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野球界随一の理論派 小宮山悟は学生野球の改革者となるのか!?

来年1月1日付けで母校、早稲田大学野球部の監督に就任する小宮山悟さん。元プロ野球ロッテのエースでメジャーリーガーまで経験した小宮山さんには、プロ野球関係からのオファーも多いと思われるが、なぜ大学野球なのか?

現役時代「投げる哲学者」と呼ばれ、その独特の持論はプロ野球界に一石を投じてきた。そんな小宮山さんが、今度は日本の野球界にどんな球を投げ込んでくるのか楽しみだ。The News Masters TOKYOのパーソナリティ タケ小山が、小宮山悟さんの胸の内に迫った。

小宮山早大監督 誕生秘話

今年9月”小宮山悟氏 早大次期監督就任へ”というニュースが飛び込んできた。大学野球の秋季リーグ開幕直前という異例のタイミングでの発表だった。
「これには驚きました。何故?大学野球の監督に?」とタケ小山。

「基本的にオファーのあった仕事は引き受けるスタンスです。今回(早大次期監督)のお話は、タイミングとオファーしてくれた人たちの熱意で決めました」小宮山さんにとって条件などは二の次三の次で、迎え入れてくれる側の”熱意”があるかどうかが重要なのだそうだ。

実は小宮山さんは2011年から14年まで早大野球部でコーチを務めていた。小宮山さんと早稲田の絆は深い。「今、こうしていられるのも早稲田の4年間があったから」と言う。

恩師の石井連藏さんには、人生の様々な転機にアドバイスを貰いに行っていた。その都度、石井さんの言葉の端々に「早稲田」という言葉があり、最終的には「早稲田に帰って来い」というひと言があったそうだ。

大学野球について小宮山さんは、「4年間は人としても大切な時間。プロになれるのはひと握りなので、社会に出ても通用できる人間に育てたい」野球を通しての人間形成が大事だと言う。

「小宮山流の指導方針は?」とタケ小山が問う。
「技術的なことで正解はありません。学生たちが自分達で気づいていくべきだと考えています。ヒントを与え続けるのが自分の仕事だと思っています」

野球選手として大学時代に花開いた小宮山さんは「自分で何かに気づくことで、ボクのように劇的に伸びる場合もあるんですよ」とにやり。

夢にも思わなかったプロ野球選手

その実績から、にわかには信じがたいが高校時代まで無名だった小宮山悟さん。しかも一般入試で2浪して早稲田大学へ入ったのだ。

早大を目指した動機は、テレビで観戦した早慶戦。「神宮で野球がしたい」早慶戦という舞台に感動した小宮山さんは「早稲田のほうが自分に合っている」と早大野球部を目指した。20歳の1年生。上下関係が厳しい体育会系の中で我慢しなければならない期間が続いた。

「大学では、1、2年生は下級生。3、4年生は上級生なんです。ここは天と地の差がありますから」やっと3年生になったと思いきや、早大野球部に”鬼の連藏”こと石井連藏さんが監督として帰ってきた。

「羽を伸ばしてふんぞり返るつもりだったんですけど、3年生なのに1年生みたいな…」石井連藏さんは1958年早大の第9代監督に就任し、翌59年には全日本大学野球選手権で早大初の日本一に導くなど、計13年間でチームを4度のリーグ優勝に導いた名監督だ。

この出会いが、小宮山さんの野球人生を大きく変えることになる。石井監督の厳しい指導に最初は戸惑ったが、「この人の言う事をちゃんと聞いていれば間違いないと思うようになってきたんです」

特に目から鱗が落ちたのは「ふだんから一生懸命やってる奴は『今日は頑張るぞ』なんて甘えたことを口にしない。ふだん頑張ってないから言うセリフなんだよ。そんな奴は早稲田に居なくていいから」その日から誰にも負けないくらい練習したそうだ。

六大学リーグ戦での通算成績は20勝10敗。140km近い速球はリーグNO1を誇り、最終学年の89年には日米大学野球のメンバーに選ばれる。89年のドラフト会議で1位指名され当時のロッテ・オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団。

プロ野球界の異端児? これが小宮山流

プロ入り早々からフロントに物申す新人だったという小宮山悟さん。当時のロッテはパ・リーグのお荷物と揶揄されていた。「浪人している時に人間が歪んでしまったので(笑)フロントに対して、我々はどのような目的でやっているんですか?勝ちたいという思いはありますか?」と詰め寄ったのだそうだ。マウンド上では哲学者だが、マウンドを降りると豪傑ぶりを遺憾無く発揮していた。

「それで何か変わりましたか?」とタケ小山。
「フロントは決まって『我々も大変なんですよ』と言うだけ。毎年のように訴えては追い返され、人事異動でフロントが変わる。埒が明かない」小宮山さんが訴えることで選手達も同調してくれるかと思いきや孤軍奮闘だったそうだ。

同じようなことはサラリーマン社会でもありそうだ。「アドバイスはありますか?」と尋ねると「今、反省しているのは文句を言う場所を間違えちゃいけない、ということ。その先につながらないところに言ってもしょうがない。ボクは正しい主張をしていると思っていたのに横浜(ベイスターズ)にとばされたんだもの(笑)」苦笑いするしかなかったタケ小山。

小宮山さんと言えば”ゴーグル”が印象的。世界ではじめてゴーグルをかけたピッチャーなのだ。「ファーストペンギンですから色々と言われました」

実は、それまではコンタクトをつけて投げていたのだが、千葉のマリンスタジムは強風で目を開けていられなかったそうだ。助っ人外国人マイク・ディアズのアドバイスで試してみたら日本ハム戦で3安打完封勝利。ゴーグルと髭がトレードマークとして定着した。

常に己の考えを貫く小宮山さんに転職について伺った。
「好きか、嫌いか、これがまずなければならない。その仕事が好きであればどんな苦労にも耐えられるはず。でも、ちょっと面白くないという思いが、好きという思いを上回ったら、そこにいても仕方がない。そういう思いが頭を支配したら、すぐその場から離れて他の仕事に移ったほうがいいと思います」

小宮山早大野球部!

ロッテから横浜、メジャーリーグのメッツ、そして再びロッテという19年間のプロ野球生活。その間にあった浪人期間にも野球評論家や大学院へ通いスポーツ科学を勉強するなど常に野球と接し自分を磨いてきた小宮山さん。理論派監督の手腕による大学生野球とはどんなものになるのだろうか?

「小宮山さんが目指すチームづくりとは?」とタケ小山。
「もちろん勝てるチームにしたいが、自分は早稲田で勝つことよりも大事なことを学んできたのでそれは譲れません」

大学時代は人間的に成長しなければならない期間なので「さすが早稲田出身だな」と他の社会人に言ってもらえるように育ってもらいたいのだと言う。「その点だけは妥協はしません」との力強いコメントに小宮山さんのこだわりと信念が滲み出ていた。

小宮山さんが監督として選手に求めるのは”志”。

「志は本当に大事で、こいつにだけは負けたくないという思いから努力をできる奴だけがユニフォームを着る権利がある」

実はこのインタビューは2018年ドラフト会議以前に行われた。どちらかというと、小宮山さんは高校生からすぐにプロになるのはあまり賛成していないようだが、実力が伴っている上で尚且つ”志が高い”選手であれば、高校からプロへいったほうがいいと言う。「いきなり活躍できるのはほんの一握り。打ちひしがれる運命にある選手を諭すことも大人の役目。プロになったその先の未来もこんこんと話さなければならない」だからこそ大学の4年間はとても大事だと言う。指導者としては「ありがたいヒントを貰ったなと思ってもらえるようになりたい」

これからの野球界について

柏レイソルの熱狂的なサポーターとしても知られる小宮山さんは、Jリーグの理事である。野球界とサッカー界、互いによいところを吸収し合って日本のスポーツ界を牽引していかなくてはならない。

Jリーグはこれまでプロ野球を反面教師として手本にしてきた。年に2回程のオーナー会議で決まってしまうプロ野球に対して、サッカーはその都度公開しているので透明性が高い。見え方としてはサッカーのほうがスマートだ。プロ野球はメディアに対してこの先どの程度ブリーフィングができるのかが大事になってくると小宮山さんは言う。

ところで、大学野球の監督を数年務めたとしてもまだまだ還暦前。その後について伺った。

「プロ野球界への復帰の可能性はあります。プロ野球の監督をやりたいと思うかもしれない。でもそれは、その時に熱意をもったオファーをしてくれるかどうかです」小宮山さんを動かすのは条件ではなくて熱意。

だからこそ早大監督となったら、きっと熱意のある指導者となることだろう。来年からの早大野球部の変化に注目だ。

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