重松清さん(2017年特番収録時)
文化放送は、3月7日(土)、東日本大震災の特別番組『シリーズ被災地の真実 あれからどうしてた? ~作家、重松清が歩く山元町』をお送りします。
まもなく、東日本大震災から9年が経とうとしています。文化放送はこの出来事を風化させないために、そしていざという時に備えての意識と行動を忘れないためにも、今年も震災について取り上げ、被災地の今と防災について今一度見つめ直します。
この『シリーズ被災地の真実』は、被災者が今おかれている状況を伝えるため、震災発生年から毎年様々なテーマでお届けしており、今回の放送が10回目です。今回は、宮城県東南端の町、亘理郡山元町に焦点を当ててお送りします。
震災による津波で637人が犠牲になった山元町。何もかもが流された沿岸部には、今や大規模な農地が開発され、内陸部に移設された常磐線の駅の周辺には見違えるような復興団地が広がります。
しかし被災当時、山元町は完全に外部の情報を遮断され、町内の情報も共有できない事態に陥りました。そんなとき立ち上がったのが、この山元町で定年後を過ごそうとしていた東北放送 元アナウンサーの高橋厚さんです。高橋さんは、2011年3月21日午前11時に「臨時災害放送局」として「りんごラジオ」を開局。高橋夫妻を中心に生活情報や町議会の情報を伝え続け、町民の生活と不安な心を支えました。
文化放送では2017年に、『流星ワゴン』などで知られる直木賞作家の重松清さんとともに山元町を訪れ、閉局直前の「りんごラジオ」を取材し、この『シリーズ被災地の真実』で報道特番を放送しました。この時のことは重松さんの著書『希望の地図2018』にも書かれています。
そして、それから3年が経過した今年、再び重松さんと山元町を訪ねます。
「りんごラジオを放送していた高橋夫妻の今」について伺うほか、「当時、児童や職員を独自の判断で全員救った小学校長の新たな挑戦」「去年、娘の遺骨と再会した夫婦の想い」「震災直後にりんごラジオで校歌を歌った少女の夢」を取り上げ、作家・重松清がそれらを取材するなかで感じたことなどを自身の言葉で語ります。