(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2024年8月16日
8月11日 第631回放送
1925年に日本でラジオ放送が始まって99年。聴取者にとってラジオは生活に溶け
込んだ身近な存在であり今後もその役割をまだまだ発揮し続けていくと考えられます。
約一世紀のラジオ放送では、戦時中に軍・政府から統制されて国民を戦争に駆り立てた
という一面もあります。戦時下でのラジオの責任を真正面から見据えたノンフクション
【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】著者の大森淳郎さんにお話をうかがいます。
1957生まれの大森淳郎さんは「東京外国語大学」を卒業し82年にNHKに入局。
最初に赴任した「NHK富山放送局」で村上さんと2か月だけ重なりました。初めての
番組は富山空襲と軍需工場を扱った15分番組。その後、東京、広島、福岡、仙台の各
放送局にディレクターとして勤務し「日本が関わる戦争」を仕事の一つの柱にして番組
制作に取り組みました。併せて、NHKに保管されている膨大な資料と、ラジオに携わ
った「放送人」たちの矜持や高揚、煩悶や諦念など長期にわたる取材で、戦時における
メディアのありようを問うたのが本書【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】です。
太平洋戦争中の1943年7月、教育者の伊東静江による「わが子を荒鷲に」という講
演が放送されました。曰く「母たるものは、ここに決然立って一人でも多く大空にわが
子を捧げる決意を致しましょう」と呼びかけました。当時不足していた戦闘機のパイロ
ットにしようという主張で、女性は戦地に行かないけれど「その声」は利用できるとの
計らいで放送。大森さんは「あの時代にいたら自分も人々を戦争に動員するのに役立つ
ような番組を作っていたと思わざるを得ない」そして「気付いたら後戻りできない所に
いるのではもう遅い。自分の立ち位置にはいつも敏感であるべきだ」と戒めています。