浜美枝のいつかあなたと

毎週日曜日
 9時30分~10時00分
Mr Naomasa Terashima Today Picture Diary

寺島尚正 今日の絵日記

2023年7月10日 今年も参拝

この日曜、浅草・浅草寺に行った。
毎年、7月9日10日は浅草寺は四万六千日の縁日である。

午前8時、朝から気温も湿度も高い中、汗ばみながら本堂方向へ進むと、仲見世通りの店は、人形焼き店が開いている位で、他はシャッターを下ろしたままだった。
それでも、観光欲旺盛な、早起きの海外客が、お参りを済ませて駅方向に戻ってきていた。
昨日本堂の天井に描かれた「龍之図」の一部が剥がれ落ちていたことも知らず、お参りを済ませた小生、後にニュースで知り驚いた。

天井の絵は、縦6.4m、横4.9mで近代日本画の巨匠・川端龍子によって1958年に描かれたもので、劣化が進んでいたため、ことし秋に修復される予定だったという。
奇しくも私と同い年、「健康には気をつけろ」という暗示なのだろうか。
はがれた原因はわかっていないということで、現在、この絵は撤去されているという。
本堂は疲弊しつつ、参拝者には功徳を与える(少なくともそういう気持ちにしてもらえる)、何とも有り難いことである。

ところで、四万六千日とは何だろう。
浅草寺によると、平安時代頃より、観世音菩薩の縁日に、毎月18日があてられてきたが、室町時代末期(16世紀半ば)頃から、「功徳日(くどくにち)」といわれる縁日が設けられるようになった。
功徳日とは、その日に参拝すると、100日、1,000日分などの功徳が得られるという特別な日を指す。
功徳日は寺社によって異なるが、現在、浅草寺では月に1度、年に12回の功徳日を設けている。
このうち7月10日は最大のもので、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」と呼ばれている。
この数の由来は諸説あり、米の一升が米粒46,000粒にあたり、一升と一生をかけたともいわれるが、定かではない。
46,000日はおよそ126年に相当し、人の寿命の限界ともいえるため、「一生分の功徳が得られる縁日」である。

四万六千日の縁日の参拝は江戸時代には定着し、われ先に参拝しようという気持ちから、前日9日から境内は参拝者で賑わうようになった。
このため、9日、10日の両日が縁日とされ、現在に至るという。
四万六千日にともなうほおずき市の起源は、明和年間(1764〜72)とされる。
四万六千日の縁日は浅草寺にならって他の寺社でも行なわれるようになり、芝の愛宕神社では四万六千日の縁日にほおずきの市が立った。
「ほおずきの実を水で鵜呑み(丸飲み)すれば、大人は癪(なかなか治らない持病)を切り、子供は虫気(腹の中にいると考えられた虫による腹痛など)を去る」という民間信仰があり、ほおずきを求める人で賑わったそうだ。
その愛宕神社のほおずき市の影響を受け、四万六千日の大本である浅草寺にもほおずき市が立った。
かつては、四万六千日の縁日に赤とうもろこしを売る屋台もあった。
これは赤とうもろこしが落雷除けのお守りになる由の民間信仰により、文化年間(1804〜18)頃に境内で売られるようになったという。
ところが明治初年(1868)頃、不作によって赤とうもろこしが出回らないことがあった。
これに困った信徒が浅草寺に雷除けのお守りを求めた縁から、浅草寺では竹串に挟んだ三角形の守護札を授与するようになった。
これが今も四万六千日に授与されている雷除札である。

浅草寺本堂並びに浅草神社へお参りを済ませ、今年も、雷除札と災難除守を分けていただいた。
それにしても暑い!そこで熱中症対策のため、お休処等にはミストシャワーが設置されている。
また、雷門前の通りを渡ったところには、水筒への冷たい水注入機も用意されてある。
これも浅草の人情、御利益だ。益々浅草が好きになった。

風鈴に四万六千日の風    多田裕計

今年も参拝
今年も参拝

四万六千日の朝
四万六千日の朝

鬼灯
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恵みのミスト
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命の水
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