寺島尚正 今日の絵日記
2012年3月5日 気仙沼、横丁の駐車場
東日本大震災から来週で1年。
大津波の被害を受けた場所の一つ
宮城県・気仙沼市に週末行った。
地震が起きてから丁度3ヶ月経った6月、この地を訪れた。
悪夢のような光景だった。
田んぼに車が、駐車場に漁船があった。
街角にはアルバムや柱時計が横たわっていた。
あれから9ヶ月。
何が復旧し、何が進んでいないのか・・・
この目で、耳で知りたかった。
詳しくは、月曜?金曜15時30分?17時50分放送
『夕やけ寺ちゃん活動中』内、15時50分頃のコーナー
「特ダネ寺ちゃん」で今週、来週とお伝えする予定だ。
先ず行って驚いたこと。
1年経つのに、瓦礫がまだまだ残っている。
それなりの撤去は進んでいるのだが
住宅地の土台の上に300トンクラスの船が残っていたり
場所によっては、3重に積み重ねられた黒こげの車に
カラスがとまっている。
さすがに、流れたアルバムやランドセルは回収されていたが
住宅の土台の上には焦げた鍋が未だに置いてある。
余りに被害が甚大でボランティアの力を借りてもまだまだなのだ。
さらに、瓦礫の受け入れ先にも苦慮している状態。
話を聞き切実に感じたこと。
被災された方々の中で、
特に仮設住宅などに住む、家と家族を失った方の精神的ケアが急務だということ。
「命だけでも残って儲けものだった!」から
「何で私だけ助かってしまったのだろう・・・」と
生活はじめ、今後の不安が大きく、
ストレスが溜まってきている人が増えているという。
近くに友達や仲間がいればまだいいのだが、
大所帯の避難所から個々の仮設住宅に移り、
プライバシーは確保された反面、
話すチャンスが減っているケースが要注意だそうだ。
私が今回話を聞いた方は総勢15人。
みな明るく話をしてくれた。
しかし、大多数が、家を流されたり
家族を失った人ばかりだった。
30代の男性は、
「このビルの2階まで乗っていた車が浮いて
手摺り掴んでよじ登って助かりました。この先で母は流されました」
40代の女性、
「弟がまだ見つかっていないのです。
海にいるのですかねえ」
彼女の寂しそうな声と視線に鼻の奥がつんとした。
改めて、私に出来ることは何か・・・考えている。