(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2015年7月13日
7月12日 第167回放送
古くは小説家や画家がメガホンをとり、近年は俳優やお笑い芸人が異業種監督として
映画を発表していますが、全国で自主上映中の『日本と原発』を撮った河合弘之監督
は「逆襲弁護士」の異名を持つ辣腕弁護士。後世に残すべきは何かという鼎談です。
河合弘之さんは1944年中国・新京(現在の長春)生まれ、終戦の翌年に家族6人で
引き揚げ途中、生まれたばかりの弟を栄養失調で失いました。自分も残留孤児になった
かもしれないという思いから、中国残留孤児の日本国籍取得に注力し1250人が取得
しています。また拠り所がないという孤児のための支援策として、御徒町に『中国残留
孤児の家』を開設し、同店で扱う水餃子は人気も高く販売事業も軌道に乗せています。
一方、バブル華やかなりし頃「金屏風」で世間を騒がせた平和相互銀行乗っ取り事件や
忠実屋・いなげや株買い占め事件、バブルの代名詞ともいえる商社イトマンの「イトマ
ン事件」等数々の大型経済事件で顧問弁護士となり、誰も考えつかない戦術で逆転勝利
に導いたビジネス弁護士です。ところがバブル紳士の弁護をして巨額の富を得たものの
"心に秋風が吹き"自分が取り組むべきは何か?自問自答の末に"後世に美しい地球を
残すこと=環境問題"という結論に達しました。この問題に舵を切ったきっかけは94年
に会った核化学者の高木仁三郎さん(2000年没)との出会いです。「ひとたび原発
事故が起きてしまったら国の存亡に関わる大きな問題である」と気づかされました。
鎌田さんも亡くなる半年前の高木さんから"反原発は何かに反対したい!という欲求
ではなく、よりよく生きたいという希望の表現です"と告げられ偲ぶシーンもあります。
エネルギッシュな71歳の河合弁護士の口癖は"本気でしていると誰かが助けてくれる"