マスターズインタビュー Master’s Interview

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『魅せる芸術スポーツ”新体操”。 ロシアのコーチから言われた「あなた達は女優よ」』

文化放送The News Masters TOKYO「マスターズインタビュー」。今回のインタビューのお相手は、新体操日本代表フェアリージャパンのメンバーとしてロンドンとリオデジャネイロ、2大会連続でオリンピックに出場した畠山愛理さん。またモデルとしても活躍し、ミス日本コンテストで特別賞を受賞するなど”美しすぎる新体操選手”と言われた畠山愛理さんにタケ小山がメロメロになって迫った。

◆妖精はいかにして誕生したのか

身長170センチ、すらりと長い手足に小顔という抜群のプロポーション。一瞬にして魅了されてしまう笑顔。現役時代に「美しすぎる新体操選手」と言われた元フェアリージャパンの畠山愛理さん。妖精はいかにして誕生したのか。

新体操を始めたのは小学校1年生。6歳の時。「母がいろいろなスポーツを体験させてくれたんです」水泳、バスケットボール、バレーボール、クラシックバレエなどを体験して、その中から選んだのが新体操だった。

「リボンを思いのままに操ったり、曲に合わせて踊ったりするのが楽しくて、新体操をやりたーい!って」子どもが夢中になれるものを見つけるための環境づくりがあったからこそフェアリージャパンの畠山愛理さんが誕生したのだろう。「ちいさい頃は、友達がやっているから一緒に習おうという感覚ではじめることが多いけれど、早いうちに自分がやりたい競技に出会うことができたのは母のおかげ。感謝しています」

生活のほとんどが新体操中心だった小学生時代。図工や家庭科で作るものまで新体操と関係があるものばかりだったそうだ。中学に入ると当然のように選手としても大器の片鱗をみせはじめていた。しかし中学2年の時に腰を怪我してしまい関東大会を途中棄権することになってしまった。

「それからは後輩たちにも抜かれてしまい、コーチともコミュニケーションがとれなくなってしまったんです。大好きだった新体操の練習に通うのも嫌になるくらいでした」中学3年生の1年間はほぼ自主練習のようなものだったと言う。スポーツ選手にとって怖いのは、怪我や故障で満足のいくパフォーマンスが出来なくなることだ。

「当時は授業中に涙がでちゃうくらい辛かった。もうやめたい。悔しい」新体操に背を向けることで、この苦しさから逃れると思い込んでいた時期だった。そんな暗闇から引っ張り出してくれたのが保険の先生のひと言「あんなに好きだった新体操を、こんな気持ちのままでやめちゃってもいいの?」家に帰って小学校の卒業アルバムを開いた。そこには新体操が大好きだという自分がいた。文集ではオリンピックに絶対に出ると宣言していた。

「あー私はオリンピックに出ることが夢だったんだよなぁ。新体操がとっても好きだったんだ」と思い出させてくれたのだ。「こんな気持ちのままでやめちゃダメだ」と日本代表であるフェアリージャパンのオーディションを受けようと決心した。

「もし受かったら何がなんでもオリンピックの舞台に立ってやる! たとえ落ちたとしても、これできっぱりやめることができるとオーディションに臨んだんです」迷うことなく覚悟を決めて臨んだからこそ合格することができたのだろう。中学3年生で新体操日本ナショナル選抜団体チーム入りを果たした。

◆ロシアで学んだこと

フェアリージャパンのオーディションに合格したその3日後にはロシアへ向かった。旅の支度も気持ちの準備もできてないまま旅立った。フェアリージャパンは、団体選手で約半年間、個人選手は約11ヶ月間もロシアを中心とした海外で合宿生活をするのだそうだ。

畠山愛理さんにとってロシアは第2の故郷だ。ロシア西部に位置する観光都市サンクトペテルブルクを拠点に毎日9時間から10時間の練習漬けの日々を送った。

新体操強国ロシアと日本との違いをタケ小山が尋ねると「新体操に対するイメージががらりと変わりました。日本に居た頃は、他のスポーツと同じで試合に勝つことだけが目標だったのですが、新体操は芸術的なスポーツで観ている人に”伝える演技”が魅力なのだと気づかせてくれたんです」

日本は”伝える演技”というより、ノーミスの演技を求められる。間違わず正確に演技をするのは日本のお国柄だ。それも大切だが、プラス”伝える演技”が大切だと学んだ。「そこに気づいたことで、より新体操が楽しくなったんです!」

ロシアのコーチから「あなた達は女優よ。女優になりなさい」と言われ衝撃を受けた畠山さん。その意識の持ち方の違いで新体操が何倍も魅力的になってしまう魔法の言葉だ。「競技の時だけでなく私生活でも、いつも美しくしていなさい。感受性を豊かにしなさい。と教わりました」

練習中もメイクをして、爪はネイルアートを施す。いつも誰かに見られていると思って常に綺麗にするよう心掛けることが本番につながるという。たまの休日は街に出て美しい風景を見ることも大切。そして恋愛することも大切だと。「恋愛」に反応したタケ小山だったが、さらりとかわされてしまった。

◆夢の舞台オリンピック

フェアリージャパンのメンバーとして、17歳でロンドン五輪、21歳の時にリオデジャネイロ五輪に出場した畠山愛理さん。「オリンピックは他の大会と比べて周りの反応が全く違いました」世界選手権では日本にとって40年ぶりとなる銅メダルを獲得したが、その何倍もの応援を貰ったと言う。

数あるオリンピックの競技の中で新体操が他のスポーツと違うところは、技術や芸術性を競う採点競技であること。タイムを競う競技や得点競技、勝ち負けが明確な競技の中では異彩を放っている。「観戦している方々が、勝ち負けというよりも、舞台を観ているような感覚で楽しんで貰えると嬉しい」と言う。「1つの作品として物語を観ていただけたらと思っています。私たちもそういう気持ちで踊っています」

◆ビジネスマンにも役立つ新体操流の極意とは

常日頃から人に見られていること意識して生活している新体操の選手達。練習中も大勢の観客に囲まれ、大きな声援の中で演技しているイメージを持っているという。奏した練習を重ねることで、実際に試合会場でもその雰囲気にのまれることなく、寧ろ最良の環境をつくり出すことができるのだそうだ。これはスポーツに限らず一般の社会でも使えるだろう。例えば試験や面接も常日頃から本番をイメージすることで実力を発揮することができるのではないだろうか。

◆現役引退。そしてセカンドキャリアへ

2016年のリオデジャネイロ五輪、団体で8位入賞したのを最後に引退した。まだ22歳という若さだ。「2020年東京オリンピック・パラリンピックに出たい気持ちはありました。けれど自分のカラダと気持ちと相談して決めました」ただ引退した後のことまではオリンピックが終わるまで全く考える余裕がなかったそうだ。「日本に帰って来て落ち着いたら、あら私、なにも無くなってしまったと思いました」

現在は新体操の指導、講演、メディア出演などで活躍中している畠山愛理さん。「今は伝える側の楽しさもわかってきたので現役選手への復活はあり得ません」ときっぱり。2020年東京オリンピック・パラリンピックでは、単に結果だけではなく、物語が伝えられるようなレポートすることを目標にしているという。

最後に「私が選手時代、嬉しかったのは観客のみなさんの声援でした。とてもパワーになります。日本の選手だけではなく、すべての選手に対してたくさんの応援をしてあげて欲しいです。応援しながらオリンピックを楽しんでください」と。

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