(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。
(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2012年4月24日
4月22日 第3回放送
今回のキーワードは「希望」。 鎌田さんがポーランドの「アウシュヴィッツ」を訪れた時にガイ
ドから聞いた話。"ここでは、希望のない人は生きられず、希望だけでも生きられず、希望を
内に秘めながら、デマに惑わされることなく、指で歯磨きをし、ガラスの破片で髭を剃る...
そうした営みを毎日たんたんとした人が生き残った"というエピソードを紹介。
スタジオゲストは、「成功率1%の手術」で九死に一生を得た大谷貴子さん。
大谷さんは1986年、慢性骨髄性白血病と診断され、余命数年の宣告を受けます。当時は
骨髄移植がほとんど唯一の治療法で、ドナー探しも暗礁に乗り上げたところ、再検査の結果
お母さんの白血球が適合することが判明。しかし、その時点で大谷さんの状態はかなり悪化
していて「成功の確率は1%」と言われましたが、その時のお姉さんの一言「1%もあるやん」
で移植手術に臨み、見事に成功! 以来、助けられた命を活かし「骨髄バンク」普及に奔走。
ただ、大量の抗がん剤や放射線治療の影響でほとんどの患者が不妊になってしまうことは
あまり知られず、医師からも知らされない場合が多く、大谷さんの場合も同様でした。
そこで、患者が少しでも「希望」を持って治療に臨めるように、将来子供を持つ可能性を残す
「未受精卵子の保存」を促す「卵子セルフバンク」を設立し、多くの患者に知ってもらいたいと
活動しています。 その経緯は下記の「音声」でどうぞ!
2012年4月17日
4月15日 第2回放送
今回のキーワードは「利他」。 他人の幸福を願うことであり、幸せにしようとする行為です。
「幸せホルモン」には2タイプあり、例えば、ラーメンを食べて"旨かったなぁ!"と自分が幸せ
を感じる時に出るのが「セロトニン」、一方相手を幸せにするホルモンが「オキシトシン」です。
この「オキシトシン」は、お母さんが赤ちゃんにオッパイを飲ませるときに出てくるホルモンで、
授乳によりお母さんの脳内ホルモン「オキシトシン」がたくさん分泌されると母子ともにいい
環境が整うといわれています。
かつては出産・授乳期の女性にしか分泌されないと考えられていた「オキシトシン」ですが、
実は男性にも中高年の男女にも分泌され、大切な働きをしていることがわかってきたそうです。
誰かに何かをしてあげた時に分泌される「オキシトシン」。
優しく声をかけたり、荷物を持ってあげた時にも出るようですから、そのチャンスはいっぱい。
鎌田さんが「利他の人」としてエピソードを紹介したのは、「京セラ」創業者で「日本航空」の再建
に尽力された稲盛和夫さん。シンガーソングライターのさだまさしさん、歌手のクミコさん。
そのエピソードは下記の「音声」でご確認ください。
2012年4月11日
4月8日 第1回放送
4月8日午前10時番組スタートまでの「出演者ミニ・ドキュメント」。
番組関係者で一番早く動き出した人は?そう、文化放送から一番遠くにお住まいの鎌田さん。
早朝5時、日の出とともにRV車の助手席に乗って自宅を出発。茅野から東京まで2時間半から3時間と予想するが、中央高速はスイスイの快適走行で、なんと7時過ぎ文化放送に到着。
放送開始3時間前に着いた鎌田さんは"一緒にいただきましょうよ"とドライバーさんに声をかけて、用意されたサンドイッチとコーヒーを口にして余裕綽綽。
一方の村上さんは、8時少し前に局入りすると早々にスタジオ見学。
"マイクが新しい、デスクにキズがない"と古巣のスタジオと比較してスタッフを笑わせる。
ところが、この後に緊張の一幕。そうです!35年のアナウンサー人生でも一度も体験したことがない「民放」ならではの大切な仕事である提供スポンサーのクレジットを正確に読むこと。
数回のリハを経て、本番では見事に紹介しましたが、その部分は下記の「音声再生」にはアップしていませんので悪しからず。
記念すべき第1回のキーワードは『変化』。骨折というハプニングで鎌田さんの近辺に起こった変化と、退職してフリーになり大きく環境が変化した村上さんが互いに紹介しあう30分。
※お詫び:予定していた「12万人の子どもたちが海外疎開」という話は、機会を改めてお話いたします。
2012年4月 4日
日曜はがんばらない
"人間は99%自分や家族のために生きていい。でも、1%だけ、誰かのために、他人のためにできることをしてみよう!"と医療界のみならず様々な分野で提言を続ける心優しき医師の鎌田實と、全国のラジオファンから支持される元NHKエグゼクティブアナウンサーの村上信夫が強力なタッグを組み、ラジオから明るく・温かく語りかけるハートフルなトーク番組。
『がんばらない』は鎌田實のベストセラー本のタイトルであり、名誉院長を務める諏訪中央病院の壁にかけられた一枚の書に記された言葉。 がんばらないとは? その答えは番組の中に!!
毎週、パーソナリティの体験談を中心に、感銘を受けた本・映画・音楽・演劇の紹介や、リスナーからの便りをきっかけに語り合うコーナーなどをお届けします。
初回となる4月8日の放送は、パーソナリティの自己紹介。続いて、チェルノブイリ救援活動に取り組んで20有余年の鎌田が、原発事故後に12万人の子どもたちが海外疎開している現状を紹介する予定です。