
♪このすばらしき世界/ルイアームストロング
投稿者 newsclub : 11:33 PM
May 30, 2010 07:48 AM
第78、79回のゲストは澤野林太郎さんでした!
2010.5.23 & 5.30 OA
投稿者 newsclub : 07:48 AM
May 27, 2010 09:56 PM
東京大学にて!番組公開収録のお知らせです!
5月29日(土) 番組公開収録のお知らせです!
昨年秋、一橋大学の学園祭に呼ばれた淳さん・・・
今回は、東京大学の学園祭「五月祭」に乗り込みます!!
昨年夏の衆院選の際、文化放送にて行なった公開収録にゲストできてくださった
学生団体ivoteの皆さんと一緒に、日本の未来を考えます。
お時間ある方、ぜひ東京大学・本郷キャンパスに足をお運びください!
なお、放送は6月6日、6月13日の2週に渡って予定をしています。
【公開収録】
日時 :2010年5月29日(土)11:30~13:00
場所 :東京大学本郷キャンパス 法文2号館 文1大教室
登壇者 :ロンドンブーツ1号2号田村淳
東京大学政策ビジョン研究センター長 森田朗教授
学生団体ivote代表 原田謙介(東京大学4年)
定員 :250名(なお、満席の場合は入場を制限させて頂きます)
入場料 :無料
問合せ先:office@i-vote.jp
五月祭HP:http://www.a103.net/may/83/visitor/show.php?id=417
ivoteHP :http://www.i-vote.jp/
投稿者 newsclub : 09:56 PM
May 18, 2010 11:41 PM
第78回、79回は・・・
今度のゲストは
5月23日、30日(日)、朝7時~ 澤野林太郎さん
(共同通信社社会部・記者)
2009年11月から今年3月まで、南極観測隊に同行取材された澤野さんに、
「南極」の様々な疑問について、観測隊の仕事から基地での生活、
地球温暖化の現状など、お話を伺います。
リスナーの皆さんからの質問もお待ちしています!
投稿者 newsclub : 11:41 PM
May 17, 2010 11:15 PM
スタッフ日記~76、77~
どうも、番組スタッフの剣持です。
第76・77回のゲストは、ジャーナリストで
慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所講師の河内孝さん!!
インターネットの普及による、ラジオ・テレビ・新聞・雑誌業界への影響と
今後について、お話を伺いました。
【プロフィール】
1944年 東京都のお生まれ
慶応大学法学部卒業後
毎日新聞に入社
社会部、政治部、ワシントン支局、外信部長、
社長室長、常務取締役を経たのち
2006年 退任
現在は国際厚生事業団理事の傍ら、慶応大学、東京福祉大学で
講師を務めていらっしゃいます。
主な著書に『新聞社ー破綻したビジネスモデル』などがあります。
Q.新聞社に入ろうと思われたきっかけは?
僕は、高校で2年間放浪してたんですよ…
だから、普通の会社に入って、同い年の奴に『コラッ!!』なんて
上から物を言われても不愉快じゃないですか?出世も出来そうにないし…
そこで、“新聞社なら、わりと自由で好きなことが出来そうだ”…と
考えたのが志望理由です(笑)
Q.新聞社ではどのようなことをされていたのでしょうか?
一番最初は、当時、成田空港を作っている頃で、その反対派と機動隊との間で
死者をも出す激しい闘争が起きており、ひたすらバタバタしていた…。
それから社会部へ行ったのですが、警視庁担当の時に、
三菱重工爆破事件という連続爆破事件があり、それの取材をしました。
そしてその後は、三木・福田・大平・鈴木・中曽根・竹下と
12~13年間、政治部に居まして…
ワシントン支局では2回の大統領選と、あとは湾岸戦争が記憶に残ってますね。
Q.2006年 退任の理由は?
新聞記者と言うのはやはり、いつまでも新聞記者をやっていたいのですが、
何故かその中から経営陣を出さざるを得ない。
アメリカなんかだとオーナーがいるから、
新聞記者は一生新聞記者をやっていられるんですけど…
日本は普通の株式会社である為、サラリーマンがだんだん上に
上がっていくシステムに則らなければいけない。
そういったことで、私も社長室とかなんかをやったんですけど…
僕は“新聞の今の形は、ビジネスモデルとしては完全に終わってる”と、
当時から思っていたので、ちょっと改革を急ぎ過ぎる姿勢が強く、
社内でいろいろと難しい立場になってしまった。
僕が身を引いたらケンカが治まる…というようなこともあったので退任しました。
…という新聞記者時代のお話から、今年1月に発売された
河内孝さんがお書きになった本『次に来るメディアは何か』についても伺いました!!
詳しくはそちらをご覧ください。
そしてリクエスト曲は、
学生の頃、ビートルズを初めて聴いて『なんだこれは!?』と
衝撃を受けた世代の河内さんが選ぶ1曲…
そして、仕事で凹んだ時に勇気付けられた1曲ということでコチラ…
河内孝さんのリクエスト曲♪イマジン/ジョン・レノン
♪ウィーアーザチャンピョン/クウィーン
投稿者 newsclub : 11:15 PM
May 16, 2010 07:46 AM
第76、77回のゲストは 河内孝さんでした!
2010.5.9 & 5.16 OA
投稿者 newsclub : 07:46 AM
May 04, 2010 11:28 PM
第76回、77回は・・・
今度のゲストは
5月9日、16日(日)、朝7時~ 河内孝さん
(ジャーナリスト:慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所講師)
インターネットの普及により、ラジオ・テレビ、新聞、雑誌などの
日本のメディア業界は岐路に立たされています。
特に若者の新聞離れ、テレビ視聴の多様化、
IPサイマルラジオのスタートなどの事例から日本のメディア産業の未来について、
「次に来るメディアは何か」の著者、河内孝さんにお話を伺います。
リスナーの皆さんからの質問もお待ちしています!
投稿者 newsclub : 11:28 PM
May 03, 2010 10:05 PM
スタッフ日記~74、75~
どうも、番組スタッフの剣持です。
第74・75回のゲストは、みんなの党参議院議員の川田龍平さん!!
「薬害エイズ事件」について、また、
“知られざる永田町の実態”についてお話を伺いました。
【プロフィール】
1976年 東京都小平市のお生まれ。
生後6ヶ月で血友病と診断され、
治療のための輸入血液製剤投与によりHIVに感染。
1993年 「薬害エイズ事件」の国と製薬会社の責任を問う、
東京HIV訴訟の原告に加わり
1995年 実名を公表。
1996年 実質原告勝訴の形で和解したが、
それ以降も薬害エイズの真相と責任を追及し続ける。
その後、衆議院議員となった母・川田悦子氏の秘書を経て、
2007年 参議院選挙に無所属で立候補し、当選。
現在は、環境委員会に所属し「いのちを最優先にする社会」を実現するため、
医療の教育問題に取り組んでいらっしゃいます。
Q.HIV治療の現状は?
薬の値段は非常に高くて、
それを飲み続けることが出来るのは経済的にも裕福な方。
しかし日本はまだ健康保険という医療制度があるので、
値段を抑えて(高額医療費で)飲めたり…
裁判で国・製薬会社と和解したことによって、薬害によるエイズだけでなく、
性行為によって感染した人たちに対しても
キチンと治療を提供できるような体制が作られ、
今はだいぶ治療を受けやすくなってきている。
今のこの治療体制を維持すると共に、検査の体制・相談の体制・医療の体制の
3つを整えていくことが必要。
Q.19歳という若さで、実名を公表するのは勇気がいったのでは?
当時は、周りで次々と同年代の友達が亡くなっていく…という状況の中で、
“自分もそんなに長くは生きられないだろう…”と思ってた。
しかし、アメリカでジョナサン君という…自分より年の若い子が、
皆の前で堂々とカミングアウトをしているのを見た時に、
“自分にも何か出来ることがないだろうか?”“私も、隠れずに堂々と生きていきたい!!”と
考えるようになり、決意したのが19歳だった。
Q.参議院選挙に立候補しようと思ったのは?
大学の講師を4年間やった中で、学生が勉強したくても
家計の事情で出来ない・続けられない環境になってきている…
という現状を目の当たりにしたこと。
そして、障害者・難病を抱えた人たちが、医療や福祉を受けにくくなってきていること…。
それらを受け、
“力の弱い人達がどんどん切り捨てられていくような
…そんな社会にしてはいけない!!”
“医療と教育の面をしっかりと充実させ、
安心して暮らせる社会の仕組みを作りたい!!”
という思いから、政治に取り組もうと考えた。
Q.現在は、どのような活動をされているのですか?
参議院議員では環境委員会に所属していて、今、自分としては
厚生労働委員会に入りたいと思っている。
そこの中で、医療に関すること…
特に命に関わる問題をしっかりやっていきたいと思っています。
“患者の視点が生かされた医療政策というものをつくっていきたい!!”
というところで、今現在、マニフェスト作りを進めています。
…というお話でした。その他にも、“永田町の実態”について、
川田さんならではの視点でお話ししていただきました。
そちらは是非、川田さんがお書きになった本
『誰もかけなかった国会議員の話』でご確認ください!!
カラオケでよく歌われるという曲。そして反面教師の意を込めた、
川田さんのリクエスト曲はこちら…
川田龍平さんのリクエスト曲♪Starting Over/レミオロメン
♪国会議員体操/嘉門達夫
投稿者 newsclub : 10:05 PM
May 02, 2010 08:01 AM
第74、75回のゲストは川田龍平さんでした!
2010.4.25 & 5.2 OA
投稿者 newsclub : 08:01 AM