寺島尚正 今日の絵日記
2021年11月22日 静かなる叫び
21日、二の酉の日曜、都営三田線御成門駅近くにある芝公園第4号地を散策した。
浜松町も季節は少しずつ進み、イチョウが黄色く色づき地面に落ち始めて、風が吹くと「カサカサ」と乾いた音を立て始めている。
2019年の国土交通省の調査によれば、街路樹として54万本のイチョウが植えられており、樹種別でイチョウが最も多い。
街路樹にイチョウが多い理由をご存じだろうか。
それは、イチョウが「火に強い木」だから。
イチョウは他の木に比べて葉が厚く水分が多い。
そのため、燃えにくく火に強いという性質を持つ。
また、イチョウの葉だけでなく、幹も他の木より水分が多く、木全体が燃えにくく火事に強い。
ここから街路樹として多くのイチョウが植えられてきた。
江戸時代には防火用の空地「火除け地」にイチョウが多く植えられた。
実際火事が起きた時に延焼を防ぐことが出来たと聞く。
また、1923年9月に発生した関東大震災の際に、イチョウが延焼を防いだという事例も多く、防災を兼ねて、さらにイチョウが多く植えられるようになった。
ところで、あなたは「戦災イチョウ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
その名の通り、戦争の被害を受けたイチョウ、空襲で部分的に焼けたが、生き残ったイチョウのことである。
公園を歩いているとある案内板が目にとまった。
「ここにある戦災イチョウ」
それを見ると、
「昭和20年5月25日の東京大空襲で被災し、木肌にはその時の焼け跡が残っています。芝公園周辺は焼け野原となり、このイチョウをはじめ、何本かの木が、当時の記憶を語り継いでくれています。」
とある。
東京大空襲というと、3月10日という日付が反射的に浮かぶが、1度ではなかった。
改めて調べてみると、
東京は、1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日まで、106回の空襲を受けた。
特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日から26日の5回は大規模だった。
1945年5月25日、山の手に470機ものB29が来襲した。
これを山の手大空襲と呼んでいる。
主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・麻布、芝、世田谷、渋谷区、青山通り方面。
死者3651名。焼失16万6千戸。
国会議事堂周辺や東京駅、皇居も被災し明治宮殿が焼失したという。
その5月25日の空襲で私が見上げているこのイチョウは被害を受けたのだ。
我が自宅のある八王子はどうだったのだろう。
八王子は、昭和20年8月2日の深夜に空襲を受け、
市街地の8割が焼失、死者450人、ケガ人2000人、焼失家屋14000以上という被害を受けている。
終戦の約2週間前のことだった。
わたしが今見上げるイチョウは、現在では、焼け焦げた樹皮を包み込むように成長し、巨木になっている。
戦災イチョウは、声を出して語りはしない。
しかし、当時の木肌を見せながら様々なことを訴えかけているのだ。
街には様々な記憶が静かに佇んでいる。