文化放送・The News Masters TOKYOのマスターズインタビュー。今回のインタビューのお相手は、「あずきバー」でお馴染み、井村屋グループ会長の浅田剛夫さん。浅田さんは1942年、三重県のお生まれ。中央大学卒業後、大阪の老舗食品会社、イカリソースに入社するが、1970年、井村屋製菓に転職。2003年に井村屋製菓社長、2013年から井村屋グループの会長を務めている。その浅田さんにプロゴルファーで、The News Masters TOKYOのパーソナリティ・タケ小山が話を伺った。
◆転職の決め手は”挑戦”
大卒でイカリソースに入社し結婚もしていた若かりし頃の浅田さん。そこからまだ街の小さな和菓子屋さんだった井村屋に転職した理由とは何だったのだろうか。
タケ「転職したのは何年目ですか?」
浅田「5年目ですね。1970年の大阪万博と深いつながりがあって、イヤでイカリソースを辞めたわけじゃないんです。」
浅田さんの中学からの親友に、井村屋の創業者の長男がいた。彼から、「新しい挑戦として、万博で高級アイスを売ることになったが、営業をやるメンバーがいない」ということで井村屋に誘われた。当時、万博というイベントは、世界から色んなものがやってくる魅惑の存在。さらに、井村屋が三重県の会社で、自分が三重出身、誘ってきたのが幼馴染というのも転職の後押しになった。
今でこそ、転職は当たり前になりつつあるが、当時はまだそんな風土は無かった。しかし、イカリソースの上司の反応はとても意外なものだった。
浅田「”いいチャンスだ。しかし人の3倍働け”と言われました。」
友人の誘い=縁故入社で、普通の人より優遇されて入社する身の浅田さん。だから、3倍働いて他の人と同じということなのだ。もちろん、現在の井村屋から転職して出ていく人もいるが、「3倍働け」とは浅田さんは言わない。
浅田「ただ”常にもう一歩”の気持ちを忘れずに精進しろとは言っています。」
要は、どんな職場でも気に入られる人にならないとダメなのだ。「男は度胸、女は愛嬌」と言われるが浅田さんに言わせれば「男も女も愛嬌」なのだ。
◆組織を変えるリーダーに必要なことは?
こうして大阪万博をきっかけに井村屋に転職した浅田さん。レストラン事業に15年携わった後、1987年に東京支店の支店長に就任する。日本経済の中心地、東京支社の支店長なのだから、さぞかし花形のポジションなのだろうと思いきや、実情はそうではなかった。
タケ「東京支店は花形だったんですか?」
浅田「それが違うんです。期待値の割にダメだったんです。行ってみたら、負け犬根性で暗い顔して、下を向いているし。」
浅田さんの目的は何だったのか?辞令とともに営業本部長から受け取ったのは「改革」の二文字。「”浅田で変わらなかったら東京支店は閉めるとまで言われました”」と笑って振り返る浅田さんだったが、そのプレッシャーはとてつもないものだったことは、想像に難くない。
タケ「何から手を付けましたか?」
浅田「最初にオフィスを千住から引っ越すと宣言しました。」
世界有数の経済都市・東京だからこそ、目指すべきはナンバーワン支店。東京と言えば中央区・千代田区・港区だということで、1年半で千代田区の外神田に引っ越しを敢行した。
引っ越す理由は他にもあった。千住の旧東京支店は倉庫も兼ねていたが、浅田さんが東京支店長に就任した当時、小売業界には物流革命が起こっていた。これまで企業単体で倉庫を抱え、卸を行っていたところ、横並びの企業と手を組み、共同で配送を行うことで、物流の効率化を図る流れが生まれていた。そうしたことで、倉庫と広大な土地を持つ必要性も次第に薄れていった。
精神的な部分、実利的な部分を要因として、引っ越した東京支店チーム。これが功を奏し、環境が変わったことで、雰囲気も一変する。負け犬根性がなくなり、明るくなったという。そこで、支店長の浅田さんはさらに仕掛ける。
東京は日本の小売業の中心地であり、本社がたくさん集まる場所。そこと密接な関係を作らないといけないと考え、当時のダイエーやイオン、セブン-イレブンなどに集約的にフォローする部隊を作った。そこが動くと、大きな売上も生まれ始めた。
タケ「社員を盛り上げるためのアドバイスをするとしたら、何でしょうか?」
浅田「やっぱり先頭をきって動いてみせること。あとは明るくいること。1人では絶対に改革は出来ません。賛同してくれる仲間を作っていくのが必要ですし、いつまでにこういう改革をして、こういう部門にしようと明確に示すことが大事です。」
◆あずきにこだわる理由
収録も中盤に差し掛かり、小休止。あずきバーを頬張るタケと浅田さん。76歳ながら、難なくあずきバーを齧る浅田さんに驚くタケ。そこから話は再開された。
タケ「あずきバー、固いですね。」
浅田「固いのは添加物を使ってないからです。1本あたり、理論上はあずき100粒。これだけ粒がぎっしりというのは、他に例がないです。」
看板商品のあずきバーから、さらに他の商品にも話は展開する。
タケ「他にも、スポーツようかんというのがあります。これは誰がどういう発想で作ったのでしょう?」
浅田「開発マンで『将来のあんこは私に任せろ』というあんこ大好き人間がいまして…」
きっかけはこうだ。元々、贈答品が多かったようかん。まず災害時の備品用として「えいようかん」を作った井村屋の開発マンだったが、作っているうちに、スポーツをやる人に早くエネルギーを吸収できるようかんを作ろうということで、アイディアとして出てきたそうだ。チューブ式なのでランニングしながらでも食べられるし、ゴルフ界にも愛用者は多いという。『贈答用から栄養食』への転換を図ったのだ。
また、今年から井村さんは「アスリート経営」を打ちだしている。アスリートが、筋肉を鍛えて脂肪を取るのになぞらえ、企業として商品を開発しコストを下げている。さらに「体幹を鍛える」が如く、現在の井村屋は企業としての体の芯になるものを鍛えている。
井村屋は、ようかんから始まった会社なので、あずきから離れられないのが特徴。だが、新しい付加価値や新商品を作ることにも余念がない。
創業者の井村二郎氏は「既知のノウハウと未知のノウハウで、新しい付加価値を作るのがイノベーションに繋がる。そういうことが新商品開発に大事だし、全く未知の物だけで作るのは不可能だ」と言っていたそうで、浅田さんの脳裏には今もこの言葉が浮かぶのだと我々に教えてくれた。
◆商品開発に必要なこと
2003年、当時の井村屋製菓の社長に就任した浅田さんは、企業内の状況分析をしていて、あることに気付いた。
浅田「私が社長に着任したのが2003年。その時、状況分析をすると、あずきバーはもったいないことになっていたんです。」
なんと、夏にあずきバーが必要な分、作れないことが分かった。需要に追い付けていなかったというのだ。これまで、夏の需要期に合わせて、春先から作る方法で挑んでいたが、それでは機会損失が多いことも分かった。
そこで、思い切って、新しい生産ラインを導入したところ、効率よく生産できるようになり、生産量も増えたのだ。潤沢に供給できるようになったこと、さらに7月1日をあずきバーの日としてPRしたことなどで、一層世に広まった。
「商品開発は、そのもののスペックと、量産化する設備をどうするかというのが非常に重要なんです。井村屋の肉まんとあんまんも同じです。」
たくさんアイディアはあるが、設備として導入し、供給ができないと商品は沈んでしまうとも説く浅田さん。技術革新が進み、我々消費者に新たな商品が届くことに期待したい。
◆浅田会長が大切にしている言葉
おばあちゃん子だった浅田さん。特に古物商をやっていた祖母に教わった言葉はたくさんあるという。
・『細かく仕分けることで儲けが出る。おおざっぱな仕事をするな』
→小さいことを細かく分けることで利益が生まれる。祖母は”軍艦ばあさん”と呼ばれており、一見鉄の塊でしかない軍艦から真鍮や銅など希少金属を取り出して利益を得ていた。何もしなければ鉄クズだが、キレイに分別することで、利益が出るということだ。
・『お金は使うことで回ってくる』
→お金を使わないと、所持金は減らないが新しい利益を作ることにはつながらない。あずきバーの設備投資と同じで、お金を使って回すことで利益(チャンス)になって戻ってくる。
・『人生は悠々として急げ』
→小説家の開高健さんなどの言葉。矛盾しているようだが、両方とも大事だということを示唆している。心はゆっくりとしながら知識を学び、事に当たっては機を見て敏だと浅田さんは考えている。
『人生は悠々として急げ』。終始、まさにこれを体現したかのような語り口で自身の経営手法・哲学を語ってくれた浅田さん。和菓子屋さんがスタートだっただけに、昔からの製法・ルールを順守するのかと思いきや、機を見て敏のあずきバーの設備投資や「えいようかん」「スポーツようかん」などの新商品開発など攻めの姿勢を絶やさない。それでいて、あずきバーを難なく齧るパワフルさ。日本のあんこは今後、どのような進化を遂げるのか?井村屋はその一役を確実に担っており、進化を実現させた暁に、我々をさらに満足させてくれることだろう。
文化放送『The News Masters TOKYO』のタケ小山がインタビュアーとなり、社長・経営者・リーダー・マネージャー・監督など、いわゆる「リーダー」や「キーマン」を紹介するマスターズインタビュー。音声で聞くには podcast で。The News Masters TOKYO Podcast
文化放送「The News Masters TOKYO」http://www.joqr.co.jp/nmt/ (月~金 AM7:00~9:00 生放送)
こちらから聴けます!→http://radiko.jp/#QRR
パーソナリティ:タケ小山 アシスタント:西川文野、長麻未(文化放送アナウンサー)
「マスターズインタビュー」コーナー(月~金 8:40 頃~)