(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2016年2月29日
2月28日 第197回放送
「三つ子の魂百まで」という諺があります。幼い頃に培われた性格は人間形成に大きく
影響しますが、貧困・暴力・育児放棄などの理由から約3万人の子どもが児童養護移設
で生活しています。愛情に恵まれなかった子は、成長してからも相手や子どもに愛情を
向けることができず、誰かが断ち切らない限り「負のスパイラル」は繰り返されます。
今回は「頼れる人」との出会いから少女期の辛い体験を克服した女性をお迎えします。
都内の美容院で働くチヒロさんは23歳。物心がついたときから児童養護施設で暮して
いた彼女は「正月が一番嫌いだった!一緒に過ごす人がいなかったから」といいます。
「都立高校に入学したら一緒に暮らそう」という母親の言葉を信じ一時は同居しますが
母親の水商売が軌道に乗らず早々に追い出され、2度も捨てられた体験から人間不信に
陥ります。「私、生きていていいのかなぁ」と崖っぷちで自殺を考えていた15歳の時
アルバイト先の店長から『日本駆け込み寺』の玄秀盛さんの存在を聞きて救われます。
玄さんの勧めで別の施設に入所、通信教育で高校と美容師の勉強を続けて、国家試験に
合格後、美容院で働いています。人間不信で胸襟を開かない15歳の少女と52歳の玄
さんを繋いだのはEXILEのボーカルATSUSHIさんの歌声と「また、おいで」
の一言でした。「約束を守ったらATSUSHIに会わしたる!」という言葉を信じて
目の前の目標を次々に達成したチヒロさんは、希望が叶いプレゼントまで貰いました。
孤独な人、挫折・失敗した人の再スタート、再チャレンジを応援している玄秀盛さんは
歌舞伎町『新宿駆け込み餃子』に続き、出所者を支援する居酒屋『酒肴蔵 京丹後屋』
を開店しました。幼子から老いた出所者まで悩みを抱えた人へ支援を続ける頼れる人。
2016年2月25日
2月21日 第196回放送
都内屈指の繁華街・池袋のとなり要町で、毎週1回水曜日のみオープンするパン屋さん
『あさやけベーカリー』の店主・山田和夫さんは、自費で材料を揃えNPOの人たちと
共にパンを作り、池袋のホームレスの人たちに無料で配っています。その契機となった
のがメモ。ゲストは『妻が遺した一枚のレシピ』(青志社)著者の山田和夫さんです。
大学卒業から60歳で定年退職するまで玩具製造一筋のサラリーマン生活を送った山田
さん。妻の和子さんが自宅を改造してパン屋を営んだ20年間は、衝突を避けるために
干渉しないで来ました。定年を機に手伝おうと思っていましたが、ほどなく和子さんは
体調不良を訴え、検査の結果「末期のすい臓がん」と判明。その診断から僅か5か月後
和子さんは帰らぬ人となりました。たった一人深い「妻ロス症候群」に陥った山田さん
が立ち直るきっかけになったのが、亡き妻が遺したパン焼き手順を書いたメモでした。
和子さんはNPOに協力してパンをホームレスの人たちに配る活動を続けていましたが
病気で中断し、そのことが気がかりで亡くなる直前に「パンの提供を続けてほしい」と
レシピを山田さんに託していたのです。パン作りを通して出会ったホームレスたちとも
打ち解けていくうちに、先入観や偏見、固定観念が消えて新しい自分に生まれ変わった
ともいいます。更に山田さんの社会活動は自宅を開放して『要町あさやけ子ども食堂』
をオープン。これも亡き妻の友人で子どもの貧困問題に取り組んでいるNPO法人代表
から誘いでしたが、生来子ども好きの山田さんは直ぐに快諾。近所の主婦の手を借りて
第1水曜日と第3水曜日に孤食の子どもや母子に開放しています。子ども達と母親達は
それぞれに遊び・語る「憩いの場」を得たことで食事だけではない広がりがあります。
2016年2月15日
2月14日 第195回放送
きょうは「バレンタインデー」。愛を語る日とされていますが宇宙物理学者の佐治晴夫
さんは「愛とは、相手に寄り添うこと」といい、「愛を通して美しくなることもある」
とは鎌田さんの弁。今回は「慈愛に満ちた女性」「凛として美しい女性」の紹介です。
まずは、鎌田さん村上さんもほおばった慈愛に満ちた「おむすび」の話からスタート。
青森県の岩木山のふもとで救いを求め訪れる人たちの癒しの場「森のイスキア」を主宰
した佐藤初女(はつめ)さんが2月1日94歳で亡くなりました。「森のイスキア」は
迷い・疲れ・救いを求めて訪れる人に寄り添い、再生の契機となるように「おむすび」
を振舞ってきました。施設名のイスキアは、生きる意欲を失った青年が自然の中で自分
を取り戻したと伝えられるイタリア・イスキア島に因んで付けられました。訥々とした
津軽弁の初女さんの言葉を聞き、初女さんのおむすびを食べながら、自分を見つめると
なんだかわからないうちに、ちょっと元気になる。本気になって生きてみようと思う。
続いて鎌田さんが紹介した「凛として美しい女性」は、八ヶ岳山麓でレストランを経営
していた「末期がん患者のKさん」。幼い頃にみた家庭内暴力がトラウマになり1人で
生きることを選び、1人で死ぬことを選んだKさんが、最後に放った静かな輝きの話。
村上さんはタレントの壇蜜さんと対談した逸話を披露。「壇蜜さんの声には人を惹き付
ける周波数があると思う」といい芸名の壇蜜は仏教用語に由来していると明かします。
また、「生き方が凛として美しい女性」として兵庫県の丹波で会った元バレエダンサー
で現在は林業従事者になって8年目の中島彩さん35歳を取り上げ、トゥシューズから
地下足袋へ履き替えた中島さんの決断に至る経緯と住民参加の森林整備を紹介します。
2016年2月 9日
2月7日 第194回放送
小学校の通信簿に「落着きがない」と書かれた村上さん。長ずるに及んでも「人見知り
で友達少ない、自分だけのルールがある」。鎌田さんは「独りが好き、落着きがない」
「ボクらはひょっとするとアスペかも?」ということで、ゲストは現役の整形外科医で
『ぼくはアスペルガーなお医者さん』(KADOKAWA)著者の畠山昌樹さんです。
文部科学省の調査によると、学習面、行動面、対人関係などで特別な支援が必要な児童
つまり「発達障害」の傾向を持つ児童は通常学級に6・3%存在するということです。
1974年大阪生まれの畠山さんは、サッカーと算数が得意な少年で、小学校低学年で
分数の加減乗除が出来ますが、国語で「主人公の気持ち」を推察することには大苦戦。
独り遊びが好きで、友達と遊ぶのは苦手、外出嫌い、人混み苦手、他人の表情や視線や
ジェスチャーの意味を読み取ることができません。人の心と心が通じ合うという感覚は
一度も感じたことがありませんから、当然親友もいません。一方、ルール厳守が大好き
だから、学則が厳しい進学校から防衛医科大学に進み、難儀なく医師になったのですが
医科大学や国家試験に合格しても嬉しいという感覚がありません。畠山さん自身が疑い
もって専門医を訪ね「アスペルガー症候群」とわかったのは数年前のことです。そして
苦手なコミュニケーション能力を努力で身につけ「優しいお医者さん」に成れました。
自身の体験からアスペの具体的対症療法としての「眼振」を紹介。眼球を左右に動かし
人差し指を1秒おきに左右に動かし目で追う。脳を揺さぶる感覚です。食事は糖と炭水
化物を減らし、脂肪を増やした食事に切り替えた「ケトン食」が脳エネルギーになる。
鎌田さん曰く「危機回避能力があり人の体を守る任務に忠実なアスペは医師向き!」。
2016年2月 1日
1月31日 第193回放送
「余命告知」については賛否両論あります。「医療の不確実性」からすると明確に言え
ないのですが、患者は自分の状況を知り覚悟を決めて闘病することも、ベストな治療を
選ぶこともできます。今回は「希少がんで余命2年」と告知されながらも期限を過ぎて
なお活躍中の発明家「ドクター・中松」中松義郎さんの命を懸けた発明談を聴きます。
発明家として知られる中松さんですが、一方で国政選挙や都知事選のたびに立候補して
人目に立つことが好きな人との印象があります。「選挙」に立候補する理由を尋ねると
藤村義朗海軍中佐との約束を守っているからと返答。終戦間際にスイスで日米和平工作
をした藤村中佐とは住まいが近所で、生前は家族ぐるみの付き合いをしていたそうです
が「折に触れて日本を立て直してくれ」と託されたので弔い合戦で出馬してきたとか。
2014年6月「86歳の誕生日」に「導管がんで2015年末までの命」と公表しな
がらその期間をクリア。86歳で「希少がん」に罹ったことを中松さんは、命を懸けた
発明の機会をもらえたので神様に感謝!と実にポジティブです。著書も100冊を数え
近著『ドクター・中松の最終講義 打ち破る力』(世界文化社)の中で「座右の銘」の
「撰難楽(せんなんらく)」という造語を披露。「凡人は安易な道を選び、天才は困難
な道を選びその過程を楽しみながら発明を生みだす」とその意味を紹介。また100歳
の母親が古希の中松さん言った「あなたはまだまだ伸びる、超並です。並を超えている
のです。ガンガンやりなさい」と発破を掛けたそうです。中松さんの創造の根幹にある
のは「母の慈愛」であり、いかに世の中の人を楽しませ、幸せにするかだといいます。
無限の伸びしろがあるのだから、諦めぬこと。どんな壁をも打ち破れ、新道は拓ける。