(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2020年8月31日
8月30日 第425回放送
9月1日は「防災の日」です。大正12年の同日に発生した「関東大震災」で壊滅的な
被害に見舞われた首都東京を辣腕をふるい甦らせた中心的人物が後藤新平。大災害から
復旧ではなく復興するために、いくつもの施策が実施され現在の東京が出来上がる核に
なりました。今回は、自称人気シリーズ『ボクたちの好きな日本人』をお届けします。
「関東在震災」から遡ること28年前。医師出身で当時「内務省衛生局長」の後藤新平
に明治28年「日清戦争」で勝利した帰還兵23万人余の「コレラ検疫業務」を速やか
に遂行する任務が課せられました。死病と恐れられ清国もコレラが流行していました。
帰還兵によって持ち込まれては国難になるので、水際で阻止する任務ですが、戦勝凱旋
ムードの軍部の強い反発を抑えるために「臨時陸軍検疫部事務官長」の肩書も用意され
後藤は前代未聞の大プロジェクトを敢行。突貫工事で瀬戸内海の似島、彦島、桜島の3
島にそれぞれ100棟を超える大規模な検疫施設を設置し、検疫、消毒、感染者の隔離
物資の焼却など23万人余の帰還兵の検疫事業をわずか3か月で達成します。検疫施設
の閉鎖に際して、上司の児玉源太郎少将から箱を受け取った後藤が箱の中を確認すると
後藤を非難する多数の電報や手紙、彼を信じた上司が握りつぶし貫徹した事業でした。
後半は「辛亥革命」を成し遂げた孫文を支えた梅屋庄吉です。明治元年、長崎生まれの
庄吉は、国際的な風土から国際感覚や時代を先取りした先鋭的な考え方を育みました。
14歳で上海に渡り、西洋人が中国人に不遜な振舞をしていることに知りアジア人同士
で協力して平和を築く必要があると決心します。27歳の時に香港で孫文と意気投合し
帰国後に映画産業で得た莫大な財産を孫文の支援を続け、若き日の誓いを守りました。