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March 06, 2010 05:55 PM

スタッフ日記~68~

どうも、番組スタッフの剣持です。


65年前(1945年)3月10日に東京を襲った無差別爆撃『東京大空襲』
東京は1944年11月から、計106回にわたる空襲を受けましたが、
特にこの3月10日の空襲は大きな被害を受け10万人以上の方の命が奪われました。

そこで第68回の今回は、
作家で東京大空襲・戦災資料センター館長の早乙女勝元さんをお迎えし、
お話を伺いました。

早乙女さんは、東京大空襲を12歳で経験。

当時の状況は、東西南北すべてが真っ赤っ赤で、
かすかに暗闇が残る所に逃げるしかないが、そこはB29の次の目標であった。
逃げて行く最中で、火の雨が降ってくるという状況。
あいにくと、ものすごい北風の強い日で、火の子の激流を掻き分けて行くという感じ。


当時は、木造家屋の長屋郡で、その材質は木と紙と土…
類焼・延焼にいささかの抵抗力が無かった。

もっとも、アメリカはそれを分かった上でわざわざ、
それらに効力のある焼夷弾を開発したのだが…
関東大震災あたりから、どうやって火の粉が類焼・炎症していくのかを、
かなり克明に調べ尽くし、
その結果、彼ら出した答えが、春先の風が強い日だった。

3月10日、当時の陸軍記念日を狙った報復だという噂もあったが、
報復なんかでは無く、アメリカは、もっとも科学的・合理的にその日を設定していた。

3月10日は下町、
4月の半ばは池袋の西部方面、残す東京全体を目標にしたのが5月の末の空襲。
この3回の大規模空襲を含めて計106回、で、東京(区分)の半分は消失し、
東京の人口は250万台にまで落ちた。


そもそも『東京大空襲』の目的は、国民の戦意喪失を狙ったもの。

無差別爆撃の先駆けは、ナチスドイツがやり、その次に引き続いて日本もやっている。


1930年代の初期、日中戦争の最中に、日本は重慶を主にして無差別爆撃を実行。
そこは国民政府の首都であったから、各国の大使館も全部詰めており、
その情報がアメリカに筒抜けだった。
そこでアメリカが、
『日本の女子供達にもそういう目にあわせないと分からないだろう』ということで、
より強力に、そしてより凶暴な形で返して来たのが、
この『東京大空襲』だと言われている。


しかしそんな報復の連鎖は、どこかで断ち切らなければいけない!!

戦争体験を検証・継承することは、過去の戦争の惨禍を後ずさりする行為では無くて、
未来の平和を願ってのこと。

日本は被爆国で、平和憲法を持つ国。
その、永久に戦争を放棄した日本の立場というのは、
“武力では無く、対話で問題を解決していくこと”
を、世界に先駆けて示すべき!!

そうしてこそ初めて、戦争で無念の死を遂げた方々の思いが生かされるのでは!?

…というお話でした。
先週に引き続き、“武力と対話”“軍事と外交”について、とても考えさせられました。

『東京大空襲』のお話は、伺っているだけで息苦しい感じがし、
人を無気力にさせる力があるなぁ…と思いました。
そして戦災資料センターには、そんな“戦争体験”の数々が残されていて、
実際に体験した方の百分の一、千分の一…ほんっ…の僅かでも、
その痛みに触れる事が出来るというのは、とても貴重ですよね。

まとめ ・知っているなら伝えよう、知らないのなら学ぼう!!

早乙女勝元さんのリクエスト曲♪わが母の教えたまいし歌/錦織健
                 ♪鳥の歌(チェロ演奏)

投稿者 newsclub : 05:55 PM