(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2024年8月30日
8月25日 第633回放送
年々トラブル件数が増していく「相続」の問題に比例してエンディングノートの需要が
高まりを見せています。医師になって50年の鎌田さんは、健康づくり運動と終末医療
に特に力を入れてきましたが「死は、生きることに組み込まれている」との思いに至り
「死に対してどう向き合うか」を記したエンディングノートを作ったので紹介します。
「家の光協会」から出た『鎌田式おきらくハッピーエンディングノート』はユニークな
エンディングノートです。医師である鎌田さんの死生観や生きるヒントを記したコラム
やメッセージを随所に掲載し、ノートに書き込みながら死と向き合うことで生きている
「いま」がイキイキと輝きはじめ、残された時間を前向きに過ごすための記録帖です。
【おもしろく、あなたらしく、一度きりの人生を振り返り、生きる力を呼び起こそう』
ということで例えば「死ぬまでにしてみたいこと、行ってみたい場所はありますか?」
という項では「死ぬまでにしたいこと10個」と「行ってみたい所10か所」を理由と
ともに記入します。また「いまの自分を見つめて、その情報を家族と共有する」という
ページでは、普段は忘れていることや、当たり前すぎて意識をしないことも他の人には
「へえ」と驚くことがあるかもしれません。更に、自身の健康状態や持病やアレルギー
健康診断の結果と「かかりつけ医」や既往症についても書き置くと周囲が役立ちます。
そして、自身が残したお金をどんなふうに使って欲しいか、介護や終末期医療について
の希望や、葬儀についての希望も家族に伝えておきましょう。人生を振り返り、家族の
ために整理する「あなたのライフノート」です。書き込むほどに、残された時間がイキ
イキと輝きをまし明日への希望を見つける手助けとなる不思議なエンディングノート。
2024年8月23日
8月18日 第632回放送
元日の能登半島地震からおよそ7か月半が経ちました。お盆中に「なりわい再建事業」
として石川県内初の仮設商店街が七尾市にオープンしましたが、震災復興に向けて動き
出している被災地を訪れた鎌田さんと村上さんの『復興支援お手伝いリポート』です。
鎌田さんは震災翌月に輪島市で避難所の方々への炊き出しと健康相談に応じ、3月には
復興支援の「能登雪割草まつり」で健康講和を実施。6月には「七尾高校」で「教科書
にない一回だけの命の授業」を講演し「個性を持って生きること」更に「高校生が元気
でいることは地元の希望や誇りに繋がっている」という内容を話したところ、講演後に
たくさんの質問が生徒からあったので震災にめげない若いエネルギーに感心したとか。
村上さんは俳優の若村麻由美さんに誘われて円地晶子さんと共に七尾に入りしました。
仲代達矢さんが主宰する「無名塾」に18歳で入った若村さんは「能登演劇堂」のある
七尾市で仲間たちと合宿して演技を磨きつつ、地元の人たちとの交流は40年経った今
も続いており「能登への想い」はひとしおのものがあります。七尾市の「一本杉通り」
は、建物が国の登録有形文化財となっている商店などが軒を連ねる人気の観光名所です
が、震災で建物は損壊。商店が復興への足がかりになればと、震災翌月から「一本杉マ
ルシェ」を始め、若村さんは復興支援「笑顔のバトン」リレーに友人を誘っています。
14店舗が参加するマルシェから「鳥居醤油店」の鳥居正子さんに電話で伺いました。
明治41年に建設された土蔵作りの店舗は震災で建物全体が大きく傾き、外壁の壁は剥
がれ落ち、醤油づくりで肝心の「もろみ蔵」と「こうじ室」も壊滅的な被害を受けたが
再開を望む声が多く寄せられたのでなりわい再建に向けて頑張る決意を固めたという。
2024年8月16日
8月11日 第631回放送
1925年に日本でラジオ放送が始まって99年。聴取者にとってラジオは生活に溶け
込んだ身近な存在であり今後もその役割をまだまだ発揮し続けていくと考えられます。
約一世紀のラジオ放送では、戦時中に軍・政府から統制されて国民を戦争に駆り立てた
という一面もあります。戦時下でのラジオの責任を真正面から見据えたノンフクション
【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】著者の大森淳郎さんにお話をうかがいます。
1957生まれの大森淳郎さんは「東京外国語大学」を卒業し82年にNHKに入局。
最初に赴任した「NHK富山放送局」で村上さんと2か月だけ重なりました。初めての
番組は富山空襲と軍需工場を扱った15分番組。その後、東京、広島、福岡、仙台の各
放送局にディレクターとして勤務し「日本が関わる戦争」を仕事の一つの柱にして番組
制作に取り組みました。併せて、NHKに保管されている膨大な資料と、ラジオに携わ
った「放送人」たちの矜持や高揚、煩悶や諦念など長期にわたる取材で、戦時における
メディアのありようを問うたのが本書【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】です。
太平洋戦争中の1943年7月、教育者の伊東静江による「わが子を荒鷲に」という講
演が放送されました。曰く「母たるものは、ここに決然立って一人でも多く大空にわが
子を捧げる決意を致しましょう」と呼びかけました。当時不足していた戦闘機のパイロ
ットにしようという主張で、女性は戦地に行かないけれど「その声」は利用できるとの
計らいで放送。大森さんは「あの時代にいたら自分も人々を戦争に動員するのに役立つ
ような番組を作っていたと思わざるを得ない」そして「気付いたら後戻りできない所に
いるのではもう遅い。自分の立ち位置にはいつも敏感であるべきだ」と戒めています。
2024年8月 9日
8月4日 第630回放送
「他人の粗探しをする人」がいます。他人の欠点を探すだけでなく、つい悪口を言って
しまうようになると良い趣味の人とは言えません。反対に「人の良いところだけが見え
てしまう」という特技を持っている人もいます。その特技を活かして全国各地で講演を
している坪崎美佐緒さんを迎え『幸せをもたらすコーチング』についてうかがいます。
コーチングとは会話をしながら「心の底にある夢や目標を叶える力」が本人に備わって
いるにもかかわらず本人が気づいていないこともあるので、そのことを本人が気づくよ
うにサポートするのが仕事です。答えを与えたり教えたりするのではなく、本人が答え
を創り出すサポート役です。坪崎さんは1964年に北海道旭川市で生まれ、結婚後は
家事と子育てを楽しむ専業主婦として過ごしていましたが、ある日偶然に新聞記事で見
つけた「コーチング講座」に参加したところ、受講生の表情がどんどん笑顔に変わり、
前向きな気持ちになるだけでなくコミュニケーションが円滑になり、家庭や職場を問わ
ず誰とでも気持ちよく接することができるようになれば、笑顔の絶えない幸せな人生を
手に入れることができる!と確信して「私が探していた仕事だ、この仕事がしたい!」
と強く思い2010年コーチングのプロコーチとしての人生をスタート。「もしも私み
たいな何にもない人が夢をもって諦めずに続けて、夢を叶えて誰かの役に立てたなら、
世の中の諦めようと思っている人の力になれるかもしれない!」といい、「心が伝わる
コミュニケーション」を広め、幸せの連鎖をつなげていくことをミッションとして企業
学校や医療機関でマナー研修、コミュニケーション研修などの講師として精力的に活動
しています。著書は『いま、目の前にいる人が大切な人』エッセンシャル出版社です。
2024年8月 2日
7月28日 第629回放送
立川市の男性から「先日『アハメドくんのいのちのリレー』を読み、いのちのリレーで
思い出したのは、1990年にサハリンから大やけどを負った3歳のコースチャ君来日
の出来事です。いのちを救うという目的に立場を超えて協力しあい、素晴らしいことが
できたのに、今のウクライナやガザ地区はどうした事でしょうか」という投稿を紹介。
テーマは、世界中が望んでいるはずの「平和」と「大切ないのち」について考えます。
2005年、パレスチナ自治区の「ジェニン難民キャンプ」に住む12歳のアハメド君
はイスラエル兵の誤射で命を落としました。脳死状態の時に父親の決断で臓器移植され
ることになり、彼の心臓は12歳のイスラエル人少女サマハさんなど6人に臓器移植さ
れました。この新聞記事を読んだ鎌田さんは5年後に現地に就いて、当事者の人たちに
会い書き上げたのが『アハメドくんのいのちのリレー』です。どうして敵国の人に臓器
移植したのか?という問いにアハメド君の父親のイスマエルさんは「おぼれている人を
助けるのに国籍?民族?宗教?なんて聞かないでしょう。人間として正しいことをした
だけです」と返答されました。人を国籍や宗教で見ずに「人」として見て話が出来るよ
うになれば世の中はもっと前進するのではないかと実感。いがみ合う双方を隔てる壁を
乗り越え「命のバトンを描く」絵本は13年後の現在も多くの人に愛読されています。
東西冷戦が終結した翌年の1990年8月。大やけどを負ったコンスタンチン君(愛称
コースチャ君)は現地病院では治療が難しく「日本で治療してほしい」という緊急要請
に超法規的措置で19時間後に「札幌医科大学付属病院」に搬送され、3か月で治癒。
過去には出来た「いのちのリレー」を難しくしている障壁は何か?を改めて考えます。