(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2013年2月26日
2月24日 第46回放送
かつて文化放送のアナウンサー時代は「レモンちゃん」と呼ばれ、現在は行動する作家として
活躍する落合恵子さんを迎えて、お気に入りのヘアースタイルの話から鼎談は始まります。
世の中の理不尽なことに腹を立て「怒髪天を衝く」ように髪を逆立てている落合さんに対して
逆立てる毛がない鎌田さんは、絶妙のタイミングで笑いを誘う一言を発します。
前半で紹介する本は、東日本大震災後の国や電力会社の対応などに憤懣やるかたない怒りを
覚えて綴ったエッセイ集『てんつく怒髪――3・11、それからの日々』(岩波書店)。
いのちを脅かす全ての物や事に対峙していくという落合さんの姿勢が強い気概を感じます。
ネイティブアメリカンの教育者ダイアン・モントーヤ女史が来日した時の印象深い言葉として
「大事な事を決めたり選ぶ時は、7世代先の子どものことを考えよ!結果の全てを引き受けな
ければならないのは子どもなのだから」という言葉が今でも心の中で響いていると落合さん。
後半にもう1冊。『自分を抱き締めてあげたい日』(集英社新書)は、節目節目で落合さんが
救われた言葉や元気づけられた言葉が記されており、何冊かの絵本も紹介されています。
その中で、鎌田さんのお気に入りはキャロル・ハースト著の『あたまにつまった石ころが』。
石ころ集めが好きな少年は、青年になっても続け周囲からは変人扱いされますが、やがてその
才能が認められて、博物館の館長になるという実話をもとにした絵本です。
その他に、落合さんと鎌田さんが知り合うきっかけとなった「母の介護話」や、詩人の新川
和江さんの『母音―ある寂しい日私に与えて―』の「う」の部分を落合さんが朗読します。
2013年2月19日
2月17日 第45回放送
頑張って!ガンバッテ!がんばって!生きて、去年から「がんばらないけど、あきらめない」
に方向転換したという歌手生活50周年の小林幸子さんをゲストに迎えての楽しい鼎談です。
10歳でデビューして以来、ヒット曲に恵まれない一時期もありましたが、ご本人納得の人生
航路を走ってきた小林さんに昨年「ひと騒動」起こりました。その渦中に小林さんが発表した
新曲は、鎌田さん村上さんともに親交のあるさだまさしさん作詞・作曲の『茨の木』です。
小林さんは、歌詞を受け取った瞬間に号泣したといいます。それは亡くなってから10数年一
度として夢に出てきたことのない母親が夢に現れて、その翌日にさださんから届いた歌詞が
まさに夢の中の母親の表情そのものを綴っていたからです。
「耐えて耐えて耐えて 生きて生きて生きて」の歌詞は自分史でもあり、声に出さずに耐えて
生きている人が世の中にはたくさんいるので、そうした人たちへのエールでもあるそうです。
初心にかえり、30年ぶりの「店頭キャンペーン」では、離婚して一人子育てしている母親、
脳梗塞で倒れてリハビリ中の人など悩みや思いの一端を聞き、思いを新たにしました。
新しい生き方を選んだ小林幸子さんの姿が、言葉の端々にうかがうことができます。
また、1964年の「新潟地震」で実家の精肉店が倒産した経験から、東日本大震災の被災地
に支援物資を携えて度々訪れた話や、被災地での「サイン」がきっかけで絶えた笑が復活した
「白いパンツ」のエピソードなど、下記をクリックしてお聴きください。
2013年2月13日
2月10日 第44回放送
2月14日は「バレンタインデー」。日本ではいつの頃からなのか女性が男性にチョコレート
を贈る習慣が広まっていますが、本来は「愛を誓う日」なので、今回は『愛』がテーマです。
まずは、鎌田さんと村上さんの初恋談義。小学5年生で初恋を経験した鎌田さんに対して、早
熟(?)な村上さんの初恋は小学2年生。Mさんというその少女は九州へ転校され初恋に幕。
「忘れない 忘れたくない・・・」と当時の淡い初恋を詠んだ詩『あの日、あの時』を披露。
淡い初恋に続いて、村上さんが語る「純な愛」に登場するのは注目の女流書家・金澤翔子さん。
一方、様々な患者さんたちの愛の形を見てきた鎌田さんは、ある老夫婦のエピソードを紹介。
膀胱がんの手術を経て3年になるおばあちゃんのがんが再発。彼女は鎌田さんに「ひとつだけ
遣り残したことがある」と打ち明けます。「町の社交ダンスのパーティーが近々あるから入院
したくなかった」と。ダンスパーティーに出る体力はとてもないので、看護師さんは一計を案
じ、病棟の食堂をパーティー会場風に飾り付け、即席のダンスフロアを用意。燕尾服姿のおじ
いちゃんとドレスを着たおばあちゃんに踊ってもらうことに。その当日、ダンスが終わりを告
げるころ・・・(「愛」の核心を衝いている部分は、下記をクリックしてお聴きください)。
また、1月にアフリカ取材で目の当たりにしたバンツー族の家族愛や、命がけで愛を成就する
野生動物たちの様々な愛の形に触れながら、翻って日本の若者たちの半分が異性との交際を望
まないというアンケート調査の結果に触れて、「これはまずい!」と問題を提起します。
2013年2月 5日
2月3日 第43回放送
鎌田さんがよく口にするのは「がんばらない」と「だいじょうぶ」。「大丈夫。」を口癖にする
小児科医の細谷亮太さんをゲストに迎えて、含蓄ある『ダイジョウブ』鼎談をお届けします。
細谷亮太さんは『聖路加国際病院』の小児科医として40年間一貫して小児がんの子供たちの
治療にあたってきました。そして、65歳となり昨年暮れで『聖路加国際病院』を定年退職し
ましたが、同病院と生まれ故郷の山形県河北町の『細谷医院』にも通勤する現役の小児科医。
のどかな山形の田舎町で町医者の息子として生まれ育った細谷さんは、野山を駆け巡った幼少
年期の貴重な体験があり、そのことが小児科医の道を選ぶ要因のひとつになったそうです。
また、90歳まで診療を続けた父親の姿や暮らしぶりから受けた影響についても語ります。
「父からの唯一の教えは、鼻のかみ方だった!」といいながら、言葉や態度で多くを学んだ
ことがうかがえます。亡き父の「医師の仕事は、患者さんの苦しみをとってあげること」も。
細谷さんの口癖「大丈夫。」には句点の「。」が付きます。診察を終えた病気の子供たち一人
ひとりに必ずそのひと言を添えて励まします。「大丈夫。」は、祈りに似た気持ち、細谷さん
自身のおまじないでもあり、Let It Beでもあり、ケセラセラでもあり、それは長年
小児がんの子供たちの「いのち」と向き合い続けてきた、細谷先生らしい励ましの言葉です。
自分が泣き虫医師であることや、高校生のころから続けている俳句の作品も紹介します。