田舎のバス (1954年)

三木鶏郎が中村メイコと知り合ったのは、1952年、彼女が三木鶏郎演出・音楽のラジオドラマ『緑の天使』に出演した時だった。
ちょうど三木鶏郎グループが解散し、NHK『日曜娯楽版』が廃止となり、『ユーモア劇場』とタイトルを変えた頃のことだ。
鶏郎は、すぐに彼女が才気煥発、たいへんな才能の持ち主であることを知る。と同時に中村メイコは、『ユーモア劇場』にも欠かせないメンバーの一人になった。

ある時、メイコが鶏郎にこんな話をした。
「この間、名古屋の劇場でお仕事をした時、劇場がデパートの最上階にあって、楽屋入りを一般のお客様が乗るエレベーターでしていたんだけれど、エレベーターガールさんが、『次、3階に参ります。春の婦人服、陳列してございます』とか東京の標準語でアナウンスしているところへ、たまたま彼女のお友達が乗って来たら、『で、あんた、何ぎゃい(階)行くの』って急に名古屋弁になったの。『4ぎゃい(階)だがね』って友達が応えると、すかさず、『あー、あそこはつまらんよ、あそこは何もありぁせん』と言って、それでまた急に切替えて、『はい、次は、5階に参りまーす』ってね。その標準語の職業アナウンスとプライベートの地方弁の変わり目がすごく面白かったの」
鶏郎は、エレベーターガールを物真似るメイコの絶妙な声色に感心しながら、頭の中では以前旅の列車の中で彼女がバスガールの真似をして皆を笑わせた様子が重なっていた。そしてアイデアが浮んだ。
「メイコ、それ面白いね、歌にしよう」
鶏郎はそう言うと、あっという間に曲を書き上げた。
♪田舎のバスは おんぼろ車〜
メイコは、慌てて言った。
「わたし、歌は苦手だから難しい節はすぐに覚えられません」
鶏郎は、応えた。
「これはね、フォスターみたいな健康的な簡単なメロディーだからすぐ覚えられるよ。台詞は...、そうだな、東北弁あたりにしよう」

こうして「田舎のバス」は生まれた。
1954年『みんなでやろう冗談音楽』で放送されると、大ヒット。番組中の「ヒットメロディー」の代表曲になった。
特に台詞、「皆様、毎度ご乗車くださいまして、ありがとうございます...」と、普通のバスガイドから一転、「アンレ、マしょうがネー牛だナー...」と田舎訛りのガイドに転身する。その変わり目の巧みさが大いにウケた。
決まり文句以外は、地名も場所もほとんどがメイコ自身のアドリブだった。

(文中敬称略)

☆上記の貴重なエピソードは、この度、中村メイコさんに取材の折、お話しいただいたものです。

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