(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年12月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年3月
- 2014年2月
- 2014年1月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年10月
- 2013年9月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月
- 2013年3月
- 2013年2月
- 2013年1月
- 2012年12月
- 2012年11月
- 2012年10月
- 2012年9月
- 2012年8月
- 2012年7月
- 2012年6月
- 2012年5月
- 2012年4月
2021年11月15日
11月14日 第488回放送
アフガニスタンに用水路を建設して、多くの人の生活を立て直した医師の中村哲さんが
非業の最期を遂げてから間もなく2年になります。中村さんと20年近く親交のあった
歌手の加藤登紀子さんをゲストに迎えて、中村さんの人物像と共に偉業を紹介します。
パキスタンとアフガニスタンの人々の支援に35年間取り組んできた中村哲さんの活動
を『哲さんの声が聞こえる~中村哲医師が見たアフガンの光~』という一冊にまとめた
加藤登紀子さん。中村哲さんとの出会いは2002年1月でした。前年の「米同時多発
テロ」を契機にアメリカがアフガニスタンを爆撃。既に悲惨な干ばつで食糧が逼迫して
いるのにそこに爆撃をするのは反対という声を上げた中村さんを加藤さんは応援します
当時「国連環境計画親善大使」を務めており砂漠化の深刻さを憂えていたので、恒例の
『ほろ酔いコンサート』で中村さんの『ペシャワール会』へ支援を呼び掛け寄付を募り
ました。医師の中村さんが「医療より水」を選び、井戸や用水路建設に舵を切った理由
は「ほとんどの病気は十分な食べ物と清潔な飲料水があればかからない。飢えや渇きと
いうのは薬では治せない」と気づき、白衣を脱いで医師の仕事とはかけ離れた長い長い
闘いが始まりました。加藤さんが印象に残る中村さんの言葉として「農業がある限り、
人間は生きていける。電化製品は食えないけど、札束はやがて薪にしかならなくなるけ
ど、食べ物さえあれば人間は生きていける」や最澄の言葉で中村さんの好きな「一隅を
照らす」などを紹介。中村さんの三無主義は無思想~思想信条に捉われない。無節操~
誰からも募金を受け取る。無駄~無駄を赦す気持ち。更に「穏やかな厳しさ、恥ずかし
そうな優しさ、強そうに見えない逞しさ、これが哲さんの生き方の極意」と語ります。