今週から野球解説者の笘篠賢治さんをゲストにお迎えしておおくりました。
【笘篠賢治さんのプロフィール】
大阪府のご出身。上宮高校ではセンバツ高校野球大会に出場します。1988年中央大学4年生の時に主将を務めた日米大学野球で優勝
ソウルオリンピック野球日本代表として出場し、銀メダル獲得に貢献
1989年、ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。1年目から二塁手の定位置を獲得、32盗塁を記録し、新人王に輝く。
1992、93年のヤクルトのセ・リーグ連覇に貢献、さらに1993年は日本一に輝きます。1998年に広島東洋カープに移籍し、1999年に現役引退。2002年まで広島東洋カープの守備走塁コーチを務める。
現在は野球解説者の側ら、講演やトークショーなどを行い、子供たちへの指導も積極的に行っている。
肩書について、「凄いよね」と言う、右京さんに対して・・・
高校野球は補欠の番号でベンチ入り、オリンピックも学生で選ばれてほぼ補欠と言う形なので・・・と恐縮した様子。
今でこそ、大谷選手の様に二刀流ってありますが、笘篠さんは外野も出来るマルチプレイヤーだったし、100mは11秒台と足も速いので陸上もいける。凄い身体能力を持っていたんですね。
ご両親がバレーボールの選手だったので、身体能力に関しては遺伝を頂きました。と笑いながら話す笘篠さんでした。
バレーボールにはいかなかったの?
ご両親は、バレーをやれ。と言うが、当時父の転勤で引っ越した時に、友達がいない中で兄と野球を始めたら野球が面白くなった。
でも、休みの時は家族4人で、バレーボールをしていたんです。笑
野球についても・・・
好きでやってきてプロまでなれたという感じ。
中学は普通の部活をやってきて、高校に入ってから本格的にやった。甲子園も兄が最初にセンバツに出て、レギュラーベスト9に選ばれて、それで「凄い」と思って同じ高校に入りました。だけど、ベンチ(補欠)。一回だけ、守備入らせてもらったら・・・、「良かったですね!っ笑」
と、本当に今でも嬉しそうに語っていました。
プロ野球については・・・・
プロになるにはスカウトの目に留まらないとならない。
兄がプロになって、その弟が上宮高校にいる・・・と人づてに話が回って、見てもらえた。
珍しい苗字なのと、兄がいたので、あり難いですね。(お兄さんに感謝です。)
プロになってからは?
学生の時に、国際大会で経験させてもらって、兄からもプロの情報をもらって、実際に入ってみるとピッチャーのボールスピードに対しては、「こんなもんか」と思った。もちろん、早いし、凄いんだけど、アメリカの背の高いピッチャーや速球を見てきたので。
で、プロに入ってオープン戦の結果も良く、開幕の切符を手にしたところで、開幕直線にけがをしてしまい・・・。
当時の監督、関根監督が「オープン戦と開幕の違いをベンチで見と行きなさい。」と2軍に落とさずに、しっかり見ておけと言われたそうです。
話がまだまだつきません。
次回もまたお話し、伺います。
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