寺島尚正 今日の絵日記
2022年12月12日 今年も柚子!
近所のスーパーで、今年も「柚子」が並べ始められた。
「柚子」と言えば、「冬至のゆず湯」。
冬至の22日まで10日以上先だが、日持ちすると見えて、姿を現わしている。
去年の値段は、100円以下だったと記憶していたが、今年は「158円」。
エネルギー価格高騰の折、輸送費などが高くなったのだろうと推察される。
先日、冬の「柚子」の収穫が、宮城県亘理町でピークを迎えていると、ニュースで目にした。
おや、「柚子といえば高知」ではなかったか・・。
柚子の国内生産を調べてみた。
2021年を参考にすると、「柚子は周年出回っていますが、11月頃から出荷量が増え、12月頃にピークを迎えます。取り扱い量は約898トン。最も多いのは高知県産(約565トン)で全体の約63%を占めています。続いて徳島県産(約178トン:約20%)、宮崎県産(約50.7トン:約6%)となっています。
国内では37府県で生産されていて、北は岩手県から南は鹿児島県まで広く栽培されています」とある。
やはり、高知県がトップ、実に6割以上は高知県産である。
ではなぜ高知県でこれほどまでに柚子の生産が盛んなのだろう。
理由は2つあった。
1つは、高知県の気候条件。
柚子は他の柑橘類に比べて耐寒性が高く、乾燥や熱帯気候を苦手としている。
栽培には年間平均気温12度〜15度の温暖な気候と、最低でもマイナス7度程度の涼しい気候が最も適しているといわれ、寒暖差が大きいほど、良質な柚子が育ちやすくなる。
この気候条件と絶妙にマッチするのが高知県の気候。
高知県は年間日照時間2000時間超の、比較的温暖な気候である一方、年間降水量も平野部では2500mm前後、柚子の栽培が特に盛んな山間部の地域では、3000mmを超える多雨気候でもある。
年間を通じて暖かい日が多い中でも、雨によって涼しい空気が流れ込む寒暖差の激しい高知県の気候。
特に寒暖差が激しくなる内陸の山間部の地域は日当たりも良好で水はけも良く、生産される柚子は、大きなサイズで香り高く、色合いも美しい黄金色に仕上がるとあって、全国各地から高い評価を受けている。
2つめの理由は、県内の各自治体が柚子の生産を奨励し、全国各地へ向けて熱心な普及活動を進めたことである。
県内の柚子生産地の中でも、特に有名なのが県東部の馬事村と北川村だが、この隣り合う2つの村が「柚子王国高知」を牽引しているといっても過言ではないという。
両村とも現在では全国的にも知名度の高い柚子の産地として知られているが、馬事村と北川村は、それぞれの背景と手法によって地元の柚子生産と知名度向上に努めてきた。
馬事村は、森林面積の割合が83.4%と、森林率においても全国トップを誇る高知県では、山間部の地域を中心に、昔から和紙原料製造業など林業といった木材を活用した産業が活発に行われていたが、1960年代以降は次第に林業が衰退。
かねてから林業が盛んだった馬事村も例外ではなく、林業を生業としていた職人をはじめ、多くの人々が新しい職を求めて、高知市内の中心部や県外へと移り住んでいった。
こうした人口流出に歯止めをかけるため、林業に代わる新たな産業を模索する中で目をつけたのが、県民の食卓には欠かせない食材であった柚子の生産だった。
馬事村では昭和38年から柚子の栽培を開始。
もともと柚子栽培に適した気候だったので質の高い柚子が育ったものの、多くの自治体も柚子栽培を進めていたために、県内の市場では供給過多気味になった。
そこで着目したのが、県外への販売。
昭和50年頃から、全国のデパートの物産展やイベントなどに積極的に出品するなどして柚子のアピールを続けたが、当時は全国的にもそれほど柚子の知名度は高くなく、思うように売れなかったという。
しかし、数年間にわたり継続的にアピールを続けた結果、柚子の知名度はゆっくりと時間をかけて向上。
やがて農家の方々や地域住民の地道な努力が身を結び、馬事村の柚子は全国への出荷の実現とともに大きな知名度を獲得した。
現在では、高知の柚子と聞けば「馬事村の柚子」といえるほど、高知県の一大ブランドにまで発展。
柚子によって村おこしに成功した馬事村は人気観光地のひとつになり、地元で採れた柚子を原材料とした製品は人気が高く、通販事業も好調なため、馬事村の柚子生産業は年間30億円を売り上げるほどの産業になっている。
一方の北川村、柚子栽培の歴史は馬事村よりも古く、盛んに栽培されるようになったのは江戸時代後期からといわれている。
古くから柚子が自生していた北川村だったが、その栽培を推し進めたのは幕末の志士で、坂本龍馬の盟友としてもおなじみの中岡新太郎だと伝わっている。
安政元年とその翌年に地震の被害を受けた土佐(現在の高知県)に、江戸から地元の北川村に戻った中岡新太郎は、地震の影響によって農民が塩を調達できなくなることを危惧し、防腐や調味料として塩の代わりとするべく、農民に柚子の栽培を奨励する一方で、自らも田畑を整備し、山に木を植えるなどして柚子の栽培を積極的に進めた。
そこから今日にいたるまで、中岡新太郎の想いを引き継いできた、北川村は柚子栽培一筋の村として発展。
全国的には、馬事村の陰に隠れがちではあるが、北川村には希少価値の高い品種の「実生」が多く植栽されている県内自慢の柚子生産地のひとつである。
高知の柚子にも歴史ありである。
そんな高知県、これまたニュースで、この時期は、東部の東洋町で、特産のポンカンの収穫が盛んに行われていると聞いた。
東洋町は全国有数のポンカンの産地で、30戸ほどの農家が年間800トン余りを出荷。ある農家の畑では、11月20日ごろから収穫が始まった。
今年は、台風の被害もなく、玉太りや色づきも良いという。
収穫したポンカンは、サイズに応じて5種類に選別され、倉庫でいったん熟成させたあと、年明けから地元の直販所で販売されるほか、全国に出荷されるという。
機会があったら、ポンカンについても調べてみようかしらん・・。