浜美枝のいつかあなたと

毎週日曜日
 9時30分~10時00分
Mr Naomasa Terashima Today Picture Diary

寺島尚正 今日の絵日記

2020年6月8日 4月末

今年、初めて紫陽花の写真を撮ったのは4月30日。
緑の葉に囲まれた真ん中に、同じ色の小さな粒々。
小さい頃、テレビコマーシャルで「タコの赤ちゃん」を見て
「小さな時からタコの形をしているのか!」と妙な感動をした。
紫陽花も、色は変われど、ずっと形は同じで成長していく。
気がつけば街中で鮮やかな色の紫陽花をよく見かけるようになった。
紫陽花はいつごろから日本に存在したのか。
調べてみると、奈良時代から記録があるようだ。
しかし、花としての人気がほとんどない時代が続いた。
今のように広く人気が出るようになったのは、太平洋戦争後だそう。
紫陽花はアジサイ科アジサイ属の植物。原産は、日本に自生しているガクアジサイとある。
ガクアジサイの花は、1つの花に雄しべと雌しべを持つ両性花。
何でも両性花の花は多く、桜、朝顔、スミレ、菊、タンポポなども該当する。
ガクアジサイは、中心部に雄しべと雌しべがあり、その周りを小花が6~9個で囲んでいる。
この小花、花ではない。装飾花と呼ばれる「がく」。
がくとは、花びらの外側にある花葉のこと。一般的には葉と同じく緑色をしているが、
紫陽花はまるで花のような見た目をしている。
では花びらはどこ?紫陽花の花びらは、がくの中心にある、小さい玉。
小さな花びらが5枚ほどついた花が咲く。
広く紫陽花としてイメージされているのは、このガクアジサイが変化したホンアジサイ。
ホンアジサイは、小花がこんもりと密集して、球状になっているもの。
よく花壇や公園などで見かけるものだ。
紫陽花は、酸性土壌で青く、アルカリ性土壌で赤くなるといわれている。
弱酸性の土壌であることが多い日本では青色として親しまれていても、
アルカリ性土壌のヨーロッパでは赤くなるのだそうだ。
日本において紫陽花が書物に登場したのは『万葉集』が最初。
万葉集は奈良時代に作られた最古の詩集。多くの草花が詠まれているが、
紫陽花はわずか2首にとどまっている。
江戸時代も紫陽花の人気は今ひとつ。
むしろ、植木屋にはやや嫌がられていた存在だったようだ。
なぜなら、紫陽花は繁殖が容易な花。簡単に植えて花を咲かせることができるため、
紫陽花は商売にはならなかった。
紫陽花の人気のなさは、明治になってもやはり変わらなかった。
では太平洋戦争後、なぜ脚光を浴びたのか?
それは観光資源として注目されたことが大きいという。
終戦直後荒廃した日本で観光場所は限られていた。
そんな時、強かに色とりどりの存在感を示した紫陽花は人々の心を和ませた。
ところで、全国には、紫陽花の名所が数多くある。その名所となる場所はお寺が多い。
なぜお寺に紫陽花が植えられるようになったのか。
それは紫陽花が死者に手向ける花だと考えられたことに由来する。
縁起という意味で敬遠されていたのだろう。
それでも、美しく、増やすのが容易で、見た目が美しいことから全国で名所が見直された。
花言葉は、移り気・浮気・・変わりやすい色もかつては敬遠される原因だった。
しかし今では、多様な色のバリエーションが、お祝いやプレゼントに使いやすい要因となっているという。
もう一つの花言葉は、一家団欒。
小さな花がたくさん集まって一つの大きな花に見えることから、
家族の繁栄と仲の良さを象徴しているとされる。
時代が変われば物の価値観も変わる。
個人的な思いだが、その時の心持ちで、私には紫陽花が笑っていたり寂しく見える時がある。
そして決まってこの言葉を思い出す。
和顔愛語(わげんあいご)
人には笑顔と優しい言葉で接しようと。
私にとって紫陽花は「心の鏡」なのだ。

4月末
4月末
静かな花火
静かな花火
和顔愛語
和顔愛語

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