(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2019年8月12日
8月11日 第371回放送
日本で初めて公害問題に立ち向かった人は、明治時代の足尾銅山鉱毒事件の田中正造。
以来、公害を追求した人物の生涯や思想は伝記や映画で現代に伝わっています。今回の
「ボクたちの好きな日本人」は成長を遂げる過程で生じた公害問題と対峙した人々です
わが国の高度経済成長期には、重化学工業化のために産業公害が拡大し、四大公害病の
水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくが発生して関心を集めました。
鎌田さんが紹介するのは、熊本大学医学部で水俣病の研究を続け「胎児性水俣病」を発
見した医師の原田正純さん。有機水銀に汚染された魚介類を食べて中毒になった水俣の
住民は手足や口が痙攣したり、耳や目に障害がおこり、知的障害も発生。始めは原因の
分からない神経疾患として扱われていましたが、工場の廃液に含まれる有機水銀が原因
と判明。しかし公表は9年後でその間に被害は拡大、和解まで40年も費やしました。
村上さんは新田次郎原作で映画化もされた『ある町の高い煙突』のモデル3人を紹介。
水俣病とは大きく違い、企業と住民が協働し煙害問題の解決に向けて努力した事例です
明治38年「日立鉱山」が創業。煙害問題の解決に向けて住民側代表は若干23歳の関
右馬允(せきうまのじょう)で一方の企業側は庶務課長の角弥太郎。角は地元との共存
共栄を理想として交渉に臨み、解決をめざしました。煙害克服のために鉱山は様々な方
法を検討し実行。創業者の久原房之助は火山が高く煙を噴いてもさほど煙害をもたらさ
ないことと、それまでの経験から、煙突を高くして煙を上空高くに拡散する方法を主張
政府を説得して当時世界一の高さを誇る「大煙突」を完成させ煙害を激減させました。
公害とは別で終戦の詔勅や平成元号制定に関わった陽明学者の安岡正篤も紹介します。