マスターズインタビュー Master’s Interview

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時代感覚と地元密着。 こだわりのバーガーで世界へ。 モスフードサービス・櫻田厚代表取締役会長

日本生まれのハンバーガーショップ”モスバーガー”。『テリヤキバーガー』や『モスライスバーガー』といった今では定番のハンバーガーは、日本の豊かな食文化と日本人の繊細な味覚を意識して生み出されたモスバーガーならではの商品だ。

MOS BURGER
Mountain(山)、 Ocean(海)、Sun(太陽)。「山のように気高く堂々と」「海のように深く広い心で」「太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って」という意味が込められている。

今年2018年は創業から46年目。今では日本全国で約1350店、アジア圏とオーストラリアへ350店以上も進出するまでに成長したモスバーガー。文化放送『The News Masters TOKYO』のパーソナリティ タケ小山が、株式会社モスフードサービスの櫻田厚(さくらだ あつし)代表取締役会長にマスターズインタビュー。その成功の歴史を紐解く。

◆『日本発のハンバーガーチェーン”モスバーガー”誕生秘話』

1972年、わずか2.8坪でスタートしたモスバーガー。「成増って知ってます? 池袋から東武東上線で行った埼玉県との県境にある板橋区の街です」アメリカから上陸したマクドナルドが銀座に日本1号店をオープンさせて話題になってからわずか7ヶ月後のことだ。「戦略的なことではありません。都心で開業する資金も無かったし、叔父である創業者の櫻田慧(さくらだ さとし)が隣の和光市に住んでいたんです」安い物件で、家から近いところが必然的な条件だった。「たまたま八百屋さんの倉庫が空いていたので、1ヵ月位かけて交渉した末に貸してもらったんです」

開業資金はわずか200万円。店舗の立地条件も悪い。そんな中でモスバーガーが成長した要因を「一番は地元密着」だと言う。「お店はちいさいけどハンバーガーは美味しいよ」とか「あそこで働いている人はなんか感じがいいよ」という口コミが広がって徐々に認知されていったのだそうだ。

とは言え当時は名もなき街のハンバーガーショップだったモスバーガー。タケ小山は「アメリカのハンバーガーチェーンはファストフード、早い!でもモスバーガーは注文を受けてから作られますよね」遅い上に値段も決して安くはない。人気のハンバーガーチェーンの真逆にもかかわらず何故急成長を遂げたのか?

「結局、何かをやる時にはどっちかしかないと思うのです。早くて簡便なもの、行きやすい場所、そこを求める人もいればそうでない人もいるんです。その場で作ってくれた出来立てのものが食べたいとか。その選択肢から選ぶのはお客様なのです」

『テリヤキバーガー』などのヒット商品を次々に出して急成長するモスバーガーだったが、6年目に成増が騒然となった。
いい立地とは言えない成増1号店の近くにマクドナルドがオープン。巨人を本気にさせてしまったということなのだろうか?

「当時、私が店長だったんですが、実は3日位前にマクドナルドだってわかったんですよ」12席だったモスバーガーに対して120席。10倍の規模。

店長だった櫻田会長は前の日に「変わったことをやっても仕方がないのでいつも通りで。そして今まで以上に店の前をきちんと掃除をしてお客様をお迎えしましょう」「モスバーガーは手作りが売り。今までもひとりひとりのお客様に心を込めて作っていたが、もっとできるんじゃないか」そんな接客に徹しようとスタッフに伝えた。

そうして迎えた朝、「普段の何倍ものお客様が来店してくださったんです。『いいんですか、新しい店ができましたよ』と妙なことを口にしてしまう程、驚きました」

予想外の展開だったが、常連の方から「『いやー、モスバーガー以外は行かないよ。これまでお世話になってきたんだから』と、とても温かい言葉を頂戴しました」”一番は地元密着”と櫻田会長が言う通りモスバーガーは6年間で成増にしっかりと溶け込んでいたのだ。「心配してくださったお客様達が朝から普段の倍も来てくださった。まるで応援団のような地元の方々に支えられていたんです」

その日、厨房の中で思わず涙を流してしまったという。

◆『櫻田厚会長 成り上がり物語』

櫻田厚会長は高校2年の夏に父を亡くし家計を支えるために大学進学を断念してアルバイト三昧を経験した苦労人。
高2の秋には進路相談があり大学選びをしなくてはならない。「お金が無いから私立大学はあきらめるしかない訳です。でも大学へは行きたかったので選択肢としては国立のみ。すると先生に、さすがに国立は無理だと諭される。それだったら大学へは行かない。そう決めて就職活動をはじめたんです」高校卒業するまでの1年半はアルバイトをしながら就職活動していたという。

「最初はレストランで皿洗い。当時高校生ができるアルバイトはそんなに多くはありませんでした」その他、駅そばや喫茶店のウエイター、工場ではんだ付け等、時間を調整しながら高校生ができる限りのアルバイトをしたという櫻田会長。
高校生の頃から、その決断力と行動力は秀でていたのだ。

高校を卒業してちいさな広告代理店へ就職。

社会人として2年が過ぎた頃、叔父である櫻田慧さんがモスバーガーを創業した。「電話があって、『お前、高校生の頃、飲食店でバイトしてたよな。こっち手伝ってくれ』と。でもそんなに簡単に会社は辞められません。半年時間をくださいと言って、広告代理店の社長と話し合い了解を取ってから退社しました」驚いたことに、モスバーガーへはアルバイトとして入ったのだそうだ。

「その時の時給は210円でした」

数年後、フランチャイズのオーナーになった。

「叔父からも、お前は自分で店をやりたいと言っていたよな。ウチで社員として働くよりも、お金を貯めてモスバーガーのオーナーになったらどうだ」と言われていたのだそうだ。

それを励みに夢中で働いた櫻田会長は「本当にお金がどんどん貯まっていくんですよ。それでわかったのが、給料が多い少ないではなくて、お金は使わなければ貯まっていくものだと。要は使う時間が無かったんです。・・・働き過ぎは今の時代では怒られてしまいますが、、、」しかし目標に向かってがむしゃらに働くことも必要ではないかと櫻田会長は言う。

フランチャイズのオーナーとなって成功させ、勢いに乗って2店舗目のオーナー店を出店したが失敗に終わった。その原因を分析して、1店舗目の成功で驕りがあったこと。自身の成長が止まっていたことを挙げている。

その後、株式会社モスフードサービスの社員となり、いくつかの店舗の店長を経験した。会社が大きくなりチェーン店が増えていく中で、トレーニングセンターを設置して、そこの初代トレーナーとなった。その他にもスーパーバイザー、営業、出店開発など様々な業務に携わり社員として一通りの仕事を経験した。

「最終的には、直営店が55店舗くらいある統括の部長に抜擢され、1989年まで国内の仕事をして、1990年に、いよいよ海外へ進出しました」

ところが1997年、創業者の櫻田慧さんが60歳の若さで急逝。「いなくなって初めてわかるんです。こんなにも先代に周りの人たちは引っ張ってもらっていたのだと。こんなにも依存していたのかと」

しばらく社内は大混乱。年上の取締役達から社長になるように説得されたがなかなか決断できなかったという。「最後は、創業者が頼むよお前と言ってるのではないかと思って受けることにしました」

◆『モスバーガーの商品開発秘話』

「モスバーガーと言えば、やはりテリヤキバーガーでしょう。これはどんな経緯で開発されたんですか?」とタケ小山。
今では代名詞のひとつとも言えるテリヤキバーガーだが、1973年の発売当時はまったく売れなかったという。

「試作品ができて試食して、自分が美味しいと思わなかったんですよ。決してまずいということではなくて、あの甘い味に慣れていなかったんです」確かに当時は、ケチャップソースのハンバーガーの味をイメージして食べると違和感があったかもしれない。自分がそう思ってしまったので、お客様にも勧めにくくなってしまったという櫻田会長。常連さんに「新しいのが出来たんだって?と言われ、いや、そうなんですけど、今まで通りこっちのほうが・・・」となってしまった。

「売る側が納得していないものは、やはり売れませんね」

「しかし不思議なもので、テリヤキバーガーを食べれば食べる程、あれー、こんな味もいいんじゃないとなってきたんです」自分の味覚が納得すると「これね、食べたら美味いっすよ」と真剣におススメできるようになったという。

大ヒットの兆しが見えたエピソードがある。ある日、常連の女子高生が「今度の文化祭でテリヤキバーガーを売りたいんだけど」と言うので、50個提供したところ、大評判となり、それが口コミで広がったという。

そして火付け役となったのが横須賀にあった店舗。海からあがってきたサーファー達は、お腹は空いているしカラダも疲れている。そんなサーファー達に甘いテリヤキバーガーがぴったりだったのだ。サーファーと言えばテリヤキバーガーが定着したことで、大学生や若いビジネスマン達にも広がっていったそうだ。

そして、インタビュー当日はまだ発売前の『マルデピザ』(期間限定商品)についてお話していただいた。

「日本人というのは、ピザが好きなんですね。毎日食べるものではないけど、月に1回とか、無性にピザを食べたくなったりするんです。ピザはカジュアルでコーラでもアルコールでも合う。でも、ただ1人で1枚はあり得ない。みんなで食べるのがピザ。だから、個食の時代にひとりでもピザを味わえるハンバーガーを作ったらどうだろうとなったわけです」
『マルデピザ』は、ピザ生地をイメージしたバンズ、とろけたチーズにバジルの香り、ジューシーな焼きトマト。バーガーなのに、マルゲリータ。

モスバーガーの新商品開発は、時代の味覚感を大切にしながら”こんなものができたらいいね!”というのを基本にしているのだと言う。

◆『モスバーガー流 ファミリー的な絆のビジネスモデル』

モスバーガーはフランチャイズ展開をしている。「それは創業者の考えであり、私もそうだと思っている」と櫻田厚会長。

「フランチャイズは、個人事業主、オーナーです」オーナーだからこそ、モスバーガーを代表して任せられるような方にチェーン店として加盟していただくので面接は時間をかけて行うのだそうだ。

「目を見ながら、何故フランチャイズのチェーン店になりたいのですか?どうして飲食なんですか?その中で何故ハンバーガーを選んだんですか?奥様、ご家族は賛成していますか?」面接担当者は、何故やりたいのか?という動機についての質問をたくさん投げかける。「人としてこれまでどんな人生を歩んできたのかまで時間をかけて面接していくと、全国には価値観の合う方がいてモスバーガーの社訓や社風に賛同してくれる方がいるんです」

「そんなに厳しい審査をするのは、なんでなんですか?」と疑問を投げかけるタケ小山。

「やるからには失敗して欲しくないから」と櫻田会長。

「お互いにモスバーガーというものを一緒に作り上げていくものですから。加盟したから、なんとなくうまくいくなんてものではないのです」フランチャイズだからといって保障されたものはなにもない。ある意味では自己責任だと。だからこそ何度も面接するのだと。

「ビジネス的には直営したほうが利益率もいいのでは?モスバーガーがフランチャイズにこだわるのは何故ですか?」とタケ小山。

「利益で言えばそれはあきらかです。でも永続性です。地元で生まれて、地元で育った方が、その土地のことを誰よりも知っている。知っている方が店を出すのが一番いいでしょう」

櫻田会長はご自身の経験も踏まえて「経済的に成功してしまうと人は錯覚、勘違いしてしまうこともある。サポートされて自分が生きているということを忘れてしまうと必ず失敗しますよ。今自分でも心がけているのは、自分ひとりではなんにもできないんだということを本当にどこまで自覚するかです」

◆『未来に向かってモスバーガーは・・・そして、これからの外食産業』

これからのモスバーガーについてタケ小山が訊いた。

「自分がしたいことではなく、皆がしたいことをどのように実現できるかを考える。実現するためのプラン、プログラム、スケジュールを考えています。創業者の時代は、トップダウンで言われたことをみんながやっていれば、それで結果がでていました。今は、みんなのパワーが集まることで、数十倍ものことができるのではないかと。また、そういう企業文化にしようと思っています」

今、モスバーガーはアジアで知名度が上がっている。「我々の目標は”モスバーガー”というブランドを外食で、世界のブランドに育てることです」現在進出しているのはアジア圏とオーストラリアだ。

「『セブンイレブンってアメリカにもあるんだ』という人がいるんですよ。あれは元々アメリカ発の企業。でもそれくらい日本のセブンイレブンはすごい」ヨーロッパ、北米、南米、アフリカに進出した時に現地の人達から「日本にもモスバーガーってあるみたいよ」と言われる位のブランド力をつけるのが櫻田会長の夢でもある。

主戦場である日本では、そのコンビニエンスストアの進撃が止まらない。専門店の領域だったコーヒーやドーナツにも進出。最近はイートインも増えてきた。その脅威について伺った。

「それをネガティブには受け止めてはいなくて、お客様や、社会の価値観は一律ではないと考えています。コンビニの機能を求めている方はコンビニへ行くし、そうじゃないんだということに価値を見出す人もいる。最終的にはお客様が幸せな気分になったり、嬉しくなったり、そういった本質的なメンタルな部分に気づく人が多いほど、モスバーガーはこれからの社会の中でも求められ続けるのだろうと思っています」と櫻田会長は締めくくってくれた。

そうだった。板橋区の成増で産声を上げたモスバーガーは、駅から遠く、オーダーを聞いてから作り始め、お値段もそれなりだった。ファストフードのハンバーガーチェーンのウリとは真逆。それでも選択肢から選ぶのはお客様なのだという信念を貫き通し、世界ブランドになろうという程までになったハンバーガーチェーンなのだ。
今後もモスバーガー発の新商品がたのしみだ。

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