今週は東京パラリンピック、自転車競技で2つの金メダルを獲得した杉浦佳子選手をゲストにお迎えしてお送りしました。
(リモートでのご出演です)
【杉浦佳子さんのプロフィール】
静岡県掛川市の出身。
2016年、自転車ロードレース中に転倒して記憶力などが低下する「高次脳機能障害」と右半身の麻痺が残る中で、翌年の2017年からパラ選手として競技を始める
それから2年続けてロードの世界選手権で優勝、2018年には国際競技団体からその年に 最も活躍した選手に選ばれる。
2020年はトラックの世界選手権でも銅メダルを獲得するなどロードとトラックの両方で結果を残し、初出場の東京パラリンピックで2つの金メダルを獲得、ロードの女王に輝く。
金メダル、おめでとうございます。
スポーツマネージャーを務めていた右京さんは、真横で一部始終見ていましたよ。
最後のアタックも絶妙なところでやってくれて、回り拍手喝采でした。と、あの時の感動を伝えました。
金メダルを取って、周りの人の反応は?
厳しかったコーチ達のにやけた顔を始めてみました。笑
杉浦さんが自転車競技を始めたきっかけは?
子どもの頃から自転車のクラブに入っていたわけではなく、バス代をケチってギアなしのママチャリで走っていたくらい。
友達に誘われて出ようと思った。教えてくれる人たちが熱意のある方ばかりで。
ロードレースは45歳から。ただ、トライアスロンにでたくて、長距離は走っていたそうです。
ロードレーサーには37歳から乗っていて、同じショップで知り合った方々とエンデューロなどには出ていましたが、ロードの大会は45歳が初めてだったそうです。
トライアスロンの練習のおかげで、持久力はあった。長い時間走るのは得意なんだとか。
全てを含めて・・・「違うんだわ」と右京さん。
元々才能があったんだね。よく、"才能が開花"と言うけど、"才能が分かってしまった"
本人は、一生懸命練習、ロードとトラックと全く違うトレーニングをこなしスケジュール調整をするなど努力をしてきたと思いますが・・・。それを才能と呼んじゃうんだよ。
自転車ロードレース中に転倒して記憶力などが低下する「高次脳機能障害」と右半身に麻痺が残る大けがをおったにも関わらず、どうしてまた自転車をやろうと思ったのですか?
実は、そのレースの記憶がないので、再びレースをすることは怖くない。という、杉浦選手。
とはいえ、高速の下りコーナーは怖い。自分だと感覚が分からないので、先ずはコーチと一緒に走って、ブレーキのタイミングを教えてもらって、コーチのまねをして走った後じゃないと走れない。「この通りやれば間違いない」という情報をもらい、その情報通り走るだけ。
よく、磁石が付いているんじゃないかと言われます!コーチにピッタリくっついて走っているんで。笑
コーチと言っても元選手、一流のアスリートだったりするので、早いんだよ・・・・と、右京さんもびっくりの杉浦選手の練習方法でした。
まだまだ、伺いたい事がたくさんありますが、パラリンピックへの道のりの話は、
次回伺います。
リクエスト曲
M TRAIN-TRAIN / THE BLUE HEARTS
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