(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2015年3月 2日
3月1日 第148回放送
太平洋戦争が終った1945年(昭和20年)から70年です。終戦の年の3月10日
米軍爆撃機による「東京大空襲」で、罹災者は100万人を超え、一晩で推定10万人
の尊い命が失われました。「戦争の惨禍を再び繰り返すまじ!」の決意で活動を続ける
エッセイストであり、落語家一門を取り仕切る"おかみさん"海老名香葉子さんです。
昭和20年3月10日の「東京大空襲」を疎開先の沼津の山から見た当時小学5年生の
香葉子さんは、「青白く見えた東京の空」がいまでも瞼に焼き付いているといいます。
両親と兄弟4人を亡くし、唯一生き残った3番目の兄・喜三郎さんと会えたのは6日後
で、壊滅した惨状を伝え聞いた名香葉子さんは、一晩中抱き合って泣き明かしたとか。
実家の家業は、代々続く釣竿職人(竿師)で初代の曽祖父は「パリ万博」で最高賞を受
賞し、その名人芸を受け継いだ祖父や父の仕事ぶりを見て育ちました。父・音吉さんの
竿は、劇作家や歌舞伎俳優など著名人のファンも多く、匠の技が断たれたことを惜しむ
声が多かったそうです。疎開先の香葉子さんに届いた父からの手紙に「淋しくなったら
東京の空に向かって、父ちゃん、父ちゃん、父ちゃんと三回叫んでみなさい!」とあり
70年経った現在でも香葉子さんは、淋しくなったり難題に直面すると唱えています。
平和の尊さを伝えるエッセイや絵本を書き、講演を続けている海老名香葉子さんですが
寄付を募り私財を投じて、2005年に東京・上野公園の一角に慰霊碑『哀しみの東京
大空襲』と平和の母子像『時忘れじの塔』を建て、毎年3月9日に『慰霊のつどい』を
実施し、翌10日は子や孫と共に空襲の跡地周辺を歩いて「東京大空襲」の体験を伝え
ていますが「この活動を続けるためにも百歳までは生きたい」と話す香葉子さんです。