今週も、2000年シドニーオリンピックの女子マラソンで、日本女子陸上界において史上初めて金メダルを獲得した高橋尚子さんにお話を伺いました。
先週の話を振り返って、改めて「金メダリストに失礼なことを言ってしまった」と反省の右京さん。
高橋さん自身も女子駅伝の48人中45位から金メダル獲得までの道のり(練習後に100メートル走を3本など、練習後の自主練の積み重ね)など振り返り・・・。
コーチの存在、小出監督についての思い出話を伺いました。
出会いが特殊だったという、高橋さん。
大学までは、教員になりたいと思っていたそうですが、「でもできるなら、マラソンを・・・」と思って、高校の恩師に当時お世話になっていた実業団に行って、3年間マラソンをやりたいと言ったら、怒られたところから始まり、「日本でも1番、小出監督の所に行くくらいの気持ちでないとダメだ」と言われたそうです。
実はその時(就職活動時)に、8社くらいからオファーがあったそうですが、そこには小出監督のチームはなく、全社のオファーを断って小出監督に会いに行ったそうです。
それでも、最初は「大学生はとらない」と断られたとか。しかし、諦めず、実費で行くのでと、10日間の北海道合宿に参加させてもらい、最後の日に「社員では取れないけど、契約なら・・・」と、言われて。
『ダメと言われた鉄の扉をこじ開けた』と思ったと。
実際に入ってみると、1年間ほとんど声をかけてもらえなかった。という事で、自分の存在アピールのために、毎日小出監督の家にFAXで自分の様子を知らせていた。(返事があるわけでなく、一方的に送っていたそうですよ!)
そのFAXをずっと送り続けようと決めた、あるエピソードも伺いました。
監督にチームの先輩が「特定な選手を贔屓している!」と詰め寄っていたときに近くにいてしまい・・・そこで聞いてしまった内容が、「社会人になると、自分を売り込んで必死に見てもらおうとしているのに、いつまでも見てもらえるのが当たり前ではない。俺も人間だ。見たい人を見る。そういう人になれ。」と監督が言っていたのを聞いて、FAXをずっと送り続けようと思ったそうです。
右京さんも、チャンスは待っていても来ないからね・・・と。
メダル獲得後、監督とは別の道を歩くことになりましたが・・・。
シドニーで金メダルを取れたのは、監督やコーチみんなのおかげだけど、アテネのメンバーには入れなかった。その時は、次の何かに向かって目標が見つかりづらかった。
このままじゃいつまでも動き出せない。また、自分がそうだったように、(チームで直に見てもらう順番を待っている)自分の下の子たちのチャンスを奪ってしまう、チームの為にならない足枷になってしまうのではないかと一番悩んだ。
2004年は、全くマラソンの大会に出られなかった。陸上選手としては最悪な年だったけど、人としては、手紙をたくさんもらったりと、うれし涙をたくさん流した年だった。
次に自分がすることは、リストラや受験失敗した人たちなどに、何かしら一歩を踏み出せるような姿を見せたいと思って、自分も覚悟を持って、監督の元を離れて、チームQとして頑張ってみようと思いました。
と、これまで監督とのエピソードをお話しいただきました。
まだまだ、聞き足りません!次週も掘り下げていきたいと思います。
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