マスターズインタビュー Master’s Interview

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松尾利彦会長、チロルチョコはロックだ!

松尾利彦会長は1952年、福岡県生まれ。慶応義塾大学を卒業後、アメリカに留学。帰国後、1977年にチロルチョコの前身となる松尾製菓に入社。1991年に代表取締役社長、そして今年、会長に就任した。

コンビニのレジ横商品の定番・チロルチョコ。近年は、日経MJにユニークな社長交代の広告を掲載し話題になり、自社のYouTubeチャンネルには、商品とは全く関係がない会長のオリジナル曲がアップされていることでも知られている。商品もバラエティに富んでおり、ブルーチーズ味やわさび味、カレーパン味など、予想だにしない新商品を発売しては、話題を振りまいている。その源流にあるものとはいったい何なのか!?チロルチョコ株式会社の松尾利彦会長に、文化放送『The News Masters TOKYO』のパーソナリティ・タケ小山がマスターズインタビューを敢行した。

◆逆境から、コンビニでV字回復

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オイルショックによる値上げや主戦場であった駄菓子屋さんの減少など時代の経過とともに、苦境に立たされていったチロルチョコ。一方、そのころ松尾会長は、東京で他のメーカーに就職し修業に励んでいた。1年目は苦戦にあえぎながらも、2年目に新製品が出て、これが大ヒット。

タケ「そこで学んだことは?」

松尾「メーカーは、商品次第。いかに売れる商品を作るかですね。」

そうした経験を積んだ後に、実家の松尾製菓に入社。時代と共に失速し始めたチロルチョコを、コンビニでの販売にシフト。それに伴い、三つの指針を設けた「三拡運動」を展開した。

その中身とは…。

まず、駄菓子屋からコンビニ・スーパーへ「チャネルの拡大」。
そして、当時は西日本が主だった販路を、首都圏、北海道まで「販路の拡大」。
最後に、コンビニ・スーパーの客層にアピールするための「年齢層の拡大」。

そうした中でコンビニ側、しかもお店側が自主的にレジ前に置いたことで、売り上げが加速、他のお店でもレジ横が定番化した。

◆なぜ、チロルチョコはコラボをするのか?

これまで数々のブランドや商品と頻繁にコラボを繰り返すチロルチョコ。何故、それが可能になるのだろうか?そして、「チロルチョコ きなこもち」がヒットした理由とは?

タケ「なぜ、新製品を出し続けるんですか?」

松尾「色んな所から依頼が来るんですよ。会社として出すのは年間で3~4品で、その他にチャネル別、エリア別にコラボ商品を作ります。チロルチョコのブランドにマイナスにならなければ積極的に露出していくのは悪くないなと思っているので。」

タケ「これはダメだろう!?ってなった、失敗作はあるんですか?」

松尾「とんこつラーメンとか、うなぎ。作ったけど、結局は商品化しなかったですね。おいしくなかった。あとは『しみじみしじみ』っていうフレーズが浮かんだけど、まずくてモノにならなかったですね。」

そんな中でも大ヒットしたものといえば「きなこもち」。当初はバラエティパックの詰め合わせ商品の一つとして存在していただけで、特別意識はしていなかったという。しかし、コンビニのバイヤーから、「単品売りしたい」との申し出が舞い込んできた。

話題が話題を呼び、結果として10年に1度の大ヒット商品となった。今後もそういったヒット商品が生まれるのか、期待したいところである。

◆チロルチョコはカルトだ

20代で入社した時に、今後のブランド展開について考えたという松尾会長。

松尾「大手のようにはなれないし、カルト文化が好きだったので、そういうブランドになれたらいいなと思いました。」

もともとアートが好きで、アメリカで留学中にアンディ・ウォーホールを好きになった松尾会長。日本に無いキッチュなブランドを目指した。

タケ「チロルチョコとは一体何ですか?」

松尾「私自身かな。」

企画はすべて会長が担ってきたため、自分の好みがすべて反映されているのだそうだ。その根源には子供の頃のある経験があったという。

松尾「昔、いじめられっ子だった。マジョリティに対して、反発心があって。権威とか大きいものに、本能的に反発しちゃうんです。」

チロルチョコの正体は松尾会長自身、しかも幼い頃の体験から生まれた反発心が、あのチョコには凝縮されているのであった。

◆松尾流・商品開発&人材育成術とは?

タケ「商品開発に必要なことは何でしょうか?」

松尾「チロルチョコに関して言えば、遊び心ですかね。大事って言うか、自分はずっとそれでやって来ました。」

自分がワクワクする、楽しんで企画を考えるっていうことが、チロルチョコに関しては必要と説く松尾会長。続けて、タケは人材育成についても聞いてみた。

タケ「会社の運営もトップの仕事。どんな社員を育てているのでしょうか?」

松尾「僕は人を育てられるって一度も考えたことないんです。唯一できるのはチャンスを与えること。”やってみる?じゃあ権限を与えるよ”とそのくらいですね。」

そうして、「ダメだったら次に向かう」と答える松尾会長。人を育てるのは難しく、常に社員にかけている言葉もないという。さらに言うと、業界の集まりにも出席せず、会社の懇親会も乾杯だけやって、すぐ中座するのだという。その裏側にはどんな意図があるのだろうか?

松尾「僕がその場にいることで周りが気を遣うじゃないですか。言いたくもない、ヨイショもする。こっちもそれを分かっていて”やぁやぁ”って言わなきゃいけない。」

◆チロルチョコを次の世代へ

日経MJに大きな広告が掲載され、話題となった息子さんへの社長交代。今後のチロルチョコについてタケがインタビューを続ける。

タケ「社長を継がれた息子さんはどんな人でしょうか?」

松尾「息子はまったく僕と違うタイプで、企画はお手上げなんだけど、管理者としては優れていますね。きちっと仕事ができる人間です。」

興味深いことに、息子とは言えタイプが逆の現社長。しかしそこでタケには、こんな疑問が浮かぶ。

タケ「何故、このタイミングで交代だったのですか?」

松尾「60代に入ると肉体的には必ず衰えてくるんですよね。社長業は体力がいります。父が64歳で、脳出血で倒れてるんです。今、私が64歳になり、自分の体力をみていると潮時っていうのがあって。」

社長を継いだ松尾会長の息子・松尾裕二さん。そこに浮かぶのは「同族経営」。悪しき風習のようにも語られるこの事業継承について、どのように考えているのであろうか?

タケ「同族経営の長所、短所ってなんでしょうか?」

松尾「同族経営の長所は”逃げられない”って言うのがあるんです。本当に会社のことを真剣に考えざるをえない。辞めちゃえばそれで終わりのサラリーマン社長とはそこが違うんですね。」

自分のことだけを考えられない、これこそが同族経営の強みなのである。定年で社員が辞めると、その社員に対する責任は果たしたという思いから心が軽くなるとも。

タケ「今後の夢ってなんでしょうか?」

松尾「僕自身はあんまりない。継いだ息子が会社を持続成長させてもらえれば。」

通常のお菓子メーカーとは違い、我々の予想を良い意味で裏切ってくれるチロルチョコの商品開発や事業展開。創業者一族の会長というとどこか「豪快奔放」な人物像をイメージしてしまうが、浮かび上がったのは、それとはまた別の人物像。松尾会長の根底には、いじめられっ子だった子供の頃に芽生えた、マジョリティに対する反抗心があった。しかし、事業を継承した新社長は、タイプが逆だという。新生チロルチョコは今後どのような事業展開を行うのであろうか!?チロルチョコは、また面白い局面を迎えようとしている。

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