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モンベル辰野会長、アウトドア総合ブランドの頂点へ

日本で登山、アウトドア用品といえば「モンベル」。機能性の高いツールやウェアで人気のブランドだ。若き登山家が始めた事業が、日本有数の企業に上り詰めるまでの道程を文化放送『The News Masters TOKYO』パーソナリティでプロゴルファーのタケ小山が辰野会長に伺った。

◆少年時代に抱いた2つの夢

辰野さんが本格的に登山家を目指したきっかけは高校一年の国語の時間のことだった。
「国語の教科書にオーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラーが書いた『白い蜘蛛』という本が載っていました。世界三大北壁の一つ、ヨーロッパアルプスのアイガー北壁の初登はん記だったんですが、命がけの冒険にハラハラドキドキしました。当時日本人で登った人がいなかったので、自分が初めて登ろうと思いました。」

それから5年後、辰野さんは山仲間と2人で渡欧、アルプスの難所アイガー山の北壁を日本人では最年少、最短時間で制覇、わずか21歳にして世界のトップクライマーになる。16歳で抱いた夢の一つは5年で叶ったが、実は夢はもう一つあった。それは28歳で山に関係する事業を起こすという計画だ。

「28歳になったら、山のガイドか山用品を扱うカフェをやって、山好きが集まる場を作ろうと。休みの日は山登り、平日はカフェのオーナーという生活を夢見ていました。」

高校を卒業後、スポーツ用品や山専門のショップなどに勤めながら、アイガー登はんの準備を進め、国内の名峰を登り経験を積んだ。紆余曲折の最後に就職した繊維商社で、これまで見たこともないような高機能な繊維と出会う。防弾チョッキ用のケブラーなどの新素材を扱ううち、これを使ったら今よりもっと安全で快適な山の装備が作れるんじゃないか?とひらめいたのだ。寝袋などの装備は、重く、濡れたら乾かないのが大きな悩みだった。しかし軽量コンパクトで保温性も速乾性も高い新素材、これなら商品になる。登山の経験がなければ、ありえない発想だ。辰野さんは新素材の山用品というアイデアを手に、28歳の誕生日に「株式会社モンベル」を立ち上げることになった。

◆資本金ゼロから創意工夫で資本金をつくる

資本金ゼロ、小さな事務所に机と電話一台、辰野さんたった一人の起業だった。やがて山仲間が加わり、3人でモンベルが始動する。ところが・・・最初のヒット商品は山用品ではなかった。

「スーパーマーケットのショッピングバックだったんですよ(笑)。いくら思いがあっても誰も知らないメーカーの商品は売れません。知り合いの紹介でショッピングバックを作ったのですが、よく売れました。おかげで初年度で1億以上売り上げて、資本金ができたわけです。」

モンベルの登山ツールの初ヒットはもちろん寝袋、スリーピングバックだ。ケブラーと同じアメリカのデュポン社が開発した「ダクロンホロフィル」という新素材を使い、従来の寝袋とは格段に違う軽くてコンパクト、保温性が高く、速乾性の高い製品を開発し、その実用性の高さで瞬く間に登山家の間で評判になった。

「自分が登山家ですから、どんなニーズがあるか肌でわかっていましたし、商社時代の繊維の知識でどんなことが可能かわかっていました。新しい寝袋の価値はすぐ認められ、登山家に受け入れられたのだと思います。」

辰野さんやスタッフに共通する「山への思い」があっての「モノづくり」ビジネスは、規模が大きくなっても基本方針は変わらない。タケは「モンベル」が直営店経営、アウトドア関連事業とビジネスを発展させつつもぶれないブランドイメージの秘密を理解したような気がした。

◆登山用品の本場ドイツに飛び込み営業

創業当時、日本の登山用品市場は500億、モンベルのシェアは30年かけて20%の100億までは可能性があるのではと目論んでいた。しかし、日本だけでは市場が狭すぎるかもしれない、それなら海外に行こうと思った。そこで辰野さんは早々にサンプルをもって登山用品の本場、西ドイツだったミュンヘンに。70年代のヨーロッパ、日本人の営業は相手にされたのだろうか?タケは心配になる。

「サンプルをもって飛び込み営業です。紹介されたバイヤーは有名な登山家。恐々『寝袋を買ってください、僕はアルピニストです、アイガー北壁に登りました。』と言ったら、態度がコロッと変わって『アイガーか、じゃあ見てやろう』と受け入れてくれました。天に昇るような気持ちでしたね。自分がかつてアイガーに挑戦した折に装備をそろえたドイツの一流登山用品店で、バイヤーが自分たちの商品を見てくれる、相手にしてもらえただけで、嬉しかったですね。」

その後クリスマスイブに注文書が届いた。モンベルの寝袋が本場のバイヤーに認めてもらえたことは、大きな自信になった。もちろん商品の品質が評価されたのだが、山を愛する者同士、思いを込めた商品の良さはすぐわかってもらえる。辰野さんはつくづく「山登りをやっていてよかった」と思ったそうだ。

◆開発コンセプトは「ファンクションイズビューティ」「ライト&ファスト」

欧米でも人気があり、国内の愛好家にも固定ファンが多いモンベル、登山のプロから、アウトドア初心者まで信頼される秘密はどこにあるのだろうか?
「登山家は丈夫で機能性の高いものを好むと思います。でもみんな一年中山の中にいるわけではないから、ウェアなどは街でも使えるようなデザインのほうがコストパフォーマンスがいいでしょう。」

余計なものを取り除き、機能を追求したデザインには独特の美しさ「機能美=ファンクションイズビューティ」にこだわっているのだ。一方「ライト&ファスト」も重要なコンセプト。
「アイガーを登った時、荷物は1グラムでも軽くしたいと思いました。この1グラムが生死を分かつことがある。危険な状況から安全に抜け出せること、素早く動くためには、軽いことが必須です。」

「僕には失敗という概念がないんです。」

ビジネスはもとより、冒険家でもある辰野さんは登山はもとよりカヌーなど、アウトドアライフを満喫している。全てが山に通じる辰野さんの人生にとって山とは?タケは率直に聞いてみることにした。

「学生時代から僕はずっと人生を山に救われてきました。勉強で落ち込んでも、僕には山があると、言い聞かせていました。自分の居場所、力を発揮できるフィールドがあった。もし学校しかない、会社しかないと思いこんだらスタックしちゃうでしょう。悩みがある人は山に行けば救われますよ。うまくいかないことはあるけれど、僕には失敗という概念がないんです、『不都合』 しかない。失敗だと思うと終わってしまう、諦めなければそれは『不都合』に過ぎない。もし失敗があるとすれば、遭難して命を落とす時。生きている限りは失敗などないんです。」

人生に失敗などない、と言いながら、第二の人生を求めてビジネスを始めようという人には辛口の意見をもっている。28歳で起業し、成功を収めた辰野さんの元には、退職して何かやってみたいという人がアドバイスを求めてくるが、脱サラや退職を機に退職金などでビジネスを始めたいという人には「やめといたほうがいいですよ」というそうだ。
「1000万や2000万の資金は事業につぎ込むとすぐなくなってしまう。僕は資金がなかったから、知恵を使って運転資金を作りました。お金があるからビジネスでもしてみようというのは、動機としてはよくないと思います。なんのためにビジネスをするのか本質が見えなくなると思います。」

◆世界で一番幸せな会社

30年で100億円企業を目指すと宣言して始めた事業だったが、今や従業員数1000人規模の有名ブランドに成長した。次の目標は日本一か世界一かと問われると、辰野さんは「世界で一番幸せな会社」を目指すと答えるのだという。
「幸せは今そう思えば達成できるわけですね。マイホームとか車とか世界旅行が幸せになれる条件だとすると、なかなか一生幸せに到達できない。生きている今、瞬間瞬間が幸せだと思えたらずっと持続性がありますよね。」

人と比べるのではなく、辰野さんや社員が働いていて幸せだと思える会社、やりがいのある仕事ができる価値がある会社を目指そう、辰野さんはそう考えている。

「モンベルは山の仲間と始めた事業で、一生の仕事にしたいと思いました。仲間だけでやっていると、みんなが年をとり柔軟性を失う、メーカーが競争力を保つには平均年齢を下げるしかない、そのために30年若い人を入れ続けたら、1000人を超える大所帯になってしまいました。売上を上げるためではなく、平均年齢を下げるためにビジネスを拡大せざるを得なくなってしまったのは逆説的ですね。30年くらいたてば古株はリタイアして会社としても循環すると考えていたのですが、42年目になってもまだ創業メンバーががんばってますけどね(笑)。」

◆ずっと自分の足で歩き続けること

インタビューの最後に、タケは登山家辰野勇の夢を聞いてみた。
「少年時代『白い蜘蛛』 の本と出合って、命をかけて人のやらない冒険をしたい、実践して見極めたいと思ってしまった。そういう価値観で、事業も同じような路線で来たような気がします。山は、峠まで行くと今まで想像もしなかったものが見えてくる、また、そこに向かって歩き出していく。いつか時間が尽きるまで行きたい方向に歩いていけば、ずっと自分の頭で考えて、自分の足で歩いてきたという満足感をもってラストチャプターを閉じることができると考えているんです。ちょっとキザですね(笑)」

辰野さんは登山家としての名声にとどまらず、プロフェッショナルな経験を生かした事業で成功した。
災害時にアウトドアのノウハウを生かして活動しているアウトドア義援隊などのCSRや、アウトドア振興の活動に全国を飛び回る多忙さ。70代を迎えても生涯現役で、新しいピークを目指して歩き続けている。負けていられないな・・・先輩に敬意を表しつつ、身を引き締めるタケ小山だった。

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