今月のゲストは、ロンドンオリンピック、フェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した三宅諒選手です。
・三宅諒選手のプロフィール
三宅 諒さんは千葉県市川市のご出身。(1990年12月24日生まれの29歳)
幼少の頃よりフェンシングを始め、小学校6年の時に全国大会で優勝。
慶應義塾高校在学中に世界ジュニア・カデ選手権(U-17)のフルーレ個人で優勝し、日本人初の世界選手権覇者となります。その後、慶応大学に進学し、2010年からナショナルチームの一員として世界を転戦。
2012年、ロンドンオリンピック、フェンシング男子フルーレ団体で太田雄貴さん、千田健太さん、淡路卓さんとともに準優勝し、銀メダルを獲得。
2014年、アジア大会の団体戦では五連覇を狙う中国を接戦で下し金メダルを獲得します。
東京オリンピック出場を目指していた矢先、新型コロナウイルス感染症の流行で延期となり、生活費を得るためUberEatsでアルバイトを始めることを足がかりに、東京オリンピックに向けて再び動き始めています。
最初はオリンピックの話題からスタート。
オリンピックのことはあまり覚えていないという三宅さん。
競技中は集中していた為、試合相手のことも覚えていなかったのですが、選手村でダラダラしていることのほうが覚えているそうです(笑)
次はフェンシングを始めたきっかけについて伺いました
ラクロス選手は仕事をしながらラクロスをやるのが普通でした。その中でも一番ラクロスに打ち込める企業に就職。その中でワールドカップに参加するときは休みをもらわなければいけない状況。営業職に就いていたので「仕事もラクロスもしっかりやって、応援されるような選手になりたい!」と両立します。なんと社内でトップセールスを記録するほどでした。その2年後にはプロ宣言をします。
次はプロについて伺いました
5歳の時から始めた三宅さん。最初はスイミングスクールに通っていました。しかしあまりうまくいかず「新しい競技にチャレンジしよう!」となり、チャンバラが好きという理由で『剣道』か『フェンシング』に絞られます。その中で「はだしが嫌だ!」という理由でフェンシングを始めることになります。
次はキャリアについて伺いました
小学校4年生の時に初めて準優勝まで進みます。その時は『完全にラッキーだった』といいます。それは大技を使うことによって、当時の小学生には対応できない比例をしていたからと言います。
しかし決勝の相手はそれが通用せず負けてしまいました。その時悔しくてどんどんのめりこんでいきます。
次はオーストラリアの強豪「ワイルダーネス」について伺いました
ワールドカップの際に練習試合でオーストラリア代表と対戦していた山田さん。日本はぼこぼこにされたことで「オーストラリアに行きたい」と思うようになります。英語ができない山田さんは、翻訳機を駆使しメールを送ったのですが「何を言っているのかわからないから、一回オーストラリアに来てください」と言われ、チャレンジできることになります。その結果見事、強豪「ワイルダーネス」に入団することができました。
続いてフェンシング選手の生活について伺いました
元々の夢は大手企業の会社員。大学を卒業と同時に就職しようと考えていました。
しかし在学中にロンドンオリンピックに出場し、どんどんやめれない空気になっていきます。その結果今でもフェンシングを続けていきます。
今週は、ロンドンオリンピック、フェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した三宅諒選手をゲストにお迎えしてお送りしました。山田幸代さんには来週もお話を伺います。
「片山右京 DREAM REVIEW 」 では、みなさんからのメールやお手紙を募集しています。
メールアドレスは、ukyo@joqr.net
ハガキ・お手紙は 〒105?8002 文化放送「片山右京 DREAM REVIEW」 宛
皆さんからのリクエスト曲もお待ちしています。
ラジオはFM91.6/AM1134 文化放送
スマホ・PCからはradikoが便利!
radikoはここから↓
http://radiko.jp/#QRR