今週は、オードリー・ヘプバーンが初めての主演を務めた映画「ローマの休日」が日本で公開された年、1954年(昭和29年)を旅しました。
美しさとスレンダーな魅力のオードリー・ヘプバーン。
ハリウッドでは、グラマラスな女優達が主流だった時代。だからこそ、オードリーの魅力が際立ったのかもしれない。
当時ティーン・エイジャーだったなかにし礼も、何度も映画館に足を運び、この映画を観ていたという。
脚本のダルトン・トランボは、当時、赤狩りによってハリウッドを追われ、知人の名前で脚本を書いたという背景がある。
そのため、この映画には、王制、身分違いの恋などなかなか複雑な内容も盛り込まれている。
この当時、同じような状況でニューヨークを追放された、チャールズ・チャップリンも「ライムライト」を英国で発表している。
日本では、その年、街頭テレビがお目見え。
どこの街でも、黒山の人だかりになったほどの賑わいだったという。
正力松太郎氏の功績についても触れながら、その時代にテレビという娯楽を日本人がどれほど楽しみにしていたかにも触れる。
しかし同じ年、アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行い、漁船の乗組員23人が被曝。
この時に日本人はなぜ学ばなかったのだろうか...。
取り上げた楽曲は...
①When A Child Is Born/ジョニー・マティス
②ひばりのマドロスさん/美空ひばり
③ムーン・リバー/オードリー・ヘプバーン
なかにし礼
1938年 満州国牡丹江省に生まれる。作詞家、小説家。
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鈴木純子
文化放送アナウンサー