今週から元ノルディックスキー複合日本代表、元オリンピアンの荻原次晴さんをお迎えします。
・荻原次晴さんのプロフィール
荻原次晴さんは群馬県草津町出身。(1969年12月20日生まれの50歳)
兄の健司さんとともにノルディックスキー複合選手として頭角を現し、1994年からワールドカップに参戦。
1995年の世界選手権では団体金メダルを獲得。
1998年は念願の長野オリンピックに出場し、個人6位入賞、団体5位入賞を果たします。
引退後はスポーツキャスターとして活動するとともに、元オリンピアンとして、ウィンタースポーツをはじめ広くスポーツの普及活性に取り組んでいます。また「次晴登山部」を発足、日本百名山登頂に挑戦中。
右京さんのことを「右京大先輩」と呼ぶ荻原さん。
共通点が多く何度も仕事をしたことがあるそう。荻原さんは「右京さんが真面目な話をしているんですか?(笑)」と初っ端から仲の良さが出ていました。
最初は荻原さんの故郷のお話からスタート。
荻原さんの故郷は標高1200mの場所。そこを登り降りしていた、生まれながらに心肺機能が強くなっていきました。
右京さんは「最初からアドバンテージがあるからずるいよね」と羨ましがります。
長アナウンサーの疑問は「逆に高所じゃない場所に来た時に違和感を感じることはあるんですか?」
標高が低い所に降りてきても『酸素が濃い』と感じることは特にないそうです。
続いては「ノルディック複合」について伺いました。
右京さん曰く「本当に辛い競技」。荻原さんも「本当にきつい競技ですよ」と話します。
荻原さんがノルディック複合を始めたきっかけは小学5年生の頃。3歳からスキーを始めていた為、普通のスキーに飽きてきてしまっていました。その頃友達に『スキージャンプやってみない?』と言われ試しに初めて見ると、恐怖心で飛ぶことができなかったそうです。しかしそこから徐々に飛べるようになると好奇心が勝るようにどんどんのめりこんでいきました。
続いては「体操もやっていたんですよね?」
荻原さんは小学1年生から5年生まで体操教室に通っていました。お姉さんが通っていたため「お前も通え」と親に言われ嫌々通っていたそうです。
しかし「ノルディック複合でオリンピックに行けたのは、嫌々通っていた体操教室のおかげかもしれない」と話します。体操はあらゆる動きが入っているのですべての基礎が出来上がり、空中感覚なども養えたそうです。
続いては「双子のお話」
右京さんは「荻原兄弟とロケに行っても、ロケにならない」と話します。
地元に帰ると、あらゆる人に声を掛けられるため全く進行できなくなります(笑)地元では「つんけんちゃん」と呼ばれていて、理由は「顔が似すぎているから両方の名前を呼ばれる」とのことです。
兄の健司さんは「目の上のたんこぶ」と話します。その思いが強くなったのは金メダルを獲ってから。
しかし、それがあったから自身もオリンピックに出れたと思い返していました。
まだまだ聞きたいことがありますがこの辺でお時間になってしまいました。
来週も引き続き荻原次晴さんにお話を伺っていきます。
今週は元ノルディックスキー複合日本代表で、スポーツキャスターの荻原次晴さんをゲストにお迎えしました。
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