(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2014年11月24日
11月23日 第134回放送
鎌田さんと村上さんに共通するお好みの女性?気性はさっぱりしていて、容姿はすらり
とした人。今週のゲストは、鎌田さんが初めて会った時に思わず「きりん」と形容した
婦人雑誌やテレビで活躍中のファッションモデル・園田マイコさんです。
園田マイコさんは、2008年の秋に乳がんが見つかり、翌9年の2月に乳房温存手術
を受けました。術後は5年にわたり再発や転移を防ぐホルモン治療を続けてきましたが
7月にその治療を終えて、がんとの闘いに一区切りをつけ、乳がん宣告から今日に至る
思いを吐露します。入浴中に触診して「?」と思い、母親も乳がんを患った経験がある
ので自分もリスクが高いと思って婦人科を訪ね、医師から「大丈夫」と言われて安心し
別の病院でセカンドオピニオンを求めると一転「乳房全摘」を勧められ、サードオピニ
オンを求めた病院では「温存でいきましょう!」。目まぐるしく展開される中、失意の
どん底で当時中学生だった一人息子と元夫の優しさに包まれたエピソードを語ります。
術後の抗がん剤投与が始まると、副作用から不快な日々を送り心身ともに最悪の状態。
モデルという職業がら最も辛かったのは「脱毛」。息子が「怖い!」と言ったのを機に
坊主頭のスキンヘッドになる決意をして『モデル、40歳。乳がん1年生。』(ベスト
セラーズ)の表紙にスキンヘッドの写真を使った体験的エッセイは話題になりました。
モデルの仕事に支障が出るのを覚悟した上で公表したのは、同じ病気で苦しんでいる人
や支えている人の励ましの一助となればという思いから。「あなたはひとりじゃない」
というメッセージが伝わります。マイコさん自身が多くの人に支えられたからこそ今の
自分があると自覚している彼女は「恩返し」という言葉を口にしつつ、夢も語ります。
2014年11月17日
11月16日 第133回放送
幕末の志士・坂本龍馬は歴史ファンならずとも多くの日本人が好む歴史上の人物です。
旧暦ですが昨日11月15日は、龍馬の誕生日であり命日にあたるので、龍馬ファンを
自認する鎌田さんと村上さんが「人間味溢れる坂本龍馬の魅力」を熱く語り合います。
村上さんが龍馬に惹かれたきっかけは、自身のおねしょ体験。龍馬も11歳まで寝小便
小僧だったそうで、ヒーローらしくないところに惹かれたといい、自分を重ねて更には
「寝小便小僧は大器晩成する!」と根拠の怪しい説を唱えて笑わせます。ホントなの?
さて、本題の坂本龍馬ですが、彼が成し遂げた3つの大仕事といえば、犬猿の仲だった
薩摩藩と長州藩との間を取り持った「薩長同盟」、倒幕後の新政府の政策案(五箇条の
御誓文)につながる「船中八策」、戦争を避けて政権交代を実現させた「大政奉還」。
これら大仕事は晩年の1年間に集中していますが、それを可能にしたのが作家・司馬遼
太郎さんの言葉を借りれば「自分の言葉を人の心に置きにいく...」ことばを巧みに操る
懐柔策に長けていたから相手に好かれ、信用されたのではないかという説があります。
鎌田さんも同じく「龍馬は議論を好まなかった」と指摘。当時の勤皇の志士たちは口角
泡を飛ばして議論し、それが「熱血志士の証」という風潮さえあるなか、龍馬は言葉で
相手を負かしても害しかもたらさないと考え、事を成し遂げるには同志が欠かせない。
また、龍馬の遺した「日本を今一度洗濯いたし申し候」の「洗濯」をポイントに挙げて
革命ではなく汚れた物をきれいに洗ってまた着れば良い世の中になるはずと信じていた
点を指摘します。その他に龍馬の人間性を考えるキーワードとして「自由」「繋げる」
「ユーモア」を語り、龍馬と鎌田さんの共通点「1%の力」の有効性を力説します。
2014年11月10日
11月9日 第132回放送
『なかったことにしたくない 実父からの性虐待を受けた私の告白』(講談社)という
ショッキングなタイトルの本をためらいなく手に取る人は少ないと思います。でも我ら
の鎌田さんは書店で見つけて一読し「この人をゲストに呼びましょう!」ということで
著者の元タカラジェンヌ・東小雪(ひがし・こゆき)さんをお迎えしての鼎談です。
まず、東小雪さんのプロフィール紹介。1985年、石川県金沢市生まれで父親は地元
金沢の演劇活動の中心人物として知られた存在(2008年に悪性リンパ腫で死亡)。
小雪さんは3歳から子役として地元で芸能活動を始めポスターモデルやビデオに出演。
真琴つばささんを特集した「宝塚グラフ」を見てタカラジェンヌに憧れ宝塚音楽学校に
入学。卒業後は第91期生として宝塚歌劇団に入団し「あうら真輝」の名で花組に配属
されますがほどなく退団。2010年に芸名とセクシュアリティをカミングアウトして
LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)支援活動開始
去年の3月「東京ディズニーシー」にて初めての同性結婚式を挙げ話題になりました。
著書の中で彼女は、幼児期から中学2年生頃までの長期間、父親から風呂場で性虐待を
受けますが、少女の目には虐待とは映らず、摂食障害、意識障害を伴う痙攣発作、難聴
視力低下や視野狭窄といった症状に苦しみますが本人は原因不明のまま。2011年に
カウンセラーと出会い「記憶の扉」が開き、性虐待を受けていたことを自覚して合点。
また、宝塚音楽学校時代に体験した苛酷な上下関係と、伝統の名のもとの厳しい指導。
辛い経験をした小雪さんが上級生になると同じことを下級生に強いていたと語ります。
「なかったことにしたくない!」と勇気を振り絞って公表した東小雪さんの声に傾聴。