毎週土曜日、2時間の生放送!

「このニュース、一体どうなっているの?」
「どの情報を頼ればいいの?」

ニュースを読み解くのは難しい、いまさら他人に聞けない、
関心がない・・・というアナタへ!
ロンドンブーツ1号2号の田村淳がリスナーを代表して
世の中の「?」や本当の話に楽しく迫ります!

May 03, 2010 10:05 PM

スタッフ日記~74、75~

どうも、番組スタッフの剣持です。

第74・75回のゲストは、みんなの党参議院議員の川田龍平さん!!
「薬害エイズ事件」について、また、
“知られざる永田町の実態”についてお話を伺いました。

【プロフィール】
1976年 東京都小平市のお生まれ。
       生後6ヶ月で血友病と診断され、
       治療のための輸入血液製剤投与によりHIVに感染。
1993年 「薬害エイズ事件」の国と製薬会社の責任を問う、
東京HIV訴訟の原告に加わり
1995年 実名を公表。
1996年 実質原告勝訴の形で和解したが、
      それ以降も薬害エイズの真相と責任を追及し続ける。
その後、衆議院議員となった母・川田悦子氏の秘書を経て、
2007年 参議院選挙に無所属で立候補し、当選。

現在は、環境委員会に所属し「いのちを最優先にする社会」を実現するため、
医療の教育問題に取り組んでいらっしゃいます。


Q.HIV治療の現状は?

薬の値段は非常に高くて、
それを飲み続けることが出来るのは経済的にも裕福な方。
しかし日本はまだ健康保険という医療制度があるので、
値段を抑えて(高額医療費で)飲めたり…
裁判で国・製薬会社と和解したことによって、薬害によるエイズだけでなく、
性行為によって感染した人たちに対しても
キチンと治療を提供できるような体制が作られ、
今はだいぶ治療を受けやすくなってきている。
今のこの治療体制を維持すると共に、検査の体制・相談の体制・医療の体制の
3つを整えていくことが必要。


Q.19歳という若さで、実名を公表するのは勇気がいったのでは?

当時は、周りで次々と同年代の友達が亡くなっていく…という状況の中で、
“自分もそんなに長くは生きられないだろう…”と思ってた。
しかし、アメリカでジョナサン君という…自分より年の若い子が、
皆の前で堂々とカミングアウトをしているのを見た時に、
“自分にも何か出来ることがないだろうか?”“私も、隠れずに堂々と生きていきたい!!”と
考えるようになり、決意したのが19歳だった。


Q.参議院選挙に立候補しようと思ったのは?

大学の講師を4年間やった中で、学生が勉強したくても
家計の事情で出来ない・続けられない環境になってきている…
という現状を目の当たりにしたこと。
そして、障害者・難病を抱えた人たちが、医療や福祉を受けにくくなってきていること…。

それらを受け、
“力の弱い人達がどんどん切り捨てられていくような
…そんな社会にしてはいけない!!”
“医療と教育の面をしっかりと充実させ、
安心して暮らせる社会の仕組みを作りたい!!”
という思いから、政治に取り組もうと考えた。


Q.現在は、どのような活動をされているのですか?

参議院議員では環境委員会に所属していて、今、自分としては
厚生労働委員会に入りたいと思っている。
そこの中で、医療に関すること…
特に命に関わる問題をしっかりやっていきたいと思っています。
“患者の視点が生かされた医療政策というものをつくっていきたい!!”
というところで、今現在、マニフェスト作りを進めています。

…というお話でした。その他にも、“永田町の実態”について、
川田さんならではの視点でお話ししていただきました。
そちらは是非、川田さんがお書きになった本
『誰もかけなかった国会議員の話』でご確認ください!!
カラオケでよく歌われるという曲。そして反面教師の意を込めた、
川田さんのリクエスト曲はこちら…

川田龍平さんのリクエスト曲♪Starting Over/レミオロメン
                ♪国会議員体操/嘉門達夫

投稿者 newsclub : 10:05 PM