今週からソウルオリンピック・アーティスティックスイミングの銅メダリストで、
東京 2020スポーツディレクターの小谷実可子さんをゲストにお迎えしてお送りします。
小谷実可子さんのプロフィール
東京都のご出身。9歳からアーティスティックスイミングを始め、高校1年の時に単身アメリカにアーティスティックスイミング留学する。 1985年、パンパシフィック大会・デュエットで優勝、ソロで2位となり、 全日本選手権のデュエットでは、1985年から4連覇を達成。 1988年、ソウルオリンピック開会式では日本選手団の旗手を務めるともに、競技でもソロ、そして、田中京(たなかみやこ)さんとのデュエットで銅メダルを獲得。 1992年、バルセロナオリンピック後に現役引退、スポーツコメンテーターになり、現在はコーチ、東京 2020スポーツディレクターとして幅広く活動中。
ボスが来ていて緊張の右京さん・・・
シンクロ(現:アーティスティックスイミング)を始めたきっかけは・・・
健康の為に始めたのですが、水泳教室の先生の旦那様が、日本にシンクロを広めた創始者の方だったそうです。
リズム水泳や日本泳法など色々な物を取り入れて練習している中で、その姿を見てシンクロに向いているからやってみたらと声をかけられたことがきっかけだったそうです。
当時は、シンクロって何だろう?と思いながらも、大勢の中から選ばれた機会が嬉しくて張り切って練習したそうです。
ただ、当時のシンクロナイズドスイミングは、オリンピックの正式種目ではなかった為、自分がオリンピアンになるとは夢にも思ってなかったとか。
練習の環境は?
深いプールで練習しなければならない中、日本にはまだそのような設備がなく・・。
何年かたってから、修善寺のサイクルスポーツセンターに初めてシンクロ専用のプールが出来て、みんなでプレートの写真を撮ったり、週末には競輪養成学校の男子が食い入るように練習を見に来ていたそうです。笑
オリンピックの正式種目になったのは、1984年のロサンゼルスオリンピック。
16歳で単身留学をし、経験を積んで戻ってきたところで正式種目発表がされたので、「完璧なタイミングで初代の日本代表になれる」と気持ちが高まったのを今でも覚えているそうです。
留学中の苦労は、行けば強くなれると分かっていたのに、英語が通じなくてしばらくは歯がゆい思いをしたこと。
でもそのときの頑張りが、今も財産になっているという小谷さん。
次週もオリンピックの思い出やアスリートとしての経験談を伺って行きます。
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