マスターズインタビュー Master’s Interview

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「もっと便利に、もっと楽しく」 ~「乗換案内」ジョルダン・佐藤社長が進む未来~

文化放送ニュースマスターズ「マスターズインタビュー」でタケ小山がお話を伺うのは乗換案内などのコンテンツを中心に、さまざまなソフトウェアやサービスの開発を手掛けるジョルダン株式会社・代表取締役社長、佐藤俊和(さとうとしかず)さん。佐藤社長は1949年福島県生まれ。1976年に東京大学工学系の大学院を卒業後、パソコンを扱うベンチャー企業に入社し、その後1979年に現在のジョルダンを設立します。学生の頃から、駅から駅へどのように乗り換えれば効率的に移動できるかを考えることが好きだったという佐藤社長。スポーツマネジメントを学んだゴルフ解説者のタケ小山が佐藤社長の次々と湧き出るアイデアの源にある想いを探ります。

●「乗換案内」が生まれた理由

もともと「点と線の関係」が好きで学生時代はトポロジーを勉強していたという佐藤社長、「乗換案内というサービスのアイデアはどこから生まれたんですか」と聞くタケに、「学生の頃に、たとえばお茶の水から目黒まで行くとしたらどういう経路で行くのが一番早く到着できるのかをあれこれ考えるのが好きでした」となんだかとても嬉しそうに話し始める。大学院での専攻は化学工学だったが「実験するのがあまり好きじゃなくてやりたくなかったんです。それで、コンピュータシミュレーションの研究を始めました」と笑う。出発地という点から目的地という点へ、どんな線で結ぶのが最適なのか。場所から場所への最適な行き方を案内できれば、交通問題の解決にも結び付くはず。

「その頃から、コンピュータでアルゴリズムを活用すれば最短の経路を出すことはできるだろうなと思っていたのですが、その時点ではまだ技術的にも、社会の受け皿という面でも製品化は難しかったんです」。

その後、時を経て乗換案内というサービスが世に出たのは、佐藤社長40歳の時。最初の段階では「経路」と「運賃」の提示のみだった。今のように時間を入れて出発や到着時間の指定ができるような形を思いついたきっかけは「僕は移動に関してはすごくせっかちなんです」というのが理由だという。どこかに出かけようと思って、ぎりぎりになって駅のホームまで行くとちょうど電車が出たばっかりで、次が来るまでに数分かかる。「それが悔しくて…」と、時刻表の情報を組み込みたいと思ったのだ。

「たまに、乗換案内の利用者の方から『こんな短い時間で乗換の移動はできないよ』とおしかりを受けることがあるのですが、ちょっと速足で歩くことがデフォルト(=標準値)になっているんですよ。僕がいつもそうなので」と申し訳なさそうに頭をかく佐藤社長なのでした。

●起業は「なりゆき」!?

少し話を戻して、佐藤社長が社会に出たころの話を伺ってみよう。「東大の工学系大学院をご卒業されて前途洋々だと思うのですが、そこで、なぜベンチャー企業に就職されたんですか?」と問うタケ。この思い切った進路の選択には確固たる理由があったのだろうか?

「うーん。強いて言えば、東京を離れたくなかったというのがありましたね」と、佐藤社長。

大手企業に就職した先輩や同級生の多くは地方勤務が決まって東京を離れていった。「福島から出てきて東京で大学生活を送って、いろんなことに驚いてばかりで、それがとても楽しかったんです。それまでは田舎の男子校だったので女性を間近に見たことさえなかったんですから」と茶目っ気たっぷりに笑う佐藤社長に、「そんな理由ですか!?」とタケも大笑い。

学生の頃からアルバイトで結構稼いでいて、暮らしていくだけの収入は十分にあったので「あんまり真面目に就職のことを考えていなかったのかもしれません」そんなときに、先輩が始めた「オフィスコンピュータを作ろう!」という会社に誘われて入社したという。「パソコンの時代になるという予感がありました。これは確かに世の中を変えることになるだろうと思った」。

そして、30歳で独立して起業。この時は、さすがに何か熱い想いがあったのだろうと再び問いかけるタケ。ところが「いやぁ、なりゆきですね」とあっさり答える佐藤社長。

当時いた会社には優秀なエンジニアがたくさんいた。だが、残念ながら製品はさほど売れなかった。そのせいで、社員は三々五々離れていく。「それでね、寂しくなっちゃったんです。僕もいつのまにか30歳だし、この先どうしようかな?と」。そんな気持ちを打ち明けた二人の同僚が想いに共感してくれて「3人でお金を出し合って新しい会社を作りました」。集まったお金は全部で200万円。オフィスを借りることさえできなくて先輩の会社に間借りして仕事をスタートさせた。

●一生懸命やれば、社会は必ず動く

「最初の10年間、とにかくいろんなことをやりました」という佐藤社長。技術力があるおかげで多くの受託仕事に恵まれ、収益は順調に上がっていった。「とにかく食べていかないといけないから、来た仕事はなんでも受けようと思っていました。後の乗換案内につながるようなシミュレーションの仕事なんかもありましたね。今思えば、やったことはなんでもどこかで役に立ちますね」

この時代に開発した「クレイジークライマー」というゲームソフトは大ヒット商品となった。「もうちょっとうまく立ち回ればビルが建ったのになんて言われるんです。金儲けには失敗しましたね。一緒に開発した人たちに悪いことしちゃったなぁ」と言いながらも、ひょうひょうとした笑顔で過去ではなく未来を見つめる佐藤社長。「失敗はたくさんありました。大きな損失を出したこともある。でも、全体で利益を出せていれば、部分での失敗は気にしなくていい。失敗することを恐れずに、おおいにチャレンジするべきだと思っています」。

「それは、若い人たちへのメッセージにもなりますね」とタケが尋ねると、「若い人は、どんどんやりたいことをやるべきだと思う。どんな道だって、一生懸命やれば世の中は動きますよ。好きなことをやっていれば、なんとかやっていけるものです」と経験に裏打ちされた強い言葉がありがたい。「僕も、まだまだやりたい新しいことがありますからね。コンピュータ周りは今も活発に動いていて面白いんです。今後、まだまだ変わっていくと思います。日本ではiPhoneが今は全盛ですが5年、10年後には別の動きが始まっていると思う」。

●もっと便利に、もっと楽しく

ジョルダンの創業から、今年で38年。「38年間の会社経営において一番大事にしてきたことは何ですか?」と、ゴルフ場の経営経験があるタケにとって、これは非常に気になるところである。この質問に、迷うことなく佐藤社長は答えた。「とがった切り口から便利になるように動いていきたい」。世の中は、もっと便利に、もっと楽しくなるはずだという。たとえば、キャッシュレス。

「中国のマーケットは近年、どんどん変わって、進化しています。スーパーマーケットで現金を使えないというところまで現れてきているほどなんです」と、中国の上海に拠点があるジョルダンは、海外の状況も的確につかんでいる。「アメリカはもちろんですが、中国もキャッシュレスの世界に入ろうとしています。この点では日本は遅れていますね」

常に新しいアイデアが頭の中に浮かび上がるという佐藤社長。「こんなことができたら便利だな、もっと楽しくなるな」という空想がベースになっているという。

「ジョルダンのサービスは『移動』が強みなので、移動を軸としていろんなことをやっていきたい」と語る。タケがこんなことを提案してみた。「海外への乗換案内なんてどうですか?たとえば浜松町からニューヨークの5thアベニューまでの最短経路が分かったら、すごく便利ですよね」。少しふざけも混じった提案を笑い飛ばすかと思いきや、「それもすでに考えています。近いうちに出来ると思いますよ」とまったく動じずに答えた後で、佐藤社長はさらにこう付け加えた。「飛行機のチケットを乗換案内からそのまま買えるようにしたいという構想もあります。楽に目的地に着けること、楽に交通手段に乗れることを次々に実現していきたいんです」。

ジョルダンでは「行き方案内」というアプリもすでに開発済みだ。「目的地までの道のりをどう歩けばいいかをわかりやすく案内するサービスです」。駅の出口情報をすべて持っているからこそできる「降りてからの行き方」を丁寧に音声で案内してくれる。「現在は乗換案内とは別のアプリとして出していますが、今後開発を強化して精度をもっともっとあげて、最終的には乗換案内の中でもこのサービスを利用できるようにしていきたいと考えています」

佐藤社長の掲げる「日常に欠かせないサービスを、もっと便利にもっと楽しく」という夢を、創業当時の3人から今や200人近くにまで増えたジョルダンの社員全員が、日々追いかけている。

●大雑把だからこそ、大きな夢を描くことができる

「普段、あんまり怒ることはないですね」と言う佐藤社長。たしかにインタビューの間も、どんな質問にも始終笑みを絶やさず、穏やかな口調で答えてくれる。「それでも長年社長として仕事をしていたら、こんなんじゃダメだ!なんて腹の立つこともあるでしょ?」と突っ込むタケに、そう言えば…と、こんなエピソードを話してくれた。「少し前まで、プロジェクトごとに独立採算の形をとってチームごとに動いていたんですが、ある時ふと気づいたらチームごとに壁ができてしまっていて、縦文化が発生していたんです」。

縦文化は、気軽に頼みごとがしにくくなったり自由な意見の交換を阻んだりなどにつながり、弊害が大きいという。「これは、壊さないといけないと思った」という佐藤社長は、オフィスの移転を決意する。たった200mしか離れていない場所にオフィスを移し、壁を取っ払ってオープンなフロアを作り、さらに社内のルールも変更した。「変えることを恐れてはいけない。世の中も変化するんだから、僕らも変化しないといけないんです」。大きな変革の際には大胆なルール変更も辞さない。優しい穏やかな笑顔の奥には、常に強さが潜んでいるのだ。バスの情報の拡大をやろうと決めた時には社内で猛反対にあったというが、

「いろんな仕事の最終決定は、僕がやっています。多数決では決めない。方向性はみんなで同じ向きに合わせたいんです」。

とにかく「移動」にこだわり続けたい。移動した先にどんなレストランがあるのか、ライブハウスでは何が楽しめるのかを全部丸ごと案内したい。さらに「緊急時の案内もやりたいし、声で伝えるサービスも導入したい。それも、無機質な声ではなくてぬくもりのある声で…」と、やりたいことを数え上げるときりがない。実現に必要なのは、「やりたいことにかける想いと開発者のしつこさ」だと笑う佐藤社長。「それさえあれば、必ずものはできていくんです」

突拍子のないアイデアが突然湧いて出てくるという佐藤社長は、その理由を「僕が大雑把だから」と言う。「大雑把で細かいところまで考えないからこそ、『こんなこともできるんじゃないかな』って勝手に思い込んで走り出すんでしょうね」。今、抱いている夢の一つは「グーグルに負けない地図を作ろう!」ということ。業界の人間からは「君はドン・キホーテか?」とあきれられていると苦笑しつつも、「この領域では僕たちは負けないで頑張っていきたいんです」。

趣味はゴルフとジョギング。「どれくらい走ったか、どれくらい歩いたかもすべてデータを取っているんです」と、佐藤社長は私生活でもデータ魔のようだ。「ちなみにゴルフの時はどれくらい歩きますか?」というタケの質問に「1万7000歩くらいです」と即答。「おっ、それはあんまり球が曲がって飛んではいかないってことですね」とプレイを読むタケに「わっはっは」という大笑いが、旅先で買ってきたという絵が飾られた午後の明るい社長室に響きわたった。

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