寺島尚正 今日の絵日記
2019年4月28日 夕暮れ
今日は4月28日。
平成という時代があと2日となった。
昨日から連休が始まり、10連休という人も多い。
私は、「平成」という時代をどう過ごしてきたのだろう。
今回は、仕事、携わって来た番組を振り返ってみる。
私が、文化放送に入社したのは昭和56年4月。
「陳平のトクする11時」のアシスタントからだった。
1981年「さだまさしのセイヤング」が始まるも
この時点では番組に参加していない。
後に、1980年に始まった「夜はこれからテルテルワイド」の
コーナーに参加する一方で、「大相撲熱戦十番」支度部屋情報を担当し、
後の横綱大乃国(芝田山親方)との出会いがあった。
野球中継のホームランレポーターを務めながら
1985年「さだまさしのラジオまっぴるま」でコーナーを担当。
ここから、さだまさしさんとのお付き合いが始まった。
1987年「吉田照美のやる気MANMAN」の生中継に携わり
ラジオ放送の魅力と怖さを経験した。
ここまでが昭和だった。
1988年、個人的には父が逝った。
翌年「平成」が始まった。
1989年10月に「夜はキラキラ寺チャンネル」をナース井手さんと放送。
霊能者の宜保愛子さんにも出演して頂いた。
こちらが内外から評価され、
1991年「寺島・藤井のジャストミート」という早朝番組に抜擢された。
「社運をかけて」と特別プロジェクトが組まれたが、
スタッフの肩に力が入り過ぎたのか1年で終了。
暫くはアナウンス部にも戻れず所属が宙ぶらりん。
しかし、人生は諦めたら終わり。
「努力すれば必ず何とかなるわよ、大丈夫」
宜保さんのアドバイスを支えに精進した。
この間も、やるMANの中継に出演出来たのが有難かった。
1994年「有限会社さだまさし大世界社」
同年「サンデースーパーキンキン」で愛川欽也さんに可愛がっていただき
「福耳ワイド」では山田美保子さんとご一緒出来た。
1995年「好江・寺ちゃん お祭りガバチョ」で漫才の内海好江師匠と
ご縁を頂き、日本の伝統芸能の素晴らしさを教えていただいた。
1996年「みどりの日曜日」で、うつみみどりさんとご一緒し、
今でもたまに連絡を頂く。
そして、
1998年「浜美枝のあなたに逢いたい」が始まった。
浜美枝さんに、農業、民芸、芸術等々、様々教えていただいている。
何より、「浜さんの番組でしたら足を運びましょう!」というゲストが多く
貴重な話を浜さんの隣で聴かせていただけるのが嬉しい。
不出来な私を浜さんが21年も我慢してくださっていることに、
感謝してもしきれない思いだ。
1999年「さだまさし ゆく世紀来る世紀(笑)」
2000年「陳平・寺ちゃんのハッピートモロー」
2001年「UNUN」(はしのえみさんとご一緒)
2002年「飛び出せハッピータウン」
2005年「寺島尚正ラジオパンチ」
2006年7月24日に浜松町へ社屋移転の為
四谷の旧社屋から最後の放送を担当。殿(しんがり)を務めた。
2008年「氷川きよし節」が始まった。
氷川きよしさんの歌に対する直向きさには毎回心打たれる。
2010年「夕焼け寺ちゃん活動中!」が始まる。
そして、
2013年「おはよう寺ちゃん活動中!」に引っ越し。
殿からその日の先頭を務めることとなった。
その時差10時間半。初めは戸惑ったが
あれから6年、漸く安定してきた。
2018年春、母を見送った。
秋には定年により、文化放送社員ではなくなったが
関連会社JCMのタレントとしてご縁を頂いている。
番組の数々を振り返り痛切に感じることがある。
それは、
「今の自分があるのは、ここまで沢山の方のご厚意ご指導があったからこそ」
それに対する感謝の気持ちだ。
そのお一人は番組を聴いてくださった貴方。
「令和」の時代には、ご縁を大切にすると同時に
番組を通して、少しでも頂いた御恩に報いたいと考えている。
「大切なのはどれだけ沢山のことをしたかではなく、
どれだけ心を込めたかです」 マザーテレサ