(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2018年3月13日
3月11日 第299回放送
東日本大震災から11日で7年。岩手、宮城、福島の3県では津波で壊された沿岸部の
街の再建が進む中、人々の暮らしやコミュニティーの立て直しはまだまだ道半ばです。
大震災の津波で孤立した宮城県気仙沼市の離島・大島の住民の足として、被災直後から
活躍した臨時旅客船「ひまわり」の船長菅原進さんが電話であの日と現在を語ります。
気仙沼港から7キロ離れた「大島」。津波で大島と気仙沼港とをつなぐ定期フェリーが
陸に打ち上げられてしまい、3200人の島民は島に帰ることも島から出ることもでき
なくなっていました。3月11日の震災から19日後に定期船が復活するまでのあいだ
救援物資や医師などを乗せ、大島の住民の命をつなぎとめていたのが「ひまわり」です
鎌田さんは震災1か月後に大島を訪れた際に利用したので菅原船長と知り合いました。
震災当日、大きな津波が押し寄せると判断した菅原さんは、地震発生直後すぐに港から
船を出し、最高20メートルの高さの津波を5波越えて「ひまわり」を太平洋上に乗り
出して船を守りました。この船がなくなれば「島が孤立してしまう」との思いからです
菅原さんは自宅を津波で失いながらも、ボランティアで船の運航を続け震災2日後から
約8か月間、船を無償で運行して島民の足を守りました。3月11日のきょうは津波で
行方不明になった年長組の「みどりちゃん」に船上から献花をする中学1年生の友達に
よって「ひまわり」はチャーターされ7年前に津波を乗り超えたところまで行きます。
気仙沼と大島を結ぶ橋が来年3月完成すると「ひまわり」は引退しますが保存して遺構
にしたいという地元の声に、さだまさしさんと鎌田さんも協力を約束しています。他に
鎌田さんが最近訪問した岩手県の陸前高田、福島県の南相馬市や飯舘村の近況を紹介。