寺島尚正 今日の絵日記
2024年3月11日 春近し
東日本大震災から13年が経つ。
2011年3月11日午後2時46分に発生したマグニチュード9.0の巨大地震。
死者・行方不明者が2万2200人以上にのぼる大災害である。
東京電力福島第一原子力発電所の事故も発生した。
国内史上最大の地震による最大震度7の揺れは北海道・東北・関東の沿岸を大津波が襲った。
宮城県栗原市で震度7 。
震度6強は宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4県37市町村で観測された。
東京23区でも最大震度5強。
超高層ビルなどを大きくゆっくりと揺らす長周期地震動も観測され、震源から遠く離れた東京や大阪でも被害が出た。
九州南部や小笠原諸島でも震度1を観測。
国内の観測史上最大となる巨大地震は、日本全国を揺らしたのだ。
揺れの長さは、震度5強に相当する揺れの部分が40秒、震度5弱以上が70秒で、東京都心でも約130秒にわたり揺れた。
強い揺れが長時間続いたのである。
最も大きな被害を出したのが大津波。
岩手県、宮城県、福島県、茨城県などの太平洋沿岸を中心に、次々に津波が押し寄せた。
気象庁で確認された津波の高さは、福島県相馬市で9.3m以上、宮城県石巻市 で8.6m以上、岩手県宮古市で 8.5m以上、茨城県大洗で 4.0m。
検潮所で観測できる津波の高さを超え、実際の津波の高さが観測できない事態になった所が多かった。
陸地を駆け上がった津波の高さは、岩手県大船渡市で 40.0m、宮城県女川町で35.0m、宮城県気仙沼市で26.08m、福島県相馬市21.3mなど、東北の太平洋沿岸の各地で10メートルを超える場所にまで津波が到達していた。
東日本大震災をめぐって多く聞かれたのが「想定外」という言葉である。
「1000年に1度」と言われるような東日本大震災を引き起こした規模の巨大地震は、「想定の対象外」だった。
国の想定は「過去数百年間」に発生した地震や津波をもとに作られていたからだという。
ところで、東日本大震災の被害の特徴は行方不明者が多いこと。
都市部の直下で発生した阪神・淡路大震災の死因の77%が建物倒壊による圧死、9%が焼死・熱傷であるのに対して、今回の震災の原因は水死が90%以上を占めている。
大津波により流出した瓦礫に巻き込まれたことによるものとみられる。
国の中央防災会議は、事前の想定を作る際には「あらゆる可能性を考慮した最大クラスの地震・津波」を想定することが基本とした。
楽観的ではなく、悲観的な想定を行うこととした。
大地震のリスクがある、東北沖合の「日本海溝」や「南海トラフ」、「千島海溝」、それに「首都直下地震」の被害想定は、この考え方で作られている。
ただ、今年1月1日に発生した能登半島地震をめぐり、想定の甘さが専門家から指摘されている。
国の活断層のリスク評価でも、能登半島地震に関係があるとみられる活断層は含まれていないなど、断層の評価や想定が進んでいないところがあるのだ。
改めて、東日本大震災による犠牲者の多くが「津波」によるものだった。
地震後の調査から、災害の規模を本来より小さく考えてしまい避難しなかった人がいたことが分かっている。
要因の一つとされたのが、津波警報の第1報の内容。
地震の3分後に出された津波警報の第1報の予想高は、宮城県で6メートル、岩手県と福島県で3メートルなどと、実際の津波の高さを大きく下回っていた。
気象庁は、巨大地震の際にも警報の内容が過小にならないようシステムを見直すとともに、過小評価の可能性がある場合、津波予想高を「巨大」などと表現し、非常事態であることを伝えるよう改めた。
私達も、「津波の予想高さが3メートルだから、私は大丈夫かな」と情報を100%信じず、常に最悪を考えて行動するべきである。
また避難したにも関わらず、命を落とした人も多くいた。
一度避難したあとに自宅に戻った人や、車で避難して渋滞などに巻き込まれて逃げ遅れた人がいたのだ。
また指定避難所に逃げたにもかかわらず、津波の犠牲になった人も多数いたと聞く。
津波のおそれがある場合には「一刻も早く、高台など安全な場所に逃げて命を守ること」を徹底することが重要である。
加えて、避難できたとしても、指定避難所に十分な物資がなかったり、指定外の場所が避難所として使われたために、被災者に十分な物資が届かないことがあった。
また仕切りがなく、多くの人が雑魚寝で過ごすなどして、インフルエンザが集団発生した避難所もあり、衛生や健康管理に問題も起きた。
TKBは、「トイレ・キッチン・ベッド」の略。
「快適で十分な数のトイレ」「温かい食事」「簡易ベッド」の提供が必要だとしている。
裏を返せば、今の避難所では、「不便で不潔なトイレ」「冷たい食事」「床での雑魚寝」が課題だということである。
非常用トイレなど、自分で用意しておくことも考えたい。
ところで、都市部や観光地を中心に大量の帰宅困難者も出た。
東北では、避難所に想定以上の人が集まって混乱し、物資不足につながった。
首都圏の1都4県では帰宅困難者の数は515万人に上ったとみられ、30キロ以上を歩いて帰った人も多かったという。
想定される「首都直下地震」が起きた場合、その数は最大で800万人と推計され、「群集雪崩」の発生など命に関わるリスクも懸念されている。
有効な対策は一定期間、「帰らない」ことだが、それができるよう社会全体で備えを進める必要がある。
ある行政対策チーム担当者の言葉が心に残っている。
「あのときの機転だけでできたことなんて、一つもなかったんですよ。備えていたことしか役には立たなかった。災害が起きる前にどれだけ準備できていたか、というのが非常に大きかったんです」
今の災害でも『想定外だった』『被害情報がないから初動が遅れた』とよく聞く。
でもそれは13年前に日本が経験したこと。
震災の教訓は何だったのか、教訓を生かすためには何をしておく必要があるのか。
これを考えることからしか、災害への備えは始まらない。
「備えたことしか、役には立たなかった」
「備えていただけでは、十分ではなかった」
「私達1人1人ができうる限りの備えをしていくほかはない」
改めてそう感じている。
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